第9話「アイとの出会い(再)」
通知が届いたのは、翌朝だった。
紙ではなく、電子通知だった。連の情報端末に着信して、連がカイに見せた。CCAの公式フォーマット。紋章入りの書類が、画面の中で冷たく光っている。
「任意同行の要請だ」連は言った。「任意、とは書いてあるが——」
「任意じゃない」ソウが言った。「CCAの任意同行は、断れば強制に切り替わる。法的根拠は能力管理法の第十七条。『未登録能力者は監視対象とし、必要に応じて出頭を求めることができる』」
「詳しいな」
「一度、やられたことがある」ソウは短く言った。
カイは通知を見た。出頭先はCCA第十三区連絡所。期限は今日の夕方六時。応じない場合は「強制出頭手続きに移行する」と書かれている。
強制出頭。
つまり、捕まえに来る。
「どうする」連が聞いた。
「考える」
カイは端末を連に返した。
◇
考える時間は、二時間もなかった。
午前十時。廃ビルの扉が開いた。
アイだった。
今日は制服を着ていた。紺色のCCAの実習生コート。識別章がある。でも左腕のバッジが、いつもより下についている——急いで着たのか、それとも意図的にずらしているのか。
「先に来た」アイは言った。入口の前に立ったまま、中を確認するように見回した。「通知、届いたよね」
「届いた」
「私が出したわけじゃない」アイは言った。「上官の判断だ。私には止める権限がなかった」
「わかってる」
「でも——来た」アイはカイを見た。「選択肢がある。話を聞いてほしい」
◇
五人が、ランタンの光の中に座った。
カイとアイ、ソウ、連、ナナセ。奇妙な組み合わせだった。CCAの実習生と、元格闘家と、情報屋と、能力を奪われた少女と、模写能力者。それぞれの事情が全部違う人間たちが、同じ場所に座っている。
アイが話し始めた。
「CCAが動いた理由は二つある」アイは言った。「一つは、カイの自発動が報告されたこと。マーケット側から情報が流れた。もう一つは——昨夜の炎獄の件が、CCAに伝わった。炎獄が任務を達成せずに引いた。その理由を調査する過程で、カイの関与が浮かんだ」
「炎獄が話したのか」ソウが聞いた。
「違うと思う」アイは言った。「炎獄は報告を誤魔化したはずだ。でも——CCAの中に、マーケットから直接情報を受け取っている人間がいる。そちらから入った可能性がある」
「二重スパイだな」連が言った。
「そうなる」アイは頷いた。「CCAの内部にいるマーケットの協力者。誰かはまだわからない。でも、その人間がカイの情報を上に伝えた。だから上官が動いた」
「上官はどちらの人間だ」カイは聞いた。「マーケットと繋がっているのか」
「わからない」アイは少し目を伏せた。「信じたい。でも確証がない。コマンダー・セキという人間で——能力管理に関しては正直な人だと思う。でも、プロジェクト・ミメーシスのことを知っているかどうか、私には判断できない」
部屋が静かになった。
カイはアイを見た。アイは目を伏せたまま、手を膝の上に置いている。嘘はついていない——感情を読む能力のない今でも、それはわかる。アイがこういう時に嘘をつかないことを、カイは十六年の記憶で知っている。
「選択肢というのは何だ」カイは言った。
「二つある」アイは顔を上げた。「一つは、今日の通知を無視して逃げること。CCAは強制出頭に動く。逃げ続けることになる。マーケットにも追われながら、CCAにも追われる。それは長続きしない」
「もう一つは」
「私と一緒に、CCAに行くこと」
ソウが少し動いた。反射的に、体が構えたような動きだった。連が目を細めた。ナナせは静かにアイを見ている。
「CCAに行って、どうなる」カイは聞いた。
「私の上官に会ってもらう。カイの事情を話す。プロジェクト・ミメーシスのことも、端末のことも、全部」アイは言った。「リスクはある。上官がどちら側の人間かわからない以上、情報を開示することで状況が悪化する可能性もある。でも——」
「でも?」
「カイが一人で戦い続けるより、CCAの中のまともな人間と組んだ方が、マーケットに対抗できる可能性が高い」アイは言った。「私はそう思う。組織の中に、プロジェクト・ミメーシスを問題だと思っている人間は、何人かいる。その人たちと繋がれれば——」
「おれを、組織の道具にしようとしているのか」
「違う」アイは即座に言った。「カイに決めてほしい。私がお膳立てをして、カイが選ぶ。それだけだ。私はカイをどこかに売り渡したいわけじゃない」
カイは少し間を置いた。
「お前が個人として来た理由は何だ」
「組織として来たら、選択の余地がなかったから」アイは言った。「強制出頭より先に、カイ自身が選べる状況を作りたかった」
◇
ソウが口を開いた。
「アイさん」ソウは言った。「一つ聞く。コマンダー・セキという人間は、フジサキ・ユウの名前を知っているか」
アイは少し考えた。
「……知っていると思う。ただ——どれだけ知っているかは、わからない。プロジェクト・ミメーシスの関連資料のうち、CCA内部でどこまで開示されているかが、私には把握できていない」
「篠崎コウイチとは面識があるか」
「ある。第一課の先輩だ。今は入院中で、面会制限がかかっている」アイはソウを見た。「あなたは——ソウさん、ですよね。元格闘家の。トウジさんから聞いた」
「トウジ爺さんはよく喋る」ソウは言った。「俺の能力を、マーケットが奪った。そういう話も聞いたか」
「聞いた」
「だとしたら——俺の件も、CCAの案件になるはずだ。能力の強制抽出は、能力管理法上の重大犯罪だ。でも俺の訴えはCCAに受理されなかった。五年前に」
アイは黙った。
「握り潰されたんだ」ソウは静かに言った。「誰かが。だからCCAを信用するかどうかは——カイが決めることだ。俺には決める立場がない」
アイはソウをしばらく見ていた。それから、頭を少し下げた。
「すみません。CCAの一員として、謝ることしかできない」
「謝罪を求めてるわけじゃない」ソウは言った。「ただ、事実として伝えた」
◇
カイは立ち上がった。
部屋の端まで歩いて、壁の前に立った。端末をポケットから取り出した。篠崎コウイチが守ったもの。母と父の記録が入っている。フジサキ・ユウが篠崎に頼んで、十六歳になるまで守らせたもの。
答えを出すための材料を、頭の中に並べた。
感情が薄いから、感情では決められない。好き嫌いでも、怖いかどうかでも、決められない。損得で考える。
CCAに行く場合——情報が開示される。上官が信頼できない人間なら、状況が悪化する。でも、組織の中のまともな人間と繋がれれば、マーケットへの対抗手段が増える。篠崎コウイチとの接触も、可能になるかもしれない。
逃げ続ける場合——マーケットとCCAの両方に追われる。仲間が増えてきたが、それは同時に守るべき人間が増えたということでもある。連、ナナセ、ソウ、トウジ。この人たちを巻き込み続けることになる。
計算をしても、答えは出なかった。どちらのリスクも、高い。
でも。
カイは、決める基準を変えた。
損得ではなく——何のために、という問いで。
何のために、CCAに行くか。何のために、逃げ続けるか。
「アイ」カイは振り返った。「一つだけ確認する」
「何?」
「お前は、おれと一緒に戦えるか。組織の命令ではなく、お前自身の意志として」
アイは少し間を置いた。
「……できる」アイは言った。「私はカイの姉だ。組織の前に、それがある。どんな命令が来ても、カイを売ることはしない」
「もし上官がどちら側の人間だったとしても?」
「もしそうなら——上官に逆らう」アイは言った。静かに、でも迷いなく。「私の能力は感知だ。人を追うことも、守ることもできる。私はカイを守る側で使う。それは、CCAに入った時から決めてたことだ」
カイは端末を握った。
「行く」カイは言った。「今日の夕方、一緒にCCAへ行く」
◇
決めた後、準備の時間があった。
ソウは「俺は行かない。表に出るべき立場じゃない」と言った。「連絡手段を確保しておけ。何かあったら動く」連は「俺も行かない。情報屋は組織に顔を見せない。でも中の情報は取り続ける」と言った。ナナせは「あたしは……」と言いかけて止まった。
「ナナセ」アイが静かに言った。「七瀬ナナセ。あなたの能力抽出の件は、CCAの案件になりうる。一緒に来てもらえると、証言として力になる。強制じゃない。でも——もし来られるなら」
ナナセは少し黙った。
「……行く」ナナせは言った。「一人でここにいるより——動いた方がいい気がする」
「ありがとう」アイは言った。
◇
出発まで、少し時間があった。
カイは屋上に上がった。アイがついてきた。二人で、ネオ東京の昼を見た。雨はやんでいて、今日は珍しく曇り空だった。雨のない空は、灰色でも広く感じる。
「カイ」アイが言った。
「何だ」
「感情、今日はどのくらいある」
カイは少し考えた。正直に答えることにした。
「薄い。でも——消えてはいない」
「何が残ってる」
「わからない」カイは言った。「でも、何かがある。消えないものが」
「感知で触れていいか」
「ああ」
アイがカイの右手に触れた。感知が起動する。静かな能力が、カイの内側に入ってくる。探っている。昨日と同じ、アイの感知がカイの模写と触れる感覚。
そして——何かが起きた。
昨日と同じ現象だった。アイの感知とカイの模写が干渉して、共鳴する。でも今日は、昨日より深かった。カイの中の「消えない核」が、アイの感知に反応して、わずかに熱くなった。
「……また、共鳴してる」アイは低い声で言った。「昨日より強い」
「なぜ強くなる」
「わからない」アイは手を離した。「でも——二つの能力が引き寄せ合ってる感じがする。同じ根を持つものが、近くにいると反応するみたいに」
同じ根。
カイは端末を取り出した。母フジサキ・サキの能力は「感情伝導」だった。他者の感情を読み取り、共有し、増幅させる力。アイの「感知フィール」は——能力の流れを感じ取る力。
似ている。
感情を読む、という点で、母の能力とアイの能力は近い場所にある。
「アイ」カイは言った。「お前の能力は、誰から受け継いだ」
アイは少し止まった。
「お母さん……私たちの、お母さんから」
「お母さんの能力は何だった」
「私が生まれてすぐ亡くなったから、直接は知らない」アイは言った。「でも施設の記録に——『感情感知能力者』って書いてあった」
カイは端末を握った。
感情感知。感情伝導。感知フィール。模写ミメーシス。
全部が、同じ場所から来ているのかもしれない。母の話が、もっと複雑に絡んでいるのかもしれない。今はまだわからない。でも——アイの能力とカイの能力が共鳴する理由が、そこにある気がした。
「トウジに、もう一度話を聞く必要がある」カイは言った。
「今日の後で、聞けると思う」アイは言った。「CCAに行って、上官と話して——その後で、一緒に聞きに行こう」
一緒に。
その言葉が、カイの中で小さく揺れた。感情の空白の中でも、それは揺れた。二年ぶりに会った姉が、一緒にと言っている。
「……ああ」カイは言った。
◇
夕方五時半。
四人で廃ビルを出た。カイ、アイ、ナナセ、そして——連が「やっぱり俺も行く」と言って加わった。「情報屋として、現場の状況を把握しておきたい。中には入らない。外で待つ」と言った。それが連なりの判断だった。
ソウは廃ビルの入口で見送った。
「行ってこい」ソウは言った。それだけだった。
カイは頷いた。
第十三区の路地裏を歩いた。夕暮れ時の第十三区は、昼より少し明るく見える。ネオンが灯り始めて、汚れた雨の乾いた石畳を照らしている。住民たちがちらちらとカイたちを見た。CCAのコートを着たアイを見て、それからカイを見て、何も言わずに視線を戻した。
第十三区の東側に、CCA連絡所があった。
古いビルの一階を改装した、小さな事務所。入口に識別チェックの機械がある。アイがバッジを翳して、カイとナナせを「同行者」として登録した。機械が緑のランプを点灯させた。
扉が開いた。
カイは一瞬、止まった。
「カイ」アイが横で言った。「大丈夫」
「大丈夫じゃないかもしれない」カイは言った。「でも——行く」
扉の中に、入った。
◇
連絡所の奥に、上官がいた。
コマンダー・セキ。五十代の女性だった。短い灰色の髪。制服を正しく着ている。目が鋭くて、でも怒っているのではなく——考えている目だった。カイを見て、それからナナセを見て、また静かにカイに視線を戻した。
「鏡ヶ原カイ」セキは言った。「座れ」
カイは座った。アイが隣に座った。ナナせは少し離れた椅子に座った。
「模写ミメーシス能力者だな」
「そうです」
「プロジェクト・ミメーシスのことは、どこまで知っている」
カイは少し止まった。隠すことに意味はない、と判断した。
「端末の中の文書を読んだ。三十ページ以上。自分の名前が入っていた。両親の話も聞いた。フジサキ・ユウの名前も知っている」
セキは黙った。長い沈黙だった。表情が動かない。何かを判断している。カイにはその判断の中身が読めなかった——感知も模写も、今は使っていない。ただの十六歳として、向かい合っている。
「……篠崎から連絡があった」セキはやがて言った。「先週、意識が戻った後に。『カイが端末を持っているはずだ。守ってやってほしい』と言われた」
カイは動けなかった。
「篠崎は、私の部下だった。十年間。プロジェクト・ミメーシスの問題を、私に話してくれたのも篠崎だった。私は五年前から、内部調査を進めていた。でも——マーケットとの繋がりを持つ人間が、CCAの上層にもいる。動けば潰される。慎重に動く必要があった」
「つまり」カイは言った。「あなたは、マーケット側の人間ではない」
「そういうことだ」セキは言った。「ただし、証明する方法を今すぐ提示できない。信じるかどうかは、お前が決めることだ」
◇
カイはアイを見た。
アイは小さく頷いた。信じていい、という目をしていた。
カイは端末を取り出した。テーブルの上に置いた。
「篠崎さんが守っていたものです」カイは言った。「中身は読んだ。でも、全部は理解できていない。あなたが信頼できる人間なら——一緒に解読してほしい」
セキは端末を見た。長い間、見ていた。
それから、手を伸ばして——端末を、カイの方に戻した。
「お前が持っていろ」セキは言った。「それはお前のものだ。見せてもらうことはある。でも、預かるべきものじゃない」
カイは端末を受け取った。
感情が薄い。でも今——セキという人間への評価が、一つ動いた。端末を返した。その行動一つで、計算の結果が変わった。
「一緒に動けるか」カイは言った。
「動ける」セキは言った。「ただし——条件がある。お前を保護対象として登録する。CCAの庇護下に入ることで、少なくとも組織からの追跡は止められる。マーケットへの対応は、一緒に考える」
「ナナセは」
「七瀬ナナセも同じだ。能力抽出の被害者として、案件を受理する」セキはナナせを見た。「五年前のソウの件も——時効にはなっていない。洗い直す」
ナナせが、わずかに体を動かした。
セキは立ち上がった。書類を取り出して、テーブルに置いた。
「今日は正式な手続きはいい。まず話を聞く。全部、最初から話してくれ」
◇
二時間、話した。
カイが話して、アイが補足して、ナナせが確認して。セキは途中で何度か質問したが、否定はしなかった。記録を取っていた。手書きで、紙に。電子記録は避けているらしかった。
夜の八時に、連絡所を出た。
外に連が待っていた。「どうだった」と聞いたので、「悪くなかった」と答えた。連は「そうか」とだけ言った。
四人で歩いた。第十三区の夜は、ネオンが滲んでいる。雨が降り始めていた。
「カイ」ナナセが歩きながら言った。
「何だ」
「今日——感情、少し戻った気がした」
「どういう意味だ」
「動いたから」ナナせは言った。「何かを決めて、動いた。そしたら少しだけ、何かが増えた気がした。あたしの感情が」
カイは少し考えた。
「模写とは逆だな」カイは言った。「おれは使うたびに減る。お前は動くたびに戻る」
「逆なのかな」ナナセは言った。「もしかしたら——同じかもしれない。能力と感情が繋がってるなら、動くことで能力も感情も動く。減る方向と増える方向があるだけで、動いているのは同じ場所のものかもしれない」
カイはナナセを見た。
この少女は、体で考える。研究者のように言語化するのではなく、経験から直接、答えに近いものを取り出してくる。
「トウジに話してみる」カイは言った。「お前の考え方が、フジサキの理論と繋がるかもしれない」
「うん」ナナセは言った。「一緒に聞きに行きたい」
「行こう」
◇
廃ビルに戻ると、ソウが待っていた。
「どうだった」ソウが聞いた。カイが「悪くなかった」と答えると、ソウは「そうか」とだけ言って、それ以上は聞かなかった。
夜が深くなった。
カイはランタンの光の中で、端末を持っていた。返してくれた、というセキの行動が、頭の中にある。端末を持っていろ、と言った。お前のものだ、と言った。
お前のものだ。
母と父の記録。篠崎が守ったもの。フジサキ・ユウが渡すように頼んだもの。おれのもの。
そうなのかもしれない、とカイは思った。
自分のものを、持っている。失ったものがあっても、持ち続けているものがある。感情が薄くても、この端末がある。ソウから受け取った炎の記憶がある。ナナせとの約束がある。連の情報網がある。アイがいる。
消えないものが、増えている。
感情の空白の中に、少しずつ、重みが積もっている。それが何かはまだわからない。でも——確かに積もっている。
カイは端末を胸ポケットにしまった。
ランタンの光が揺れている。雨が降り続けている。ネオ東京では、いつも雨だ。
でも今夜の雨は——昨日より少し、遠い音がした。
◇ ◇ ◇
次話 第十話「共感感知」
セキとの連携が始まった翌日、アイの「感知フィール」がカイの感情喪失の深刻さを正確に計測する。「このまま使い続ければ、三か月以内に感情がゼロになる」——アイの言葉と、それを聞いたカイの反応。感情がなくなった自分を、カイは恐れているのか、いないのか。




