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 バイトが終わるなりアスリート並みの脚力を発揮して全力疾走でもしたのだろう、額に汗を浮かべて肩で荒く息をしながら玄関ドアを開け放った仁井谷(にいや)真潮(ましお)と視線がぶつかった。


 カレーの鍋を前に立ち尽くしていたわたしの顔は、きっとやつれ果てて見えただろう。


「……アパートから火は出てなかったから火事じゃないみたいだが、お前あの謎の不細工なスタンプはいったいどういう意味なんだ?」

「ぶ、不細工じゃないし!? あれはミッヒーっていういま流行のキャラで……」

「ネズミなのかウサギなのか絶妙な名前だな。それでそのミッヒーってカエルが脂汗流してたあのスタンプの意味はなんなんだ?」

「脂汗じゃなくて涙よ! それにミッヒーはカエルじゃなくて愛らしい子猫だし!」

「いや、ひしゃげたカエルだろ……。死を連想させて慌てて帰ってきたんだぞ」

 わたしのイチオシキャラ、子猫のミッヒーを言うに事欠いてひしゃげたカエルだなんて信じられない。しかし今は、そこを訂正している場合ではないのだ。


「あー……、あれは……、大変なことになったって意味で……」

「ぜんぜん伝わらねえからそのスタンプ使うのやめろ。それで大変なことってのは?」

「か、カレーなんだけど……」

「まあ、そうだろうな。それで?」

「……あ、あのね、言われたとおりに温め直したのよ? ……そしたらなんか変な匂いがし始めてね、焦げ臭いっていうか。――いや聞いて? まず聞いて! それで、なんとかしなきゃって思ってすっごく考えたの! それでね、とりあえずお水、入れたら良いかなーって……」


 身振り手振りを交えて必死に弁明に励むわたしを冷め切った真顔で見据えてきながら、

「火にかけた鍋、混ぜなかったのか?」

「そ、それでね! どれくらい水入れればいいのかわからないし、ちょっとずつ水を足していったんだけど、なんかどんどんスープカレーみたいになっていって……」

「どうせ火にかけたままスマホでもいじってたんだろう?」

「うっ……、焦げ臭いのぜんぜん消えないし、ほんのり苦いカレーっぽい液体になるし……」

「火にかけた鍋を忘れるほど夢中になるって何やってたんだよ?」

「あのね! モッチャがついにエスプに告られたってグループトークが始まってね、おおっ、やっとかー! って、のめり込んでたら……」

「誰が誰にだって? 原型のわからねえあだ名で新キャラ増やすな」

 二の句を告げる余地さえなくバッサリと切って捨てられる。


 いつになったらくっ付くのかとみんながヤキモキしていた二人に進展があったのだ。そんなホットな話題を放ってはおけるはずがない。けれど今回ばかりは完全にわたしの落ち度だ。


「……ま、真潮くーん?」

 甘えた素振りの上目遣いで名前を口ずさみ誤魔化せないものか試みる。


 そんなわたしに取り合うことなく鍋を覗き込んで苦い液体と化したカレーだったものを掬い上げ、おもむろに口に運んで眉間に深々と皺を寄せ大きなため息を零す。


「……なるほど。やっちまったな」

「うぅ……」


 これから始まるであろう耳の痛い叱責を覚悟しながら俯くと、

「ということは、晩飯は何も食べてないんだな?」

「えっ、う、うん。けど一食くらいダイエットと思えば食べなくてもぜんぜん平気――」

 ぐぅぅうぅぅ~……。


 せめてもの強がりを言い終えないうちに、わたしのお腹が絶妙なタイミングで鳴ってしまう。


 わたしのお腹のバカ! こんな時に限ってなんなの!? しかもけっこうな音量で!


「どうなってんだよお前の腹は。漫画かよ……」

「ち、違うのよっ? これはぜんぜん違って――」

 きゅうぅぅ~……。

 わたしの意思に反して、またしても狙い澄ましたようにお腹が鳴る。


 もはや恥ずかしさと情けなさでお腹を強く押さえつけて前屈みに俯くことしか出来ない。


「腹の虫は違わねえって否定してるじゃねえか。……ちょっと待ってろ。バイト先で賞味期限間近のうどん玉を貰ったんだ。明日使うつもりだったが今からカレーうどんにリメイクする」

「べ、別に、食べなくっても――」

 ぎゅうぅぅるるる~……。

「せめて強がりを言い終わるまで腹の音を我慢させろよ? どうにかするから少し待ってろ」

 ぐぅうぅぅぅ~……、っと、ついにお腹が先に返事をしてしまう。


「ま、真潮くん? なにかお手伝いしよっか……?」

「良い心掛けだが、とりあえず座ってろ。それと『くん』はいらん。真潮でいい」

 赤面してお腹を押さえるわたしを押し退けて台所に立ち、真潮くんは腕まくりをして調理に取り掛かる。

 ……ああ、『くん』はいらないのね、わかりましたー。


「水が入りすぎてるな……、出汁の素を加えて、香辛料で苦みを消して……」

 ぶつぶつ呟きながらリメイクに没頭する真潮の後ろ姿を眺める。


 考えてみれば男の子を下の名前で呼ぶなんて初めてだった。綿摘(わたつみ)くんだってこの通り名字にくん付けなのに。


 そこで真潮が書き置きしていたメモ紙に、幸帆(ゆきほ)と下の名前が書かれていたことを思い出した。


 兄妹って、やっぱりそんな風に名前で呼び合ったりするものなのだろうか。


 いや、妹が兄を名前で呼ぶなんてあり得るのかな? でも、わたしと真潮は同い年なのだから別に良いのかな?


 改めて考えてみると兄妹ってどうすればいいんだろう?


 一人っ子のわたしにはまったく未知の世界だ。






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