10
知らない匂いで目が覚めた。
それが何かを焼いている匂いだと気が付いて、薄く開いた目で覚めきらない頭のままぼんやりと天井を見つめる。
ここはどこだろうと思いながらカーテンの隙間から差し込む朝日に目を細める。眩しさから逃れようと布団を被り直し、ハッと覚醒した。
隣の部屋からは、なにやら水を流す音だったりコンロに火をつける音が聞こえてくる。
低血圧な上に枕が合わなかったせいで眠れた気がしない。他人の枕なのだから合うはずがないのだけれど。
受け入れたくなかったが夢なんかじゃなかった。部屋の端にひとまず寄せられたわたしの荷物が、否応なく無情な現実を突き付けてくる。
ここは仁井谷さんの部屋だ。
いや、仁井谷さんの連れ子の仁井谷真潮の部屋が正しいのだろうか。別にどっちだっていい、わたしの置かれた現状に変化はないのだから。
のろのろ布団から抜け出して襖をわずかに開けて覗き見ると、昨夜わたしが椅子だと思って腰を下ろした座卓という名の低いテーブルに朝食を並べている最中のようだった。
「起きたか?」
「……う、うん」
「ちょうど朝飯の準備が出来た、さっさと食べるぞ」
襖の陰から片目だけで覗き見ていたわたしを気配で察知したのか、仁井谷真潮はこちらに目もくれることなくせかせかと食器を並べながら独り言みたいに言ってきた。
食パンの焼けるいい匂いに鼻をくすぐられ、わたしは促されるままに部屋から出て並べられた朝食の前に腰を下ろす。
わりとしっかり目に焼かれたトーストと、半熟っぽい目玉焼きに付け合わせのレタスとポテトサラダが添えられていた。
「トースト、マーガリン塗るか?」
「……うん」
「それと、目玉焼きは何かける? 醤油で良いか?」
「……うん」
「あとは、お前って寝るときブラするのか?」
「……うん。……うん?」
矢継ぎ早に質問を投げかけられ、ぼんやりしたまま頷いて返していたのだが、明らかに違和感を覚える耳に馴染まない問いかけに思わず顔を上げる。
いま、なにかおかしなことを質問された気がする。
そして考えるよりも先に流されるまま答えてしまった気さえする……。
仁井谷真潮はトーストにがりがりマーガリンを塗りつけて、わたしのひそめられた眉を気にする様子もなく目の前に置いてくれる。寝起きでぼんやりしていて聞き間違えたのだろうか?
「じゃあ飯が済んだら、さっさと脱げよ」
今度は目玉焼きに醤油を垂らしながらあいかわらずテキパキと促してくる。
「は? ……脱げ?」
「ああ、さっさとしたいんだ。食ったら早く脱げ」
「さ、ささっ、サイテー!! 朝からなに言ってんのよイヤらしい! 信じらんない!」
「言っとくが洗濯だからな? 洗濯機を何度も回す暇ねえんだよ」
「どさくさにブラのこと聞き出して何のつもりよ! この変態陰キャぼっちスケベ!!」
寝起きでぼんやりしていたせいか、パーカーのファスナーが下がって胸元がはだけていた。手遅れかもしれないが慌ててパーカーの前を掻き合わせて座卓からジリジリ後ずさる。
「肩書きを増やすな。洗濯だっつってんだろ。朝っぱらからおかしな想像してないでさっさと食えよ。洗濯済ませないとお前の買い物に出掛けられないだろ」
呆れた表情を浮かべて仁井谷真潮は抑揚なく淡々と説明しながらトーストに齧り付く。
「いちいち言葉が足りてないのよ! わたしに勘違いさせたそっちが悪いんでしょ!」
「どこに勘違いするポイントがあったんだよ……? ほら早く食えよ。さっさと洗濯済ませて大荷物を片付けて買い物に出掛けて、もたもたしてると今日中に終わらねえよ……」
こっちを見るでもなく指折り数えながらぐちぐちとぼやく姿にさらなる苛立ちを覚える。
「洗濯って、もしかしてアンタのパンツや靴下とかも一緒に洗うの……?」
「お父さんの洗濯物を嫌がる年頃の女子高生みたいなこと言うな」
「絶賛年頃の女子高生だけど!?」
「だったらずっと洗濯しないで着てろよ」
「イヤよ! そんなこと出来るわけないじゃない! なんでそんないじわる言うのよ!」
苛立ちを抑えきれずに声を荒げると、まるで張り合いなくこっちを見ようともしていなかった仁井谷真潮は、目玉焼きを摘まんでいた箸を置いてまっすぐにわたしを見据え、
「あのな、たった二人分の洗濯を二回もするなんて時間の無駄なんだ。わかるか?」
「うっ……」
「それにな、水道捻って出てくる水だってタダじゃねえんだぞ? わかるか?」
「うっ……、わ、わかってるわよ……」
真っ正面から諭すように正論を畳み掛けられ返す言葉もない。
「だったら、さっさと食ってさっさと脱いで洗濯物をまとめて出せ。全部だぞ?」
部屋の隅に置かれた洗濯かごを指差し、箸を握りなおして再び目玉焼きに取り掛かる。
徹底的に論破されてしまい悔しさに歯噛みしていると、
「あー、洗濯ネットがねえ。面倒だがお前の下着、特にブラは今日のところは手洗いだな」
ふと思い至った様子で顔をしかめながら、そんな信じられないことを口惜しそうに呟いて目玉焼きを頬張った。
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