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翌日、わたしが学校から帰宅するとなにやら出掛ける様子で着替えを終えた仁井谷真潮が、座卓でメモ紙に何かを書き込んでいるところだった。
「今日はやけに早く帰ったみたいね? またタイムセール?」
昨日の放課後もそうだったけど、この男は授業が終わるなりさっさと学校を後にしている。
陰キャぼっちだからと思っていたが、スマホで調べ抜いた最寄りスーパーのタイムセールに駆け込んでいるのだと知らされ唖然とした。
「今日は違うが俺から言わせれば、用もないのにいつまでも学校に残って無駄話してるお前らの方が不思議で仕方ないがな」
「その無駄話が将来、貴重な青春の思い出となるのよ。いわば青春活動よ! タイムセールのはしごに命かけてるアンタの方が遙かに不思議だわ」
「タイムセールは時間との勝負なんだ。そんなポイントも貯まらねえ活動に興味はねえ」
「青春を謳歌する場にポイ活なんか持ち込まないでよ!?」
「お前が文句ばっかり言ってる野菜たちだってだな、俺がどれだけの苦労を――」
「そ、それで! どっか出掛けるの?」
興が乗ってきたのか、わたしの好き嫌いへの愚痴が混じり始めたので本来の疑問を差し込んで会話の修正を図る。これ以上詰められてはたまったもんじゃない。
「ああ、ちょうど良かった。書き置きする手間が省けた。今日はこれからバイトなんだ。いろいろ支度しとかないとお前なんにも出来ないだろ?」
「なにその言い方! なんにも出来ないわけじゃなくて、まだなにもしていないだけだし!」
「無限の可能性があるみたいな言い方すんな」
このアパートに転がり込むことになってここまで、わたしが家事の何かに手を出したことはとりあえず一度もない。
だって、この男が全部テキパキとこなしてしまって手伝う隙を与えないのだ。けれど、この件はいったん置いておこう。わたしの旗色が悪くなるだけだし。
「あっ! いい匂い! これはカレーね!」
「ああ、お前がピーマンの畑ミート詰めにケチ付けるから急遽カレーに変更したんだ」
「ケチはアンタでしょ!? 豆腐じゃなくてお肉を詰めろって言っただけだし!? 畑ミートなんて言い方して騙せると思わないで!?」
「豆腐でも美味いんだぞ? まあいい、それよりもカレーを認識出来たみたいで安心したぞ」
「……バカにしてんの?」
「いいか、よく聞け。炊飯器はタイマーで19時に炊けるようにセットしてるからそれまで触るな。あ、19時って7時のことだからな? ご飯が炊けたらカレーを温め直して好きなだけよそって食べろ。……出来るか?」
「……ねえ、わたしのことバカにしてんの?」
「スプーンは出しておくからな、手掴みで食べるなよ?」
「インド人じゃないし!? やっぱりバカにしてるでしょ!?」
「バカにはしてない、心配してるんだ!」
不意に浴びせられた強い口調と真剣な眼差しにドキリとして首を竦めてしまう。
「今夜も親父は帰ってこないらしい、さっき連絡があった。それでお前、コンロの火、点け方わかるよな? いや、それよりも消し方わかるだろうな? 消し忘れたりしたら、冗談抜きで火事になるんだぞ? ここが燃えたりしたら、お前マジで……、わかってるよな?」
仁井谷真潮の心配は正しく理にかなっていた。
ついこの間まで他人だった女に火事など起こされようものなら、それだけで簡単に人生が崩壊してしまう。
それはわかる。わかるのだが、
「か、火事の心配!? くっ……、だからバカにしないで!?」
ほんの一瞬でも、心配してるなんて言われてドキリとしてしまった自分が悔しい。
「くそっ、やっぱり火は使わずにレンジでチンするか? 電子レンジっていう文明の利器があるんだが、……使い方わかるか?」
「わたしのこと何だと思ってるのよ!?」
「え、言ってもいいのか……?」
「待って! 言わないで! 嫌な予感しかしないから……!」
「嫌な予感しかしないの俺の方だからな……?」
「とにかく! カレー温め直すくらい出来るわよ子供じゃあるまいし!」
「そうか……、よし、わかった……」
納得するまでにけっこうな間があり、わかったと口にしながらも納得しているようには見えない。
納得いかないのはわたしの方だけれど、ひとまずは良しとしよう。
「ところでバイトって何してるの?」
「定食居酒屋でオーダー取ったり厨房手伝ったり、その他いろいろ雑用だよ」
「へえ、ふーん……」
なんとなく、向いているなと思った。
そんな喉元まで出かかった言葉をぐっと堪える。それを素直に口にしてしまうのは負けたような気がして我慢ならない。
「時給はまあそれなりだが余った食材を貰えたりするから都合が良いんだ。じゃあ行ってくるから、くれぐれも火の元だけは気をつけろよ?」
「はいはい。それじゃ、いってらっしゃ――」
あまりにも自然に口を衝いて飛び出した、人を送り出す言葉に驚いて言い淀んでしまった。
まだ小さな子供の頃から、ママは朝から晩までずっと仕事尽くめでわたしが送り出すことはもちろん、送り出してもらえることだってほとんどなかった。
もちろん、家政婦さんには毎日送り出されていたけれど、わたしが誰かを送り出すことなんて一度もなかった。
それなのに、そんな人を送り出す言葉が、あまりにも自然と口をついて出た。
バイトの時間がギリギリだったのだろう、慌てて飛び出していったアイツにはわたしの声は届いていなかったに違いない。
一人残された部屋でなんだか気恥ずかしくなって、むにゅむにゅと頬を摘まんで表情をほぐし火照った顔を手のひらで扇ぐ。
どうにも落ち着かずうろうろと狭い室内を行ったり来たりしていると、座卓の上にアイツが書き置きしようとしていたメモ紙が目に留まった。
手に取ってみると、先ほど直接聞いたカレーを温め直して食べるよう事細かに指示が書かれていた。
そして最後に付け加える形で、
『いいか幸帆。万が一、火が出てしまったらすぐに消防に電話しろ。お前に出来ることは何もない。番号は119。どうせ暇だろうから最悪の場合を想定して遺書を書いて――』
まで読んで、握りつぶしてゴミ箱に叩き付けた。
とにかく腹が立つ!
今後は絶対に、いってらっしゃいなどと言ってやるものかと拳を握りしめて誓う。たかがカレー温めるくらいのこと、わたしの女子力を侮るんじゃないわよ!
一向に治まらない苛立ちを意気込みに変え、わたしはかつてないほどのやる気を漲らせてカレーの鍋を見下ろしてやった。
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