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これは、とある兄妹の身に降りかかった、見方によっては少しだけ珍しい物語だ。
誰に語って聞かせるわけでもなく、そんな語り口を脳内で紡いでみる。そうすることで、これから起こる出来事から現実逃避を試みているのだが、我ながら往生際が悪いな。けれど、そんな逃避で気を紛らわせないと、これから遂行する任務への覚悟が決まらないのだ。
たった今、授業の終了と昼休憩の始まりを告げるチャイムが鳴り終わったところだ。
俺はこれから超重要な任務に取り掛からなければならない。本来は朝一番にでも済ませるべきだったのだが、あまりにも気が進まなかったせいでここまで引き摺ってしまった。これ以上は後回しに出来ない。出来ないのだが、どうにも気が重い……。
この気の重さは、毎月の光熱費の請求額を確認する時に匹敵する。しかし、これからの生活に密接に関わってくる事案への確認作業なのだ。やるしかないのだ、相手のためにも。
これ以上ぐずぐずして対象が席を離れてしまうと余計に面倒なので覚悟を決めて席を立ち、教室の中央やや後方辺りに位置する目標を見定める。
よし、目標はまだのんびり席に着いたまま教科書とノートを片付けているようだ。
意を決して一つ大きく深呼吸をし、ゆっくりと歩みを進める。
「すまん、ちょっといいか?」
目標の席の目の前に立ち、俺は極めて自然を装いながら声をかけた。直前の決意が嘘みたいにまるで力の籠もっていない消え入りそうな声量に自分で驚いてしまう。
俺の目標である鳴海幸帆はピクッと反応を示して手元から視線を持ち上げ、座ったまま首だけ捻ってチラリと後ろを振り返った。
そこに男子が座っていることを確認すると、セミロングのさらさらな黒髪を優雅な仕草で耳にかけながら視線を手元に落とした。
「いやいや、鳴海。お前に話しかけたんだが……?」
「え、……わたし?」
改めて視線を持ち上げた鳴海はきょろきょろと周りを見渡してから自分の顔を指差し、くっきりとした大きな目を見開いた。
いったいどうしたらこの距離で自分に声をかけられたのではないなんて思えるんだ?
「ああ、そうだ。ちょっと――」
「ん、待って待って。えーっと……、あなた誰? どこのクラスの人?」
さっそく本題を切り出そうとしたところ、すげなく手のひらで遮られ真顔で問われた。
心外だった。なにしろ俺と鳴海はクラスメイトだ。高校二年生になり同じクラスになってもうじき一ヶ月となる。
全員の名前まで把握せずとも顔を見ればクラスメイトかどうかくらいの判別はつくだろう。にもかかわらず鳴海は俺のことを認識していなかった。
まだだ、まだ終わらんよ。こんな段階で心を折られている場合ではない。まだこのクラスになって一ヶ月だ。接する機会だってこれまでなかったのだから仕方ないともいえる。
「えっと、……俺の名前はに――」
「あ、やっぱりいいや。それでわたしに何か用なの?」
すでに認知していて然るべきクラスメイト相手に、改めて個人的な自己紹介を強いられるという屈辱を堪えながら口を開いたのに、名乗る直前で再び遮られてしまった。
俺の名前は仁井谷真潮、くらい言わせろよ。そっちが訊ねてきたんだろうが。
確かに俺は引く手数多なイケメンでもなければ部活で目立つタイプでもない。明るさが取り柄なクラスのムードメーカーでもない。名乗ることを拒絶されたら俺にはもう切れるカードがねえ……。
「ああ、その……、大事な用があるんだ」
「大事な用……?」
仕方なく本来の用件を優先して軌道修正すると、俺の言葉をオウム返しにしながら鳴海はコテンと首を傾げて、すんなりと伸ばした指先を顎に添えてみせる。
あざといとしか思えない仕草だったが、そんな仕草が極めて自然なくらい板についてしまうほど目の前の女子は端的に言って美少女だった。
この鳴海幸帆という女子は学年で一、二を争う容姿の持ち主としてその名を馳せていた。当然ながら学年カースト最上位の陽キャグループに属して男子のみならず女子からも羨望を集める絵に描いたような勝ち組美少女だ。
そんな校内随一の人気者な美少女様に確認しなければならないことがあるのだ。
「ああ。その、教室だとちょっと……、人に聞かれても問題あるから、悪いが誰もいないところに来てくれないか?」
「え、誰もいないところ? やだよ」
俺が言い終わるなり、まるで考慮することもなく即答で拒絶された。
「いや、あの、マジで大事な話なんだ」
「え、やだよ。やだやだ」
ほとんど条件反射並の速さで拒絶されてしまう。
やだやだって笑顔を浮かべたまま首を振る仕草は可愛らしいのだが目が笑っていない。冗談めかした態度ではあったが、視線に含まれた徹底的な拒絶を前に狼狽えてしまう。
「……いや、えっとだな、冗談抜きで本当に大事な話が――」
「じゃあ、ここで話して?」
「いや待て。大事な話って言っただろ? 人に聞かれるとマズいから……」
「え、やだやだ。人に聞かれるとマズい話なんてわたし聞きたくないよ」
「いやいや、こんな人前でするような話じゃないって言ってるだろ? すぐに済むから――」
「あー、うんうん、そっかそっか、なるほどねっ。告白でしょ? ごめんなさい!」
「――は? い、いや、ちょ、待て!?」
与えられた任務をこなすため、なんとか人のいない場所へと誘い出そうとしていたのは確かだ。
それをどう解釈したのか、鳴海はひらめいたようにパッと形の良い眉毛を持ち上げて、訳知り顔でそんなことを言いながら手を合わせてきた。
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