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第4話「端末の秘密」

 問題は、読み取り機器だった。




 端末は金属製の旧式ストレージで、接続端子の規格が現行のものと合わない。今のネオ東京で流通しているリーダーは全部、新規格に統一されている。旧規格に対応した機器は、正規の店では手に入らない。CCAか、政府機関か、あるいは——裏ルートで動いている誰かか。




「三日かかる」と連は言った。「機器を探す。それまで待て」




「わかった」




「ナナセはどうする」




「ここに置く」カイは答えた。「一人にするな」




 連は少し考えてから頷いた。「俺もしばらくはこの区から離れない。ただ——マーケットはまた来る。今夜のは末端だったが、次はそうじゃないかもしれない」




「わかってる」




 わかっている、と言いながら、カイに具体的な対策があるわけではなかった。能力は使えるかどうかわからない。端末の秘密もわからない。何一つ確かなものがない状態で、ただ時間だけが過ぎていく。




 それが——三日後に終わった。







 連が連れてきたのは、予想外の人物だった。




 老人だった。




 七十近いか、あるいはもっと上か。小柄で、背が丸くて、白髪が薄い。着ているのは古い作業着で、右手に小型のツールバッグを持っている。目だけが若い。灰色がかった目で、品定めするようにカイを見た。




「トウジさん」と連が紹介した。「元マーケットの技術者だ。今は——足を洗って、第十三区で静かに暮らしてる」




「元、というのが重要だな」老人——トウジは低い声で言った。「今は何もしていない。ただの老人だ」




「でも読めますか」カイは端末を差し出した。「この規格」




 トウジは端末を受け取った。表面を親指で撫でる。ナンバープレートを確認する。それだけで、表情が変わった。




 固まった、と言う方が正確だった。




 一瞬だけ、完全に動きを止めた。老人の目が、端末からカイに移った。また端末に戻った。




「……どこで手に入れた」




「ある人から預かった。CCAの人間だった」




「篠崎か」




 カイは反応できなかった。




「篠崎コウイチという名前の男か」トウジは静かに言った。




「……知ってるのか」




「知っている」トウジはゆっくり言った。それ以上は語らず、端末を手の中で転がした。「読めるかどうかは、機器次第だ。持ってこい」




「連が探してます」




「私の工具の中にある」トウジはツールバッグを置いた。「端子変換アダプター。三種類持ってきた。どれかは合う」







 合ったのは、二種類目だった。




 トウジが接続して、小型のビュワー端末に繋いだ。古い型のリーダーで、画面が黄ばんでいる。データを読み込む間、誰も口を開かなかった。ランタンの光の中で、ビュワーのインジケーターが点滅する。




 ナナセが少し離れた壁際に座って、こちらを見ていた。




 読み込みが終わった。




 トウジがビュワーの画面を確認した。表情が、また動いた。今度は固まるのではなく、何かに耐えるような顔をした。皺が深くなる。老いた手が、わずかに震えた。




「……読んでください」カイは言った。




「読む前に一つ聞く」トウジは画面を見たまま言った。「お前の名前は何だ」




「鏡ヶ原カイ」




「生まれはいつだ」




「二〇七三年、三月。でもなぜ——」




「両親を知っているか」




 カイは黙った。




 両親の顔は知らない。記憶にない。第十三区の施設で育った。施設の記録には「両親不明」とあった。そのことをカイはほとんど疑問に思ってこなかった。第十三区では珍しくない。親が死んだか、捨てたか、あるいは能力犯罪で収監されたか——どれでも同じで、結果は同じだった。




「知らない」




「そうか」トウジは短く言って、ビュワーをカイに渡した。「読め」




 カイは画面を見た。







 最初に目に入ったのは、プロジェクトの名称だった。




「プロジェクト・ミメーシス」




 その五文字が、画面の上部に大きく表示されていた。CCAの内部文書らしく、フォーマットは官僚的で無機質だった。日付は五年前。概要の欄に、短い説明文がある。




「対象:鏡ヶ原カイ(被験体コード:KK-001) 能力特性:模写型・接触感応。接触した能力者の力および記憶・感情を複製する特異能力。発現予測年齢:十六歳。現在の所在:第十三区、NA登録施設。観察継続中」




 カイは画面を見たまま、動けなかった。




 観察継続中。




 五年前から。CCAは五年前から——カイのことを知っていた。観察していた。追いかけてきたのではなく、最初から存在を把握したうえで、泳がせていた。




「これは」カイはなんとか声を出した。「どういうことだ」




「続きがある」トウジは言った。「スクロールしろ」




 カイは続きを読んだ。




 文書は三十ページ以上あった。全部は読めない。でも要点は見えた。一行一行が、脳に刻み込まれるように入ってくる。




「模写能力の発現には、特定の触媒が必要。推奨触媒:データ感応型ストレージ端末(型番:MX-77)に記録した能力波形データとの接触。被験体が端末に触れた際、記録された能力波形が模写能力を起動させると推測される」




 端末。




 あの夜、篠崎コウイチが渡した端末——それは、カイの能力を「起動させる」ために作られたものだった。




「端末は触媒だったのか」カイはトウジを見た。「おれの能力を、目覚めさせるための」




「そう読める」トウジは静かに答えた。




「なぜ篠崎がそれを持っていた」




「それも書いてある」




 カイはさらにスクロールした。文書の後半に、「搬出計画」という見出しがあった。




「プロジェクト・ミメーシスの被験体データおよび触媒端末を、CCA内部の不正組織の手が届かない場所へ移送する。担当:篠崎コウイチ主任捜査官。移送先:——」




 そこで文書が途切れていた。移送先のページが、削除されている。




「誰かが消した」連が後ろから覗き込んで言った。「ページ単位で抜かれてる」




「追手がやったのか」




「か、篠崎自身が消したか」トウジが言った。「移送先を知られないために」




 カイは画面を閉じた。




 頭の中が、奇妙に静かだった。怒りも混乱もあるはずなのに、感情が薄いから、全部が霞の向こうにある。ただ情報だけが、冷たく積み重なっていく。




 おれは五年前から観察されていた。




 CCAは、おれの能力を知っていた。




 端末は触媒だった。




 篠崎コウイチは、それを「不正組織の手が届かない場所へ」移そうとして——返り討ちに遭った。




「不正組織というのは」カイはトウジに言った。「マーケットか」




「そこだ」トウジは重い口調で言った。椅子に深く座り直して、両膝に手を置いた。「私が話さなければならないことがある。お前に——聞く権利がある」







 トウジが語り始めた。




 声は低くて、感情を抑えていた。でも言葉の一つ一つに、何かが詰まっていた。長い年月をかけて積み上げてきた何かが。




「私は二十年前、マーケットの前身組織にいた。能力データの解析と記録を担当していた。その頃から、CCAの一部とマーケットは繋がっていた。表向きは敵対しながら、裏では情報を売買していた」




「知ってた」カイは言った。連から聞いた話と一致する。




「プロジェクト・ミメーシスは、マーケットとCCAの共同研究だった」トウジは続けた。「模写能力者を人工的に作り出す研究。接触した能力を複製できる人間は、理論上——どんな能力者にもなれる。それは、マーケットにとって最高の商品だ。CCA内の腐敗した連中にとっては、最高の戦力になる」




「人工的に、作り出す」カイは繰り返した。「おれは」




「お前の能力は、生まれつきのものじゃない」トウジはカイを真っすぐ見た。「正確には——潜在能力として存在していたものを、五年前の段階で研究者が観測した。そして端末を使って『起動させる』ことにした」




「誰が決めた」




「プロジェクトの主任研究者だ。名前は——」トウジは少し止まった。「フジサキ・ユウという。今は消えている。組織の中で何かがあって、十年前に姿を消した」




 フジサキ・ユウ。




 知らない名前だった。でも、何かが引っかかる。引っかかるのに、つかめない。感情が薄いせいで、直感の端緒が霞んでしまう。




「おれの両親は」カイは言った。「知っているか」




 トウジは答えなかった。




 答えない、ということが答えだった。




「知ってるんだな」




「……今は言えない」トウジは目を伏せた。「言う前に確かめることがある。私が持っている情報が正しいかどうか。確かめてから話す」




「いつだ」




「時間をくれ。一週間」




 カイは黙った。一週間。長い。でも、トウジが嘘をついていないことは——感情の残滓でわかる。この老人は何かを知っていて、何かを恐れていて、それでもカイに話そうとしている。急かしても、逆効果だ。




「わかった」カイは言った。「一週間待つ」







 トウジが帰った後、倉庫に残ったのはカイとナナセと連の三人だった。




 連はすでに何か考えている顔をしていた。情報屋の顔で、入ってきた情報を整理している。カイは壁にもたれて、天井を見ていた。




「プロジェクト・ミメーシス」ナナセが呟いた。「あたしの名前も、その文書にあった」




 カイはナナセを見た。




「どこかで見たの」ナナセは静かに言った。「あたしが抽出された場所。施設の壁に、書いてあった。小さな字で。プロジェクト・ミメーシス、被験体KK-001の補助実験。そういう文字が」




「補助実験」




「能力を抽出するための実験だったって、後から気づいた。あたしの水の能力が、特定の条件下でどう変化するか——それを調べてた。たぶん、あなたの能力と組み合わせたらどうなるかを」




 カイは端末を見た。




 おれとナナセは、同じプロジェクトの中にいた。




 それは偶然じゃない。連が「等価交換」として端末のナンバーを写真に撮った。その買い手が、ナナセをこの区まで逃がした可能性がある。全部、誰かが設計した動線の上にあるのかもしれない。




「連」カイは言った。「端末のナンバーを売った買い手は誰だ」




「言えない、情報屋の——」




「原則、だろ」カイは続けた。「でも今は状況が違う。その買い手が、プロジェクト・ミメーシスに関係している可能性がある」




 連は少し黙った。




 珍しいことだった。連はたいていすぐに答えを返す。考え込むということが少ない。




「……名前は知らない」連はゆっくり言った。「でも、一つだけ言える。その人は、お前の味方だと言っていた」




「どういう意味だ」




「『鏡ヶ原カイに端末が渡ったことを確認したい。彼は安全でいるか』——そういう聞き方をしてきた。商品の確認じゃなかった。人間の安否確認だった」




 カイは黙った。




 篠崎コウイチが移送しようとしていた何か。プロジェクト・ミメーシスのデータ。フジサキ・ユウという消えた研究者。そして——カイの味方だと言う、名前のない誰か。




 全部が、一本の線の上にある。




 その線の先に、おれがいる。







 夜が深くなった。




 ナナセは壁際で眠っていた。連は「見回りをする」と言って出ていった。カイは一人でランタンの光の中に座って、端末を手に持っていた。




 模写ミメーシス。




 他者の能力を複製する力。接触した相手の感情と記憶が流れ込んでくる。使用後、自分の感情が消える。




 生まれつきじゃない、とトウジは言った。




 でも——今この手の中にある。確かに存在する。おれの中に宿っている。どんな経緯で生まれたとしても、今はおれの力だ。




「おれは奪う」カイは小声で言った。眠っているナナセに聞こえないように。「でも、守るためだ」




 端末が、わずかに温かかった。




 気のせいかもしれない。でも、金属が体温で温まったのとは違う、微かな熱があった。まるで端末の中に眠っているデータが——まだ、何かを語りかけてくるような。




 カイは目を閉じた。




 一週間。トウジが話してくれるまでの一週間。その間にまた追手が来るかもしれない。アイが動くかもしれない。マーケットが「もっと上」を寄越すかもしれない。




 でも今夜は——静かだった。




 恐ろしいくらい静かな、内側の世界。感情が薄い。でもその奥の、もっと深いところに、小さな何かがある。炎のようなもの。引力を使ったあの瞬間に感じた、あれと同じものが。




 消えていない。




 まだ、そこにある。




◇ ◇ ◇




次話 第五話「模写ミメーシス


一週間後の夜、廃工場に追手が現れる前に——カイは初めて「自分の意志で」模写を発動させることに挑む。触媒なし、接触なし、ゼロから。アイが現れ、二つの能力が共鳴する。そして、カイの右目の色が変わり始める。

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