13
今日の鳴海は出掛ける直前に耳の下あたりで髪を二つにゆるく結んでいた。学校での鳴海はさらさらなセミロングの黒髪のおかげで清純派美少女と称されていたが、髪を結んでいる印象は俺の知るかぎりなかった。
「癖っ毛って、今はそんな風に見えねえけど?」
「……お風呂で濡れると癖が出るのよ。あと乾燥しすぎても出る」
「ふーん、どんな感じになるんだよ?」
「え? ……やだ、言いたくない」
プイッとそっぽを向いてしまい、それっきり口をつぐんでしまう。
自分が癖っ毛ではないため、濡れると出る癖とやらがどの程度のものか知りたかった。
なぜなら今日一日、ドラッグストアと家具量販店で会計を済ませる際に鳴海がこそこそと金額を気にしている様子には気が付いていた。
母親の再婚相手の家でやっかいになるに当たって、金銭面がまるで気にならないほど非常識ではないようだった。自分が支払っていない自分の買い物に対して人並みに気が引ける感性を持ち合わせているようで安心した。
「着いたぞ」
「……え、ここって」
話の途中で口をつぐんでしまい、俺の後ろを俯いてついてきていた鳴海に声をかけると、顔を上げてわかりやすい困惑の色を浮かべた。
「お前の目にどう映ってるかは知らないが、ここは家電量販店だ。いるんだろアイロン」
「え、でも……」
「俺はまずこの大荷物をサービスカウンターに預けてくる。早く帰って洗濯物取り込まないといけねえんだから、お前は先に売り場でどれにするか選んでろよ」
昨日までまったく別の生活水準で暮らしていたのだから、お互いの金銭感覚が根本的にズレているのは当然だった。
にもかかわらず傲慢が服を着ているみたいな鳴海が、癖っ毛という自分のコンプレックスを端に置いて気を遣っている。そんな殊勝な態度を見せられては無視して帰宅なんて出来ないだろ。だからこれは出来た妹へのご褒美だ。
それに鳴海のさらさらで艶のある黒髪は、廊下ですれ違う生徒が皆振り返ってしまうほど綺麗なのだ。それが月曜からいきなり癖っ毛になっていたりしたらクラスのみんなが驚くだろ。
サービスカウンターに荷物を預け、ヘアアイロン売り場へ向かうと商品棚の前で立ち尽くす鳴海の姿を見つけた。展示見本に手を伸ばしかけて、やっぱり引っ込めるを繰り返している。
「これか? 俺には違いとかわかんねえからさっさと選ん――、って、マジかよ……」
照れ隠しの無愛想な口調で声をかけたのだが、最後のマジかよは掠れて声にならなかった。
表示された価格が想定よりずっと高額だった。世の女性はこんな髪をどうにかするだけのものにこれほどの投資をしているのか……?
これは非常にマズい。格好付けてさっさと買いに行くぞなんて言った手前、価格を見てからやっぱり無理なんて言えるはずがない。それは男の沽券に関わる。
そんな中、愕然と泳がせた視線の先に似たアイロンが並んでいるのが見えた。何らかの機能差を小さなマークで示しているようだったが、挟んで温めてどうにかするための構造は全て同じはずだ。
「こ、この、こっちの右端のやつじゃ――、おぅ、……ダメ、なのか?」
辛うじて平静を装いながら提案を試みる。裏返りきった声に張りなどなく、もはや男の沽券がどこに行ってしまったのか見当も付かない。たぶん、その辺に転がっているのだろう。
よくわからない機能の差で価格もしっかり下がってはいたが、おそらく最も安価な商品に表示された価格でさえ想定していた額を大幅に超えていることに変わりはなかった。
「ダメじゃないけど、……いい。買わなくて」
「いや、いるんだろ?」
今日一日を通してのわがままっぷりがどこに行ってしまったのか、鳴海はらしくない仕草で俯いて力なくふるふると首を振る。
正直、買わなくていいと言うのであれば願ってもないことだ。けれど、そんな風に何かを堪えて俯く横顔にはべったりと心残りが張り付いているではないか。
――その顔は卑怯だ。妹にそんな顔をされてしまったら兄は決断するしかないじゃないか。
「ダメじゃないならこれにするぞ」
「え、ちょっと……」
商品札を抜き取ってレジに向かう。後ろで何か声が聞こえたが耳は貸さない。
強がっているが手痛い出費だ。店員に価格を提示され、今日一日使っていた財布とは別の財布を取り出して支払いを済ませた。
俺が普段使っている財布とその中身は生活費として親父から手渡されているものだ。
日々の生活費はこれで賄っているのだが、たった今取り出した別の財布は俺がバイトをして稼いだものだ。
万が一、生活費がピンチに陥った時のために貯金に回した残りをコツコツと備えていた。幸いこれまでの生活で万が一が起こったことはなかった。
決して潤沢とは言いがたい生活費でそれでもなんとか回してきたからだ。
そんな生活状況においても、このヘアアイロンだけは買わざるを得ない。格好付けた手前後に引けないこともあるが、困っている妹を放っておけない兄としてのプライドが勝った。
「ほら、これで済んだな? 俺はスーパーで晩飯の買い物して帰るから、お前は持てるだけの荷物持って先に帰ってろ。これ鍵な」
想定外な出費の興奮に早口に捲し立ててヘアアイロンとその他の買い物袋を押しつける。そして返事は待たずに踵を返してスーパーに向かって歩みを進める。
鳴海がどんな顔をしていたのかはわからない。だって仕方ないじゃないか、血が滲みそうなくらい噛み締めた唇を見られるわけにはいかないのだから。
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