屍の王--あるキョンシーの追憶 2
タローが中央広場の方へ眼を向けると、午後十時半を回っていると言うのにその一帯だけが昼間の様に明るかった。
自分の力では足手まといになるだけであり、ユカリ達の戦いを邪魔しない事が得策である事をタローは理解していて、事実それを実行しようとしている。タローの仕事である囮役はもう完遂されているのだ。
だがしかし、こうも手持ち無沙汰で何時終わるとも分からない戦いの終了を待つというのも居心地が悪い物だ。
想像は付かないし、考えたくは無いが、仮にユカリ達が負けた場合、この公園内で次に道士が狙うのはタロー唯一人。無論、超常現象対策課から応援が呼ばれるのだろうが、応援が到着する前に道士はタローを無力化し、公園を覆っている結界を解くだろう。
自身の安寧を他者に委ねざるおえない状況にタローは何やら焦燥感に似た脱力を感じていた。
「……どうしようか」
入り口の外に居る第三課と第四課の構成員達がタローの存在に気付いたのか、二つの人影がタローの所へ歩いてきた。
第三課からはお団子にした髪がチャーミングな座敷童子のシキコ、第四課からは青いニットキャップを付けた伊月浩司が来た。どちらも偶にタローと食事をする仲である。
「タロー、ユカリはどー?」
「ヒャッハーしてるよ。シキコだって袖が焦げかけた」
「おつかれー」
シキコらしい間延びした声にタローは頬を緩めながら、次に伊月を見た。
「で、伊月。ここから出るのは無理?」
「無理だ。諦めてオニロクさん達が戦い終わるのを待つんだな」
「やっぱりかー」
タローが放った一抹の期待は、伊月に軽く一蹴された。
「どんまい、どんまい。いつかいいことがあるよー。胸を張っていこー」
「そうだぞ、シキコの言うとおりだ」
シキコと伊月の何の心も篭っていない励ましにタローは肩を落とす。
「じゃあ、とりあえず何処かに――」
――隠れてるよ。
そう、気を取り直してタローが言おうとした瞬間である。
タローの眼は空中へと釘付けに成った。
「シキコ、伊月。何だあれ?」
タローの言葉に座敷童子と伊月は彼の視線を追って後ろに振り向いた。
すると同時に彼女らは一様に眼を丸くする。
呆然とタローは呟いた。
「おいおい、マジか」
夜空の彼方から黒い塊が速度を持ってこちらへと向かってきていた。
初めは唯の塊だった黒の一団は徐々に眼に見えてその輪郭をはっきりとしていく。
雲が流れるよりも遥かに速く、それらは飛んで来る。
タローの頬から冷や汗が一滴流れ落ちた。
あれは一体何だ? 何がこっちに来ている?
あれは危険だ。自分達へ危機をもたらす物だ。
何が来ているのか、何も分からなかったが、絶対の速度を持って危機が訪れようとしている事がはっきりと理解された。
数十秒も経たない内に、黒い塊が何か小さな者の集まりだとタローには分かった。
黒い小さな者達はユカリや龍田や朱雀丸と同程度の強烈な速さを持って空を駆けているのだ。
みるみるとそれらとタローの距離は短くなり、タロー達が黒の一団をはっきりと視認できるように成る頃には、もう眼では追えなく成っていた。
夜空に紛れた黒い残像だけがタローの視界を過ぎる。
「――」
一息の間にそれらは黄城公園の上空部へと停止した。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
物言わぬそれらは良く出来た人形の様にも見えた。
タローからの距離では額に張られた呪言の札のせいで彼らの表情を見る事が出来ない。
だが、タローは彼らの姿にとても見覚えがある。
特にあの額に貼られた呪言の札は見間違えようが無い。
「……キョンシー」
幾百枚の呪言の札を貼った幾百体のキョンシーが徒党を組んで黄城公園を見下ろしていた。
そして、一拍の間の後、
「っ!」
黄城公園を覆い隠すようにキョンシー達は、一様に重力に身を任せた。
***
「……こんなに楽しいのは久しぶりだ」
赤黒い液体の入った小瓶が割れた瞬間、一分も経たない内に、黄城公園の空を幾百数のキョンシーが覆った。
ユカリには一目で分かる。これらキョンシーの出来は最高峰。
「じゃあ、あたしもパーティを開こうか。オニロク、死ぬなよ?」
猟奇的に笑いながら赤の女王は赤のトレンチコートを翻すように、一息に炎の天幕を生み、舞踏会を開催した。女王の周りには手を取り合ったドレスの淑女と燕尾服の紳士、彼らを守るランスを持った騎士、舞踏会を見守る鹿や狐や狼達。数は前回の凡そ二倍。合計して二百体今日の炎像を作り出した。
地上には道士と鬼。頭上には赤の女王と舞踏会。その更に上空中には黒のキョンシー達がそれぞれ見つめ合った。
「魔女よ。さあ、焼き尽くしてみるが良い」
号令をする様に道士は右手を上げ、振り下ろし、これに従って空中のキョンシー達がユカリとオニロク目掛けて落ちて来た。
「噛み付け!」
ユカリは狼達に命じた。炎狼達は十数匹の群れと成ってユカリのすぐ近くへ落ちてくるキョンシー達九体へ突進する。
けれど、他の幾百数の着地を狼達だけでは防ぐ事ができない。
だからユカリは他の炎像達へとこう命じる。
「踊れ!」
舞踏会の出席者たる紳士と淑女達は弾かれた様に地上へとクルクルと回りながら踊り出した。騎士達が彼ら彼女らの踊りの邪魔をさせぬためランスを持って彼らを守る。そして、それら周囲全てを囲むようにして狐と鹿達が走り回った。
瞬く間に広場全てが炎の海に変わり、狼達がキョンシーと突撃した。
長年の経験から導き出されるユカリの予想では、空中のキョンシー達は狼の牙に捕まり、地上に落ちるキョンシー達はダンスパーティに巻き込まれ灰となるはずだった。
「「「「「「「「「……………………」」」」」」」」」
しかし、狼達の顎がキョンシー達に届こうかと言う瞬間、ユカリの物とは違う、黄緑色の火にキョンシー達は包まれた。
「なにっ?」
狼達は確かにキョンシー達の喉へ腕へ足へ噛み付くが、ユカリが思っていた爆炎はそこから生まれず、キョンシー達は炎狼に噛み付かれたままユカリのところへと落ちてくる。
先陣を切っていた男のキョンシーがその黒く長く伸びた爪を自分へと突き立てるのを、ユカリは急上昇する事によりギリギリで回避した。
――何があった?
重力落下するだけに見えた九体のキョンシー達はユカリが彼らの攻撃を回避したのを見るや否や空中で物理法則を無視して宙を蹴るようにして上空へと飛ぶ。
下方から爪を突き出してくるキョンシー達へ、ユカリは散発的に炎を放つが、それら全てが彼らに噛み付いている炎狼達と同じように黄緑色の炎に阻まれてあらぬ方向へと弾き飛ばされた。
見ると、地上へと降りたキョンシー達も皆黄緑のおどろおどろしい火を包まれている。
紳士と淑女達がキョンシー達へと踊る様に抱きつき、騎士達は槍を突き出し、狐はじゃれ付き、鹿はその角を振り上げるが、それだけであり、キョンシー達はどれ一つとして灰と成る事は無かった。
どういう理屈かは分からないが、あの黄緑の炎がユカリの炎を防いでいるようだ。
ただの炎ならばユカリの炎に飲み込まれるだけに終わるはずだが、何か力が込められているのかこの黄緑色の炎は真紅の炎を完全に阻んでいた。
数瞬の間、ユカリは攻撃を止め、キョンシー達の爪を回避のみに専念し、その間自身の持っているキョンシーの知識を全力で思い出していた。
九体のキョンシー達の黒い爪がユカリの赤いトレンチコートの裾を切り裂いていく。
「ああ、キョンシーなんて見た目以外知らねえよ!」
自身の体感時間で二秒、ユカリはキョンシー達の炎の仕組みが分からなかったため、思い出すのを止めた。
分からない事を考えても意味が無い。仕組みは分からないが、燃やせないのなら燃やさずに倒すだけである。
「ライダーキックってな!」
ユカリは急展開してキョンシー達へと向き直り、箒の穂先を爆発させその推進力と共に一番前方に居るキョンシーの顔面を蹴り飛ばした。
瞬間的に右足をキョンシーの黄緑の炎が包むが、ユカリは気にしない。
メキョッ、と気持ちが悪い足応えが伝わり、キョンシーの首が砕ける。
蹴りを放った体勢からすぐに箒へと座り直しながら、ユカリは急旋回した。
それと同時に先ほどまでユカリが居た場所を地上から放たれた濁流が通り過ぎた。
見ると、道士が左手をユカリへと向けていた。ユカリの頬が吊り上がる。何と強い相手だろうか。
だが、見詰め合っても居られない。キョンシー達は未だユカリの事を追ってくるのだ。
「お前達! 道士を狙え!」
キョンシー達へ絡みつく炎像達への命令を変更し、彼らは皆道士へと進路を変える。
「って、マジか!」
視線をキョンシー達へと戻したユカリはすぐさま眼を丸くした。先ほど首を蹴り砕いた男のキョンシーが首を砕かれ、だらんと頭を逆さまにしたまま、先ほどと同じ様に自分へと爪を突き出しているのだ。お化け屋敷ならばエースをはれるだろう。
多少の肉体的損壊では動きを止めるに至らないらしい。
ユカリの炎はキョンシー達の黄緑の炎に阻まれ、多少の肉体的損壊では止められない。
――どうする?
そう考えた時、ユカリは直感的に地上を見た。
地上では道士がユカリの命令通りに紳士淑女騎士達に追われているが、ゴキブリの様に蠢いているキョンシー達がユカリへとその両手を向けていたのだ。
どうしようもなく嫌な予感に見舞われ、咄嗟にユカリは回避ではなく防御を取った。
回避できないと直感したからだ。
左腕でトレンチコートを一息に脱ぎ、それをユカリが盾の様に地上へと広げた刹那だった。
地上のキョンシー達の両手から放たれた紫色の雷光がユカリの全身を包んだ。




