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前篇

 私の話をする前に、まずは彼の話をしよう。

 彼は私が通う魔法科学学校――通称・魔科学校――に転校してきた、とても静かな人だった。漆黒の短い髪に天使の輪、光のない瞳に左目の下にあるほくろ、少し日に焼けた肌は彼のこれまでの仕事の厳しさを物語っているようだった(この時代に太陽にあたる仕事は肉体労働しかなく、それをしているというのはよほどお金に困っている人しかありえなかった)。特にこれといってしたいことはないらしく、しかし無頓着ということにこだわっているような気のする、とても不思議な雰囲気を持つ人だった。

彼が他の人と話していることはおろか、喋っている所すらまともに見たことがない。休み時間といえばよく本を読んでいるという。

私が彼と同じ授業を受けているのは二つだけ。そのどちらとも、私は彼の隣や同じ班にいた。だから彼のことはよく見ていた方だと思う。もしかしたら、私は彼のことが好きだったのかもしれない。


そんな、ある日のことだった。


 私は彼と同じ班で、教授の話を聞いていた。この教授は数々の賞を取っていて世間的にも有名な人だった。けれど動物の解剖が趣味で、授業や実験は基本的に教授の趣味全開だったため、学内ではとても気持ち悪い人で有名だった。そんな教授の授業で、私たちは黙って話を聞きその通りに行動するという、実験動物のようなことをしていた。教授にとって、とてもつまらない人形(せいと)だったのだろう。この時初めて、教授は私たちに高度な調合実験をさせた。

「ドラゴンの血液をこのオーガの胃液に混ぜる」

 そう言いながら教授は、ビーカーに入れた群青色の液体をフラスコに入った黄色い液体に混ぜ込んだ。瞬く間に黒く汚い色に変わっていき、だんだんと淡い赤色に変化していった。

「魔力を凝縮させた回復薬ができる。一滴でも分量を間違えたら毒薬になる。これを自分で作って飲め。うまくいったら合格だ」

 この教授はなかなか合格をくれないことで有名だった。教授が気に入らないというだけで二十年も卒業させてもらえなかった人もいたらしい。誰も彼もみんな、必死になって調合し始めた。

 しかし、教授のような淡い赤色にはならなかった。分量など習ってはいない。素人同然の生徒に、分かる訳がなかった。

「どうした。飲まないのか?」

 教授は不揃いな大きな歯を見せながらニヤリと笑った。

 誰も飲む者はいなかった。当たり前だ。まだ十数年しか生きていないのに死にたくはない。私だって、絶対に失敗している紅の液体など、飲みたくはなかった。

 ふと、向かいにいる彼を見てみた。彼はじっと、自分で作った黒い赤の液体を見つめていた。そして、おもむろにそれを飲み干した。

「っ!!」

 私は声にならない悲鳴を上げた。彼は泡を吹きながら倒れた。そして、ビクンビクンと震えて、動かなくなった。

「死んだか。お前らは飲まないのか?」

 私は彼に駆け寄ろうとした。けれど教授に捕まり、近寄ることは許されなかった。捕まった左腕に、教授のボコボコした手の感触がして気持ち悪かった。

「……飲むと死ぬと分かって飲んだコイツは愚か者だな」

 教授はそう、彼を愚弄しながらケタケタと笑った。

 私は怒りに打ち震えていた。けれど、何も言えなかった。彼が何もかもをつまらなさそうにしていたのは、もしかしたら死にたかったからかもしれないと思ったからだった。そしてその(しぬ)機会(チャンス)が訪れた。彼のとる行動は、ただ、一つ……

 教授は動かない私をつまらなさそうに見下して掴んでいた左腕を離すと、小刻みに震えながら彼に近づいた。そっと彼の隣にしゃがみ込み、おもむろに彼の右腕を持ち上げると、不揃いな大きな歯をカタカタと鳴らしながらかぶりついた。

「ひっ!」

 誰かが息を飲んだ。誰かが悲鳴を上げそうになるのを必死に我慢した。誰かが目をそらした。誰かが胃液を吐き出した。誰かが……

 私は、ソレを見ていた。

 教授はバリバリ、ボキボキと音をたてながら彼の右腕をたいらげた。

「うむ。ヤはり愚者の肉はマズイ」

パキ

 教授の体が音をたてた。

パキ

「コレは饕餮(とうてつ)にでもヤるとしよう」

バキ

 グニャリ、と教授の顔が歪んだ。暗めの肌色がだんだんと黄緑へと変化し、フラスコのような光沢をもつ異星人のような顔に変わっていった。

バキ

ふくよかな体系だったものが妊婦のような丸い腹になり、背が縮み、声がオクターブ低くなった。

「サア、授業ヲ再開スル」

 変わり果てた教授はユラユラと左右に揺れながら教卓へ向かった。

私は彼の体液に足を染めながら、彼の見開いた眼をそっと閉じた。






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