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死ぬまで働け──205X年の現実

掲載日:2026/05/03

西暦205X年X月XX日。朝のニュース番組は、いつも通り軽快な音楽で始まった。

だが、その日だけは違った。

アナウンサーの口元は笑っているのに、その声は妙に乾いていた。

「定年75歳法案が可決されました。

 平均寿命は80歳を超えていますから、皆さんまだまだ働けます!」


その瞬間、胸の奥に、冷たいものが落ちた。

(……まだ働ける? 誰が? 俺が?)

テレビの光が部屋を照らす。その光が、妙に白々しく見えた。

平均寿命80歳。健康寿命75歳。

つまり──

「死ぬ直前まで働け」

そう言われているのと同じだった。

胸の奥に、じわりと黒い疲労が広がる。



会社に行くと、廊下の掲示板に新しいポスターが貼られていた。

「若手の挑戦を応援します!」

その下に小さく書かれた文字。

「役職定年:50歳」

私は今年で70歳。役職を失って20年。

給料は半分以下。仕事は若手の尻拭いばかり。

(俺は……何のために働いているんだ?)

若手社員たちは、「変革」「効率化」「新時代」

そんな言葉を並べては、中高年を“古い”と笑った。

私はただ、黙って働き続けるしかなかった。


昼休み。食堂の隅で弁当を広げる。

周囲の若手たちは、スマホを見ながら笑っている。

「あのじいさん、まだ会社にしがみついてんの?」

「75まで働くとか地獄じゃね?」

「でもあいつら、辞める勇気もないんだよな」

聞こえないふりをした。だが、胸の奥がじくじくと痛んだ。

(辞める勇気……か)

確かに、私は怖かった。家族を養ってきた責任感。

会社に尽くしてきた自負。

そして──自分の人生を変える勇気のなさ。

その全部が、私を縛っていた。




その日も、いつも通りだった。朝からメールを捌き、資料を直し、

若手の作った報告書の誤字を直し、数字の整合性を確認する。

会議前に根回しが必要な部署には事前に説明に行く。

「ベテランの経験が必要なんです」そう言われて残されたのは、

責任だけで、権限はほとんどなかった。

昼過ぎ、ふと顔を上げると、フロアの一角で笑い声が上がっていた。

若手社員が三人、島の端に集まり、それぞれスマホを覗き込んでいる。

画面にはゲームか動画か、何か派手な色がちらついていた。

時計を見る。まだ就業時間の真っ只中だ。

(……またか)

何度も見てきた光景だった。何度も、見て見ぬふりをしてきた。

だが、その日は違った。

ニュースで「定年75歳」を聞いた朝から、胸の奥に溜まっていたものが、

じわじわと形を持ち始めていた。

(俺は、まだ“働け”と言われている。

 なのに、こいつらは“働かなくてもいい”顔をしている)

その不公平感が、静かな怒りに変わっていた。


椅子から立ち上がる。膝が少し痛む。だが、それでも歩いた。

若手たちの島に近づくと、笑い声が一瞬だけ小さくなり、すぐにまた元に戻った。

私は、できるだけ穏やかな声で言った。

「おい、仕事中だぞ」

それは、何十年も前から、部下に対して自然に出てきた言葉だった。

だが、返ってきたのは──かつて聞いたことのない種類の声だった。

「は?」

一人の若手が、スマホから目を離し、こちらを睨んだ。

その目には、敬意も、遠慮も、何もなかった。

ただ、「邪魔された」という苛立ちだけがあった。

「老害が偉そうにすんなよ」

その言葉は、刃物のように鋭く、しかし妙に軽かった。

軽いからこそ、余計に深く刺さった。


老害。

その言葉は、ニュースやネットで何度も見た。

だが、自分に向けられたのは初めてだった。

(俺は……老害なのか?)

会社のために残業し、休日も出て、部下のミスをかぶり、

家族との時間を削って働いてきた。

その結果が、【老害】だった。

胸の奥で、何かが静かに折れた。

怒鳴り返すこともできた。殴りかかることもできた。

だが、体は動かなかった。

(ああ……そうか。俺はもう、“怒る側”じゃないんだな)

自分が、「注意する側」から「邪魔者」に変わったことを、

その瞬間、はっきりと理解した。


若手の一人が、苛立ったように立ち上がった。

距離は近かった。彼の息がかすかに酒臭いことに気づく。

「マジでさ、空気読めよ」

その言葉と同時に、胸を押された。

いや、突き飛ばされた。

力は強くなかったはずだ。だが、老いた体は簡単にバランスを崩した。

足がもつれ、視界が揺れる。

(あ、倒れる)

そう思った瞬間、後頭部に硬い感触が迫ってきた。

ゴンッ

机の角が、頭蓋にめり込むような衝撃。

視界が白く弾け、音が遠ざかる。


床に倒れた自分を、上から見下ろしているような感覚があった。

若手たちの声が聞こえる。

「やべ……倒れた?」

「救急車呼んだほうがよくね?」

「いや、マジで大げさなんだって。ちょっとしたら起きるって」

その言葉に、怒りは湧かなかった。

ただ、(ああ、本当に“邪魔者”なんだな、俺は)という実感だけがあった。

視界の端で、天井の照明が滲んでいる。

白い光が、妙に冷たく見えた。

(俺は……何のために働いてきたんだろうな)

家族のため。会社のため。部下のため。社会のため。

そう信じてきた。

だが、今この瞬間、誰も私を必要としていない。

(だったら……)

胸の奥で、小さな声がした。

(だったら、次の人生は……俺のために使っても、いいんじゃないか)

その考えが浮かんだ瞬間、意識は闇に沈んだ。


闇の中で、ふと、一つの映像が浮かんだ。

幼い頃、祖父の家で一緒に見た時代劇。

水〇黄門。

老いた男が、旅をしながら悪を懲らしめる。

印籠を掲げ、悪党が土下座する。

祖父が笑いながら言った。

「年寄りになったら、こういうふうに生きられたらいいなぁ」

その時は笑って聞き流した。だが今は違う。

(ああ……いいなぁ。ああいう生き方、してみたかったな)

その想いを最後に、完全な暗闇が訪れた。

別の話の冒頭部分を書き直したものですが、近未来にサラリーマンの現実になると嫌ですね。。。

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