第5話 真実【弐】
第5話 真実【弐】
そこにある真実とは 陽の光を見ることなく
ただ永遠と 暗闇の中 静かに存在した
今 日が昇り 世界が光に満たされる
はたして 真実とはいかなるものなのか──
§§§
茶色の長い髪が廊下を横切るのを見て紅燐は手にしていたインクつぼを床へ落とした。
古ぼけた床はそれを受け止めコトリと小さな音をたてる。つぼの中から零れ出したインクが床板に黒い染みを作った。
しかし紅燐はそのことを気にも止めずただ立ちつくしていた。
彼女の目は先程通り過ぎた雫が持っていた赤いアルバムを映した瞬間、瞬きをやめていた。雫があのアルバムを持って怜の部屋へ向かうその瞬間を。
紅蓮は雫さんがあのアルバムを持っていることを知っているのだろうか。
おそらく彼女はあれを怜に見せる気なのだろう。
紅燐は紅蓮の名前を呼んだ。
どういう理由で彼女が怜にあれを見せるかはわからないがそれは紅燐たちにとってどうしても避けなければならない事だった。
「紅蓮!!」
紅燐は探し求めていた姿を見つけその少年の名を呼んだ。
「紅蓮!」
紅蓮は屋敷の庭にある東屋の傍に立っていた。
紅蓮は紅燐の方へ振り向き、ゆっくりと近づく。
「雫さんが──」
「知ってる」
紅燐の言葉を遮り紅蓮が言い放つ。
その言葉を聞き、紅燐は自分の耳を疑った。紅蓮の言っていることが信じられないのだ。
「アルバムだろ」
「知ってるならなんで・・・!」
止めようとしなかったのか。そんなに落ち着いていられるのか。言いたいことはいくつもあるがどの言葉も口から出てくることはなかった。
紅蓮がいつもの彼らしくないことに気がついたからだ。いつもは弱いところなど絶対に見せたがらない彼が今はとても辛そうに見える。
紅燐は何も言えず辺りがしーんと静まりかえる。そんな中、先に口を開いたのは紅蓮だった。
「俺たちにはいい機会なのかもしれない・・・」
静かな声で、それでも確信を持った様子で言う。
しかし、紅燐は彼の言っていることが納得いかず反論の声を上げる。
「機会!?紅蓮はあのアルバムを怜に見せるべきだと?怜の前にまた真実を──現実を突きつけるって言うの!?」
悲痛な叫び。あれを見せれば怜は今度こそ壊れてしまうと。正気には戻れなくなると。
紅蓮はただそれを黙って聞いているだけだった。紅燐は彼の態度にますます声を強める。
「紅蓮は・・・怜が大切じゃないの!?」
「大切じゃないわけないだろう!!」
紅燐は思わず肩をすくめる。紅蓮は怒りっぽい性格だが、怜や自分に対して怒ることは稀だった。
紅蓮は一度大きく溜息をついた。別に怒っている訳ではないが、どうしても感情が昂ぶる。なんとか感情を抑えるとしっかりと紅燐の瞳を見据える。
「大切じゃないわけじゃない。怜は俺にとって大切な存在だ。壊れていくのは見たくない」
「なら・・・なんで・・・」
紅燐は人間ならば涙を流していただろう、とても悲しそうな顔をしていた。
「大切だから・・・だから、このまま苦しんでいるのは嫌なんだ。できることなら俺は怜を苦しみから解放してやりたい。」
「そ・・れは、私だってそうだけど・・・。でも私たちじゃ駄目だったじゃない」
「あぁ。俺たちじゃ怜を助けてやることはできない。けど・・・」
「雫さんにならそれができるの?」
「・・・多分。アイツはあのアルバムを見つけることができた」
そうだったのだ。いままで何人かの人形師がこの館を訪れ弟子になろうとした。けど実際に弟子になる事ができたのは雫ともう一人のみなのだ。(正確に言えば、弟子になれなかったのではなく弟子になってすぐに紅蓮によって館から追い出されたのだが。)
彼は・・・もう一人の怜の弟子はアルバムを見つけることは出来なかった。つまり怜を救うことは出来なかったのだ。
紅燐はゆっくり歩きだした。紅蓮の横を通り過ぎ、さっきまで紅蓮が見つめていた物の傍に立った。
「・・・彼の導きでしょうか」
そこには墓標が二つ並んでいた。そのうちの一つを見つめ、紅燐は尋ねる。
「信じたくねぇけどな」
紅蓮も紅燐の隣に立ち、冷たい石を見つめた。
もう二人とも普段の様子に戻り、ただ怜が救われることだけを祈っていた。
§§§
少年のまま時の止まった人形師
それが私が考え出した怜の正体だった。
写真の中で変わらないもの。
紅燐と紅蓮と──・・・怜。
四人の後ろに写っている屋敷は真新しかった。
紅燐と紅蓮は人形だ。変わらないのも当たり前だろう。
けど、怜は違う。怜は人間だ。
普通の人間ならば老いるはずだ。
しかし、写真の中の怜は今と何も変わっていない。
私が違和感を感じたのはそこだった。
長い年月を経て、すっかり変わってしまった建造物とは対照的な変わらない怜の姿。
いや、少し・・本当に少しだけ幼いようにも見える。といっても三年ほどだろう。
それでも、決定的におかしい点がある。それは、その写真の日付だ。
写真の右下に記されている日付は今より55年も前を示していた。
これは想像に過ぎないが、三人と一緒に写っているこのアルバムの持ち主である青年はおそらくもう亡くなったのだろう。生きていたとしたら、もう80年は生きていることになる。
「・・・怜」
私はアルバムを怜に見せ、自分の考えを告げた。
どうか怜の口から間違っていると否定してくれないだろうか。
実はそっくりさんでたまたま名前も一緒だっただけだとか。
「あぁ、その通りだ」
ゆっくりと開いた口から出た言葉は私が望むものではなかった。
「うそ・・・。だって・・そんなこと・・・あるはずが・・・」
「残念ながら本当の事だ」
よく響く綺麗な声は耳に届いているはずだが私の脳は理解することを拒んだ。
私のことは気にせず、怜は話し続ける。
「訂正する点があるとしたら俺のことではなく彼等のことだろう。それともう1つ。この人・・・師匠のことだ」
そう言って細い指が差したのは写真に写った人形たちと・・・アルバムの持ち主であろう青年だった。
「この写真を撮った頃ならば彼等はまだ人形ではない」
・・・まだ・・・?
私の頭は混乱しきっていて怜の話を聞くだけで精一杯だった。
「雫・・・真実を・・・全てを知りたいのなら教えてやってもいい。ただ話を聞いて後悔しても俺は知らない。どうする?」
まるで私を試すかのような質問に私は自然と頷いていた。
これから、どんな真実を知ることになるか考えもせずに──・・・。
─be to continue─
DMの第5話になります。あと2話ほどで完結の予定です。