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屍の王--あるキョンシーに追憶 3

 ユカリは自分の体に先ほどのキョンシー達と同様に炎を纏わせていた。


 彼女の視界は紫電に染まり、僅か一メートル先に広げたはずのトレンチコートすらも見えない。鼓膜を破らんばかりの雷鳴が耳元で響き、自分の息遣いすらも聞こえない。


 ユカリのコートは特別製であり、自然の雷ぐらいならば悠々と遮断する。このコートを広げていなかったら直にユカリは雷撃を受けていただろう。


 しかし、キョンシー達の雷撃は止まらなかった。絶え間なく両の手から放たれる雷光は徐々にコートを侵食し、手近にある物体、すなわちユカリへと空気を伝わって通電する。


「……あっ……くぅ」


 炎を纏う事で少なからず軽減しているとはいえ、電撃が体を駆け巡る事は止められない。


 外部からの異常な電流に体内を巡る電気信号を乱され、ビクッ、ビクッ、ビクンッ、と断続的にユカリの肩が跳ねる。


 箒から落ちないのが奇跡だった。


――これは、やばいな。


 苦しげに息を吐く事もまま成らなかったが、ユカリは冷静だった。


 今の自分の体は満足に動ける状態では無い。


 息を吸おうにも肺が痙攣し、視界が部屋の明かりをオンオフするように明滅している。


 自然に反ろうとする背筋を必死に押し止める。炎とは違う肉が焼ける感触。臓腑が電流に焼け爛れて行くのがユカリには分かった。


 と、静電気にも似た一筋の電撃がユカリの首元へと落ちた。


「ッッッッッッッッ!」


 脳を泡だて器で掻き混ぜた様なゾクゾクとした一種快感にも似た感覚。


 一瞬、ユカリは視界がブラックアウトした。


 その快感に意識を奪われていたこの一瞬が過ぎた時、


 ドン、


 とも、


 ドス、


 とも聞こえる音がユカリの腹と胸から時間差を置いて聞こえた。同時にユカリは自分の中からグチャぁと言う酷く生暖かく湿っぽく厭らしい音を聞いた気がした。


――…………?


 ユカリは何処か呆然と緩慢に視線を下へと向けた。


 自分の胸の心臓あたりから黒く太い棒の様な者が生え、その下からは白い棒が生えていた。白い棒は紅い紅い絵の具に浸した様にべとべとで先に行くほど細くなり一番先には小さな黒い模様が五つ付いている。白い棒は自分の背中側から腹側へと生えている様だ。


 黒い棒を胸から追ってみると、先ほど首を蹴り砕いたあの男のキョンシーの逆さまに成った眼とユカリは眼が合った。


「……………………あ」


 とても純粋な声を出したと同時に、


 ズルリッと針を抜く気軽さで、黒い棒は前へ、白い棒は後ろへと引き抜かれる。


 引き抜かれた黒い棒の先にはドクン、ドクンと動いているナニカが握られていた。


 一息もおかずに、その赤黒くドクドクと鼓動するナニカをこの黒いキョンシーは握り潰し、水風船を潰すにも似た、赤い噴水が空へと流れ落ちる。

ユカリは自分の体が急速に冷えていくのが分かった。


 スーッと貧血を起こした時と同じに視界が暗くなる。


 スーー、


 スーーーー、


 スーーーーーーーーーーーーーーーーーー。


 と、眠るように赤の女王の意識は闇に落ちた。


***


「まったく道士とやらは迷惑だ。怪我人ばかりを増やして、私達医者の苦労を分かっていないのだろうね」


 万年亀病院の屋上にて院長たる水瀬時子は、豆蔵コマメを車椅子に乗せて、共に街の景色を眺めていた。コマメの希望であり、タロー達の戦いを見届けたいと言ったためだ。


 戦場たる黄城公園と遠く離れた万年亀病院からでもはっきりと分かる火柱が上がっている。ユカリが戦っているのだろう。


 先ほど空を黒い服を着たキョンシーの一団が飛び、黄城公園へと落ちていた。今頃あの公園の中ではキョンシー達が跋扈しているに違いない。


 時子は少々心配と成った。あそこに居る者達は無事に済むのだろうか。


 ユカリやオニロクはともかく、あそこにはタローが居る。


「……時子。タローはどうなると思う?」


「……怪我をしないとはとても言い切れないが、死なない限りは治すさ」


 コマメは黄城公園から眼を離さない。ここからではコマメや時子では黄城公園内で何が起きているか分からない。たとえば、ココミの様な先祖返りではなく、純粋で格が高いサトリであったなら黄城公園内の人々の心の声を聞く事ができるかもしれない。


「できることなら僕はタローが何事も無く帰ってきて欲しいよ。まだあいつは僕の見舞いに来ていないんだ」


 コマメの言葉が終わった瞬間、轟音と雷光と共に、黄城公園の中央部から巨大な紫の稲妻が空へと落ちた。


 雷光は十数秒間空を染め上げて、夜空へ吸い込まれる様に消えていく。時子の知る限り雷を作れる浮世絵町のオトギは黄城公園に居ないはずだ。ならば、あの雷撃は道士による物だろう。


「……ん? コマメ、見てみろ。また一人、新しい参加者だ」


「本当だ。あれは誰だろうね? ……まあ、誰だか検討が付いているけど」


 山吹色に光る何かが、空を駆けて黄城公園へと落ちて行った。


「あれはあいつだろう」


「時子もそう思う?」


 時子とコマメは互いの見解に相違が無い事を確信した。この状況で、黄城公園へと突っ込んでいく住民を彼女らは一人しか知らない。


「さて、馬鹿共はどうなる事やら」


***


――やばいやばいやばいやばい! 死ぬ!


 黄城公園の森の中、舗装された道をはずれ、全速力で走りながらタローはチラッと後ろを見た。


「……………………」


 一体の女のキョンシーがタローを追ってきている。その黒髪は腰ほどまで長く、背丈からして高校生から大学生ほどの年にも見えた。


 女のキョンシーは鋭利な黒い爪を伸ばして、タローの首を刈り取らんと両腕を振り回している。軽やかな足取りにも関わらず、何故か全力で走るタローのすぐ後ろから離れない。


 キョンシーの一団の姿を見たタローは速やかに黄城公園の森の中へと逃げた。


 ついさっきまで聞こえていた音は中央広場から上がる火柱の音だけだったが、脈絡も無く大きな雷が上がってからすぐ、俄かに森が騒がしくなった。


 ザワザワザワザワと何かが歩く音がして、何が起きたのか確認しようと森を歩いていたら、ばったりとタローはこの女のキョンシーと鉢合わせてしまったのだ。


 タローの姿を認めるや否や女のキョンシーは襲い掛かってきた。


 それを紙一重でかわし、タローは逃亡中という訳である。


 また、すぐ手の届く位置まで女のキョンシーがタローへと近付いてきた。


「くそ! セーマン!」


 悪態を付きながらタローはセーマンの札を後方のキョンシーへと投げつけた。


 バチバチバチバチ!


 と、五芒星の壁が生まれ、それに女のキョンシーの体はしばし捕らわれた。


 その間にタローは走りまた距離を開ける。先ほどからこの繰り返しであった。


 だが、これも長くは続かない。タローにはあと、セーマンの札が四枚しかないのだ。


 ドーマンの札は十二枚あるが、一度ドーマンの札を投げ付けた時、動作も無くキョンシーの周りに生まれた黄緑色の炎に札は燃やされた。


 セーマンは空中で勝手に作動するが、ドーマンは対象に貼らねば効力を発揮しない。


 この鬼ごっこでドーマンの札は使えないと考えた方が良いのだろう。


――ユカリさんはどうしたんだっ?


 雷光が上がってから空にあの真紅の炎が見えなくなった。考えたくは無いが、ユカリが負けたのだろうか。


 タローには信じられなかった。ユカリは文句無しにこの浮世絵町随一の実力者である。龍田や朱雀丸や竹虎などサイズも力もおかしいオトギ達と渡り合える数少ない人物なのだ。


 その彼女が道士という人間の種族にくくられる相手に負ける姿をタローは想像できなかった。


 だが、先ほどまで祭り太鼓の如く響いていた爆音が聞こえなくなったという事は、何かがユカリにあった事は間違いない。少なくとも戦闘を中断しなければならない何かがだ。


 腿を振り上げて走っていたタローだが、その視界の前方に新しいキョンシーが現れた。今度は壮年の男だ。


「……ちっ!」


 筋肉に悲鳴を上げさせながらタローは直角に方向を変え、更に逃げていく。


 鬼の数が多すぎる鬼ごっこだ。このままではいずれ捕まるだろう。


 タローは何とか打開策を考えながら走るが、思いつかない。手段があるとしてもそれを実現する実力をタローは持ち合わせていないのだ。


 ならばタローに出来る事は逃げの一手。何か状況が変わるまで時間を稼ぐのだ。



 何時の間にかタローを追うキョンシー達の数は二十を越え、それぞれのキョンシー達が爪を、炎を、雷をタローへと放っていく。


 タローは右に飛び、左に転がり、上へ跳ね、下にしゃがむなどして、何とかまだ生きていた。


 セーマンの札を三枚使い、残り一枚と成った時、タローはある事実に気付いた。


――キョンシー達には種類がある。


 タローを追っているキョンシー達にはどうやら種類がある様だ。


 一番数が多いのが、両腕を前に突き出して足首を使って跳ねる者。彼らの動きはぎこちなく、跳ねるしか移動手段が無かった為、タイミングさえ注意すれば逃げる事は容易い。


 そして次に多いのが、生きている人間と同じに走れるキョンシー達。彼らの動きは人間と遜色なく、突き出される爪が脅威である。


 これに続いてキョンシー達は宙を飛べる様に成り、その内の半分が雷撃と炎を生み出す事ができた。


 タローが初めに会った女のキョンシーは宙を飛べ、雷撃と炎を生み出せる少数派だったらしい。


 あの黄緑色の炎さえ無ければ、ドーマンの札が使えるかもしれない。


 タローに残された札は、セーマンが一枚、ドーマンが十二枚。


 勝負を仕掛けるしかないだろう。


 チラッとタローは後方を確認した。跳ねるキョンシーは十五、走るキョンシーは十三、飛ぶキョンシーの数は六で、その内、炎と雷を出したのは三。


 少し眼を離した隙に十以上も数を増やしていた。


 相手の数が多すぎてこのままではすぐに捕まるだろう。


――数を減らさないと。


 タローは周囲を見渡し、走ってきた感覚や微かに見えた外灯から、すぐ近くに小さく開いた広場が有る事を分かった。


 一目散に右に左に木々に隠れてその外灯へと向かいながら、タローは右手でドーマン、左手でセーマンの札達を握る。


 転がる様にタローは小さく開いたそのスペースへと走り込み、クルッと体を後ろへと向けた。


 そして、タローの眼と鼻のすぐ先まで最も近付いていた空を飛ぶキョンシー達へ残り一枚のセーマンの札を投げ付けた。

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