いもうと
この話を、流雨氏にも捧げます。
「妹の誕生日がクリスマスでさ」
昼休み、高倉は弁当を食べながら言った。私と高倉は所属部署が違っているが、昼食を食べに彼はよくここに来る。今、高倉が座っている場所は、よく外に食事をしに行く私の上司の席だった。
「そうなのか」
高倉に妹がいることを今はじめて知った私としては、そう返すほかない。話がうまければ、もっといい返しができるのだろうが、私は人との付き合いがあまり器用な方ではなかった。
「妹が生まれた日も雪だった」
雑な私の返事を、高倉は全く気にしなかったらしい。いつものことだが、ほっとした。
高倉は頬杖をついて窓の外を見ている。ついさっき降り始めた雪を見て、妹のことを思いだしたらしい。結婚どころか彼女すらも作らない高倉が窓の外を見てため息をつくと女性社員は色めきだつ。全く、顔がいい男は得だ。彼が妹煩悩だとは、誰も気づかない。
「そんな誕生日、きっと羨ましがられるだろうな」
食事を終えた私は、英和辞典を引きながら高倉の話に相づちを打った。英語が苦手な私は、高倉と違い、単純なメールひとつ読むのにも英和辞典がいる。
そんな私は、英語ができて当然という風潮の社内では、どうやら陰でバカ扱いされているようだが、高倉はそれを見ても何も言わない。
そんなに英語ができる人材が欲しけりゃ外国人でも雇え、というのが彼の言い分である。
「いや、羨ましがられるなんてことは全然ないんだ」
高倉はあっさり否定した。
「皆、そう言うんだけど、クリスマスが誕生日だと、どうやらキリストに嫉妬されるらしいんだな」
「……へえ」
「クリスマスプレゼントと誕生日プレゼントは一緒にされるし、冬休みだから友達は祝ってくれないし、一昨年はインフルエンザだった」
「誕生日に?」
「ああ」
高倉は弁当を食べ終え、一度、席を立った。そして、上司がまだ帰っていないのを確認してまた座る。
高倉は私の辞書をちらりと見て、数ページほど横からめくった。目的の単語がそこにある。
「すごいな」
「偶然だよ。それより、笹原、今日空いてる?」
「残業があるから多分無理だ」
決算日の二六日まであと一週間もあると捉えるか、一週間しかないと捉えるか。私は後者の方だった。たいして出来のよくない私は、この時期からかなり遅くまで残業しないと仕事が終わらない。
どうでもいいが、八割はサビ残だ。
私の実力は、高倉とは違う。悲しいくらいに。
私が思わずため息をついたとき、高倉も同時にためいきをついた。
「残業か、俺と同じだな」
「おまえも?」
優秀な高倉が残業なんて、珍しいことだった。
「来年から海外転勤なんで、仕事がいっぱいあるんだよ」
彼は、妹の誕生日の話と変わらない口調でとんでもないことを言い出した。辞書をめくる手に思わず力がこもって破れたのは、さっき高倉が開いたページだった。思わぬことが連鎖したせいで、ようやくひねり出した言葉を私は覚えていない。確か、嘘だろ、と言ったのだと思う。
「いや、ほんと。悪いな、隠してて」
すました顔をしているが、口角があがっている。なんだ、なんなんだ?
「誰もそんな話、してなかったけど」
「そりゃあ、話してないからな」
「どうして?」
「だって別れってものは寂しいものだろう」
当たり前のように言うが、私には理解できない。
「それじゃ転勤が成り立たないじゃないか」
転勤を周りに告げると自分が寂しくなるから、ということらしい。あきれ果てたのを隠しきった自信はなかった。周りの迷惑も考えろ、と怒鳴りたい気持ちもあるが、多分高倉はなんとかするのだろう。
聞けば、話す必要のある人だけに高倉の上司が伝えて回っているという。なるほど、私は話す必要のない人間ということか。
「そう落ち込むなよ。おまえにだけは伝えようと思ったんだからさ」
「本当に?」
私の顔色は一瞬で変わったらしく、高倉は笑い出した。
「本当。だから、帰りつきあってよ。残業終わりでいいから」
「何につきあうんだよ」
「妹のプレゼントを買いに行く」
「どうして俺がおまえの買い物につきあうんだよ」
クリスマスか誕生日か知らないが、聖夜にすら仕事を入れ、女と縁のない私にそのような願いをすることは、もはや嫌がらせとも言える。高倉は言ってからそのことに気づいたのか、不機嫌な私の顔を困ったように見つめた。
「おまえ、お姉さんいただろ」
「うん、いるけど」
「笹原のお姉さんの趣味が、妹と似てるんだ」
高倉は私の机の上を指さす。確かに、ペン立てやらカレンダーやら、姉が見立てた小物を私は多く使っていた。高倉はいきなり私の手からボールペンを抜き取った。これも、姉が買ってきたものである。
「こういう、カワイイやつ。俺にはよく分からないけど、妹が喜びそうだ」
「ようするに、姉貴をおまえの買い物に派遣すればいいのか?」
「いや、おまえでいい。もう三十年もお姉さんの持ち物見てるんだろ」
「五年前に結婚して、家出て行ったけどな」
「それに、お前は文学部だから『もののあはれ』がわかるんだろ?」
「そんな馬鹿な」
「でもそんな気がするけどなぁ、普段のプレゼントか見ててもそう思うよ」
嫌味かな?
「他の誰でもなくて、笹原がいいんだ。頼むよつきあってよ」
「残業、晩の十時くらいまでかかるぞ」
「俺も同じだよ。だから、おまえがいいんだ。女性を夜遅くに連れ出して、面倒なことになるのはごめんだからな」
高倉が言うと嫌味に聞こえる。はいはい、私はどうせ、どんなに頑張っても女性を夜遅くにはつれだせませんよ。せいぜい姉くらいなもんですよ。
「その店、開いてんのか?」
「大丈夫大丈夫」
何を買うつもりだ、と問いつめても、高倉は笑ってごまかし、そのまま自分の部署へと帰っていった。彼が十日もすれば日本にいなくなるとはとても思えず、私は英文をディスプレイに打ち込むのも忘れて彼の背中をじっと見ていた。
海外支社からメールが届いた音には気づかなかった。