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「……お前、なんで頷いてんだよ?」

 言いたいことは山ほどあるが襖越しの親父に聞こえてしまってはまずい。


 細心の注意を払い声のボリュームを極限まで落として、ぺたんと座り込んだまま硬直している鳴海(なるみ)を見下ろす。


「仕方ないでしょ!? あの状況で他に選択肢なんてないじゃない!」

「声がでけえ。……お前がつまんねえ見栄張るからだろ」

「うっ……、じゃあ真潮(ましお)くんはわたしの忠実なしもべですって言えば良かったの?」

「いつ俺がお前のしもべになったんだ、嘘が深まってんじゃねえか」

「だから仲良くしてるって言うしかないじゃない! どうしろって言うのよ!?」

「声がでけえ。……にしてもだな、ちゃんと説明すれば親父だって――」

「そもそも兄妹ってだけで並んで寝ろだなんて言われると思わないでしょ!?」

「……その点については、うちの親父は昔からあんな感じでちょっとズレてるんだ」

「くっ……、そうみたいね……」

「少しは否定しろよ。この場でお前が否定を放棄したら親父の非常識が確定するだろ」

「アンタが言ったんでしょ!?」

「声がでけえ。いまからでもきちんと説明すればいくら親父でも――」

「待って。そんなこと言ったら、わたしがつまんないわがまま言ってるみたいじゃない」

「いやお前、今この瞬間にいたるまでずっとつまんないわがまましか言ってないぞ?」

「うっさいのよ! とにかく仁井谷(にいや)さんにがっかりされるわけにいかないわ」

「……お前、今日一日だけで俺が何回がっかりしたと思ってんだよ?」

「アンタが気に障るようなことばっかり言ってわたしを苛つかせるからでしょっ!!」

「声がでけえ。……はあ、だったらもう仕方ないな」

「え、ちょっとどうしてこっちに近付くのよ? ほんとに並んで寝るつもり!?」

「声がでけえ。狭いんだから並べて布団敷くしかねえだろ。ほら、ちょっとそっちに寄れよ」

 元々、俺の部屋として使っていた一間には小ぶりではあるがタンスを置いているし、いまは化粧品置き場と化したローデスクも置かれている。


 したがって二人の人間が寝るためには、大袈裟ではなく本当に肩と肩が触れ合うくらいの距離感で並んで寝る以外に手段はない。


「ぜ、絶対こっち寄ってこないでよ!? 来たら蹴るからね!? 絶対に蹴るからねっ!?」

「お前こそいびきがうるさかったら鼻つまむからな」

「はあっ!? いびきなんてかかないしっ!?」

「声がでけえ。……もうわかったから電気消すぞ」

 声のボリュームが壊れたままの鳴海に言い返す元気も失って、返事も待たずに明かりを消してもぞもぞと布団をかぶった。


 これ以上は無理なほど端まで身体を寄せて鳴海に背中を向けると、追いかけるように隣から漏れていた明かりも消えた。親父も布団に入ったようだ。


 枕元に置いた目覚まし時計の秒針の音がやけに鮮明に耳につく。


 あまんじてこの状況を受け入れはしたものの自分の背後に同じクラスの女子が横になっているのだ。ほんのわずかに布団の擦れる音がするたびにビクッと意識が覚醒してちっとも眠れる気がしない。


 そのままどれくらい時間が過ぎただろう、眠れずに身体を強ばらせていた俺をあざ笑うみたいに、あろうことか背後からすやすやと小さな寝息が聞こえてきた。


 我が耳を疑った。あれだけ近寄ったら蹴るだのと言い放っていた鳴海はあっさりと眠りに落ちたようだった。

 

 なんだよこいつ幼児かよ。過剰に意識していたのが自分だけだと思い知らされたみたいで、緊張して損したと大きく深呼吸した瞬間、ドスッと腰の辺りににぶい衝撃が走った。


 あまりの不意打ちに痛みよりも驚きが先行して呻き声も出なかった。


 首だけ捻って背後を見やると、暗がりに慣れた視界に足を伸ばして蹴りを繰り出している鳴海の姿が映り込んだ。


「……おい、俺そっちに寄ってなんて――」

 近寄ったら蹴ると宣言されていたが身じろぎ一つしていないのに蹴られたのだ。


 さすがに苛立ってしまい小声で文句を言いかけて、驚いた。鳴海は今なお規則的な寝息を立てていた。


 おそらく寝たふりなどではなく完全に眠っている。念のため恐る恐る頭を持ち上げて眺めてみると、掛け布団を蹴り飛ばして文字通りの大の字になって眠っていた。


 なんだよこいつ、マジで幼児かよ……。

 掛け布団を掴んで被せてやりながら呆れ果ててしまう。


 すやすやと穏やかな寝息はすっかり熟睡している様子でまったく起きる気配もない。性格だけじゃなくて寝相まで悪いとかベタなキャラ付けがこってりし過ぎだ。


 まだたったの二日しか経っていないのに、もうすでに気疲れでへとへとになっていた。明日からも続くこの生活を思うだけで魂が抜け落ちそうな重い溜息が零れてしまう。


 そうは言っても明日は月曜だから学校があるのだ。早起きして弁当を作らなければならない。もちろん二人分だ。


 冷蔵庫に残っている食材を思い返して献立を考えながら、とろとろと忍び寄ってきた睡魔に抗うことなく身を委ねた。――ところで、また蹴られた。

 

 思い返しても腹立たしいのだが、諦めて数えるのを止めるまでに五回蹴られた。


 本当に眠っているのか疑いたくなる無意識の攻撃は、ほどよく睡魔が忍び寄ってくるたび繰り出された。明け方近く、止めとばかりに蹴られた時には軽い殺意さえ覚えてしまった。


 翌朝、弁当作りと併せて朝食の支度を終えて鳴海に声をかけると、昨日までと同じく襖の隙間から這い出てきて食卓に着いた。

 最初は低血圧なのかと思ったが、たぶん寝相が壊滅的に悪すぎて寝ながら疲労しているのだ。もう一種の睡眠障害だ。然るべき医者の判断を仰げよ……。

 

 だからといってそんなことを伝えても信じないに決まっているし、やれ近寄ってきただの、やれ寝顔を見ただのと大騒ぎするに決まっている。


 俺は見えている地雷をそれでも踏み抜くほど愚かじゃない。言わぬが花なのだ。






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