黒き猿王
本能寺の変。
400年以上経過した21世紀の今日になっても尚解明されていない変事でありながら、戦国の世から徳川家康の江戸幕府開闢によって成される太平の世に至る過程に於いて語らずにはおけない変事でもある。
故に、未だ謎は多い。
―光秀を謀反に至らしめた要因は何か?
―本当に光秀単独の犯行か?
―単独の計画でなければ、裏で糸を引いているのは誰か?
朝廷か?秀吉か?家康か?秀吉を隠れ蓑に己が野望を果たさんとした官兵衛(如水)か?
それとも、それ以外の誰かか?
―遺体の無い信長は、果たして本当に本能寺で果ててしまったのか?
真相を知るのは、その時代を駆け抜けし英雄達のみ……。
―天承10年6月2日:1582年6月21日(1582年7月1日) 夜―
~山城国:京・本能寺~
織田信長が僅かな手勢と共に宿泊している本能寺が篝火によって幻想的に映し出されていた。
だが、その炎は平時のものではない。戦の匂いを宿す炎である。軍旗に描かれしは「桔梗紋」即ち「明智」。
本能寺を包囲するは、丹波亀山城を出立した明智光秀率いる総勢約13600.
篝火が燃ゆる中、光秀は宣告する。
---的は、本能寺にあり---
本能寺を包囲せし明智軍、主君・織田信長並びにその配下・森成利(蘭丸)を始めとする織田残存小勢を粉砕す。
信長興、奮戦虚しく燃え盛る本能寺の中、自ら命を絶つ。享年49
時を同じくして、妙覚寺におわす長子・信忠公、二条御所に逃れるも己が最期を悟り、自刃する。
信長公の弟君、信秀が十一子・織田長益公(後の、織田有楽斎)、二条御所落城前に安土を経て岐阜への逃亡に成功する。
“明智十兵衛光秀殿御謀反”
“信長公、本能寺にて自害”
これらの知らせは、各方面へと遠征中の織田配下の武将に伝えられた。
勿論、この男にも……。
―備中 高松城(現:岡山県岡山市北区)―
その男は、軍を率いて城を包囲していた。
「どうやら、無事に事が起きたようじゃな。」
「えぇ、兄上。少々仕込みに時間が掛かりましたが、彼奴は信長様を討ち滅ぼしました。
それだけでなく、信長様の嫡子である信忠様までもを。」
「ご主君、今や光秀は“天下の大逆人”。
これを滅すればご主君が信長の忠臣であるとの天下万民の声は不動となり、信長の後継者としての地位は殆ど盤石のものとなろう。
今すぐ毛利と講和し、早急に光秀を討つことを進言する。」
その後彼らは、毛利と条件付での講和に成功。
そのまま京に向かって軍を引き返し、後の世で「中国大返し」と呼ばれる約10日間に及ぶ大行軍を経て、山城国・山崎(現:京都府乙訓郡大崎町)にて対峙した。
この男こそが、後に天下統一を果たし、今回の「本能寺の変」にて如水と共に裏で糸を引いていた「猿」と呼ばれていた黒き謀略の武将“羽柴秀吉”、後の“豊臣秀吉”である。
―天正10年6月13日
秀吉軍と光秀軍は山崎の地で激突したが、戦はあっけなく終わった。
光秀はあっけなく敗れ、そのまま敗軍の将として逃亡した。
逃亡する中、光秀は一人、天に向かって問答していた。
―何故私は、信長様に謀反したのか?
―それは、天下万民の為だ。
―何故私は、あの男に敗北したのか?
―某に味方していた与力や武将達が、次々とあの男に寝返ったからだ。
―何故彼らが、あの男の側に付いたのか?
―何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?何故?……………………………。
その時、
ガチャッガサッ、ガチャッガサッ
「っ!?」
「ったく、本当にこっちの方面に武将っぽい奴がいたのか?とっくに狩られているんじゃねぇか?」
小言を言いながら歩いてくる人影が見える。
光秀は焦りつつも静かにその足を速めた。
「っく、山賊か、落ち武者狩りか。
何はともあれ早急に落ち延びて再起を図らなければ---!?」
しかし、そんな彼の言葉は最後まで続かずに中断された。
グサッ!
「っ!?ぐあっ!?不覚!」
肉を突き抉られるような感覚と共に、脇腹付近に強烈な痛みが迸る!
体に目を向けると、脇腹には竹槍が深く突き刺さっていた。
更に視線を槍の先に目を向けると……
「へへへっ。アンタ、見たところ相当お偉い武将だな。
もしかして、この前の戦いで敗れた明智光秀じゃねぇのか?
まぁ、そうであってもそうじゃなくても、アンタをここで討ち取ってその首を差し出せば、
きっと恩賞をたんまり貰えるに違ぇねぇ。
とりあえず、俺の生活の為に死ねよや!!」
「喩え我が身がこの地で果てるとしても、そなたに討たれるほど落ちぶれてはおらんわ!」
グッ、キンッキンッキンッ、ザシュッ!
激しい剣戟の結果、死んだのは襲ってきた男の方だった。
それを見た男の仲間たちはその様子を見て恐怖し、散り散りに逃げていった。
「はぁはぁはぁ……。」
しかし、退けたとは言え光秀の状態も既に危険域であった。
何より、不覚にも受けてしまった槍による一撃が致命的であった。
近くに山小屋を見つけた光秀は自身の状態を改めて見て、己が最期を悟った。
そして、自らの命を絶とうとした時、山小屋に二人の男が入ってきた。
「…そなた達は!?」
光秀は入ってきた二人の男と大いに面識があった。
そして驚いた。
当然だ。
ついこの間対決した相手が、今まさに命を絶とうとしている自分の目の前に現れたのだから。
そんな光秀の想いなど関係なしに、二人のうちの一人である黒田如水は光秀に話しかけてきた。
「光秀、感謝する。」
光秀は再び驚いた。
何故感謝されるのか、と。
「感謝…だと?」
「そうだ、感謝だ。」
「何ゆえに…。」
「秀吉様が天下を獲るためには信長と言う絶対者は邪魔でしかなかった。
しかし同時に、信長には秀吉様による天下統一を成す為にも、強力な経済圏を手中に収めて頂くと共に、天下第一の勢力となってもらう必要があった。
当初、謀反による信長の殺害の濡れ衣は家康に被ってもらう予定だった。
だが貴様が織田軍の配下となった事で予定が変わった。
信長に忠誠を誓いながらも朝廷や足利将軍家との繋がりをある程度持っていた貴様は、我々にとって生贄とするには最高の人材だった。
貴様はこちらの望んだとおりに信長を殺害しただけでなく、嫡子の信忠も殺害すると言う思わぬ結果まで齎してくれた。
後は“天下の大逆人”となった貴様を討てば、秀吉様の天下への道筋は家康と言う不確定要素を除けば盤石のものとなる。
故に、感謝すると言っているのだ。」
「ま、まさか…御所にいる公家達の裏で糸を引いていたのは…。」
「当然、我々だ。
屈辱的だったぞ?!今や政を省みる事さえ出来ぬ無能な公家共に頭を下げてまで、貴様を唆す様に説得するのは…。」
「フフッ、全てはそなた達の掌の上で転がされていたと言う事か…。」
そう言った光秀の目には涙が溢れていた。
「誇るが良い。
貴様の死は秀吉様の天下統一の足掛かりとなる事を。」
「さて、私も黄泉路へと旅立つとするか。
何ともつまらぬ、我が人生よ。」
こうして光秀は、秀吉と如水に見送られながら自刃した。
こうして、本能寺の変からの一連の事件は終了した。
その後秀吉は、幾多の戦いを経て天下を統一した。
しかしその戦いの影には、常に秀吉と如水の黒い謀略が蠢いていた。
人々はそんな二人を纏めてこう評した。
“黒き猿王”
黒き謀略に塗れた猿の王、と。
現在連載中の「本能寺」の原案です。
何故、今回のような感じで連載しなかったかと言いますと、ただ単純に、これで行くと話が続きそうにありませんでした。
ですから、現在の「本能寺」のような形に収まった訳です。