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第13話「能力売買の実態」

返信は、三日後の夜に来た。




 連が端末を見て、少し止まった。止まり方が、いつもと違った。情報屋として情報を受け取る時の止まり方ではなく——何かに驚いた時の、人間の止まり方だった。




「来た」連はやがて言った。




「買い手からか」




「ああ」連は端末をカイに見せた。「読んでくれ」




 短いメッセージだった。




「会いたい。場所はこちらが指定する。来られるなら、今夜。一人で来るなら、危険はない。複数で来るなら、こちらも準備する。選択はそちらに任せる——ユウ」




 ユウ。




 カイは一文字を見た。名前の一文字だけが署名として書かれている。




「フジサキ・ユウだ」連は言った。静かに、でも確信を持った声で。「本人が、出てきた」







 ソウが「一人で行くな」と言った。即答だった。




「危険はないと書いてある」




「そういう文句を信じる人間が生き延びられるなら、この街はもっと平和だ」ソウは言った。「せめて二人で行け。俺が一緒に行く」




「複数で来るなら準備する、と書いてある」




「それは脅しじゃない」連が言った。「読み方の問題だ。複数で来るなら、向こうも複数で備える、ということだ。来るなとは言っていない。選択はこちらに任せる、と書いてある。つまり——複数で行っても、会う意思はある」




「連の読み方が正しいとは限らない」ソウは言った。




「正しくない可能性もある」連は認めた。「でも——フジサキが今さら罠を仕掛ける理由がない。罠なら、もっと早く動けた。おれが最初に接触した時点で、動けた。それをしなかった」




 カイは二人の話を聞いていた。




 感情が薄い。だから、怖いという感情より先に、計算が動く。フジサキが罠を仕掛けるメリットとデメリット。メリットは——カイを捕まえること。でも、それはマーケットがやることで、フジサキがやる理由にはならない。フジサキはマーケットから逃げた側だ。デメリットは——信頼を失うこと。長年隠れて生きてきた人間が、今さら信頼を捨てることを選ぶ理由がない。




「行く」カイは言った。「ソウも来ていい。ナナセは残れ」




「あたしも行く」ナナせは言った。




「危険かもしれない」




「カイだって危険かもしれない」ナナせは静かに言った。「でも行くんでしょ。あたしも——フジサキさんに直接、聞きたいことがある。能力返還のことを」




 カイはナナセを見た。




 ナナセは迷っていなかった。




「わかった」カイは言った。「全員で行く」







 場所は第七区の地下だった。




 指定された住所を連が地図で確認すると、廃棄された地下鉄の旧路線上にある場所だった。ネオ東京の地下には、三十年前まで動いていた地下鉄の路線がいくつかある。新路線に切り替わった後、旧路線の一部は封鎖された。でも封鎖されただけで、壊されてはいない。




「地下鉄の廃線跡か」連は言った。「十年間、そこに隠れていたということか」




「隠れるには向いている」ソウは言った。「電気は通っていないが、構造物は残っている。雨もしのげる。地上からのアクセスが難しい」




「その割に、おれたちへの連絡は取れた」カイは言った。




「ネットワークは持っている、ということだ」連は言った。「情報を遮断して隠れているのではなく、情報だけは持ちながら、姿を消している。それは——能動的に隠れているということだ。見つかりたくないのではなく、準備が整うまで待っている、という可能性もある」




「何の準備だ」




「わからない」連は言った。「でも今夜、聞ける」







 第七区は第九区より静かだった。




 夜の十時を回ると、人通りがほとんどなくなる。能力登録率は高いが、歓楽街ではない。工場区域に近い第七区の夜は、機械の低い音だけが響いている。




 四人で歩いた。




 指定された入口は、古いビルの地下駐車場だった。封鎖の札が貼ってあったが、連が触れると簡単に外れた。裏から誰かが外してある、と連は言った。




 地下駐車場から、さらに下へ続く階段があった。




 降りた。




 暗かった。連が小型ライトを出した。コンクリートの壁に、古い路線図が貼ってある。黄ばんで、端が剥がれかけているが、まだ読める。三十年前のネオ東京の地下鉄路線図だった。




 さらに降りると、プラットフォームがあった。




 旧地下鉄のプラットフォーム。レールは錆びている。天井が高い。空気が冷たくて、かすかに金属と土の臭いがする。ホームの端に、光があった。




 ランタンの光。




 その前に、人が立っていた。







 一人だった。




 六十代か、もう少し上か。中背で、白髪が多い。着ているのは地味なジャケットで、手に何も持っていない。目が——目だけが、違った。老いているのに、どこかまだ燃えているような目。研究者の目だ、とカイは直感した。長年、何かを見続けてきた人間の目。




 男はカイを見た。




 長い間、見た。




「カイ」男は言った。声が、わずかに震えていた。「大きくなった」




 カイは少し止まった。「知っているのか、おれを」




「知っている」男は言った。「生まれた時から」




 ユウ、という署名。フジサキ・ユウ。母の兄。




「フジサキ・ユウか」




「そうだ」男は頷いた。「お前の叔父になる。サキの兄だ」







 プラットフォームの端に、木箱が並べてあった。




 四人が座った。フジサキが向かいに立った。ランタンが二人の間を照らしている。




「十年間、どこにいた」カイは言った。




「ここだ」フジサキは言った。「第七区の地下。ずっとここにいた」




「十年間、ここに」




「一人ではない。数人、同じ状況の人間が、この地下に住んでいる。マーケットから逃げた者、CCAの腐敗組織に追われた者——何人かが、この場所を共有している」




「なぜ今まで出てこなかった」連が言った。「カイが第十三区にいることを知っていたなら、もっと早く接触できたはずだ」




「できなかった」フジサキは言った。「接触するには、相手の能力が発現していることが必要だった。カイが端末に触れて、模写ミメーシスが起動するまで、接触する意味がなかった。端末の中のデータは——カイの能力が起動した後でないと、意味をなさない設計になっている」




「なぜそういう設計にした」




「マーケットとCCAの腐敗組織が狙うのは、能力者だからだ」フジサキは言った。「カイが能力者でない間は、狙われない。NAのままでいれば、安全だった。でも能力が起動した瞬間から——狙われる。だから、できるだけ遅く接触させたかった。お前の能力が固まってから、準備が整ってから」




「準備が整った、というのか」




「整っていない」フジサキは首を振った。「整う前に、お前が動いた。マーケットと戦い、CCAに追われ、ここまで来た。俺の計画より、ずっと速かった」







 カイはフジサキを見た。




 感情が薄い。怒りも、懐かしさも、安堵も——どこまであるかわからない。でも、この目を見ていると、何かが動く気がした。消えない核のあたりで。




「サキのことを、話してほしい」カイは言った。




 フジサキは少し目を伏せた。




「話す。でも——その前に、見てほしいものがある」フジサキは立ち上がった。「ここではない。もう少し奥に、来てくれ」







 旧地下鉄のトンネルを、百メートルほど歩いた。




 ランタンを持ったフジサキが先を歩く。四人がついていく。トンネルは真っすぐで、床が乾いている。壁に古いポスターが貼ってあった。三十年前の広告が、黄ばんで剥がれかけている。




 突き当たりに、扉があった。




 フジサキが扉を開けた。




 中に入った瞬間、カイは足を止めた。







 広い部屋だった。




 旧地下鉄の車両基地か、整備室か。天井が高くて、広い。その中に——棚が並んでいた。




 棚の上に、ガラス管が並んでいた。大きさは様々で、小さなものは親指くらい、大きなものは腕ほどの長さがある。ガラス管の中に、光が揺れている。青や緑や赤や、色が違う。ゆっくりと動いている。生きているもののように。




「何だ、これは」ソウが言った。




「能力だ」フジサキは静かに言った。「マーケットが抽出した能力を——ここに持ってきた」




「持ってきた?」連が言った。「どういう意味だ」




「マーケットが抽出した能力は、保存媒体に格納される。ガラス管型の保存容器に入れて、取引される。俺はその一部を——マーケットの倉庫から、盗み出した」




 カイは棚の前に立った。




 ガラス管の中の光を、近くで見た。青い光が揺れている。生き物のように、ゆっくりと。これが——誰かの能力だ。誰かの体から抜き取られた、感情と能力のエネルギーが、ここに閉じ込められている。




「何本ある」カイは言った。




「二百四十七本」フジサキは言った。「十年かけて集めた。一度に盗めば発覚する。少しずつ、少しずつ。取引記録を追って、保管場所を特定して、少しずつ抜いてきた」




「なぜ」




「返すために」フジサキは言った。「能力を取り戻させるために。俺の研究では——返還の技術が完成していた。でも実際に返すためには、何が必要か」




「能力そのもの、が必要だ」カイは言った。「抽出された能力が、ここにある」




「そうだ」フジサキは言った。「でも、返還の技術を実行できる者が——俺にはいなかった。一人ではできない。媒介が必要だ」







 カイはフジサキを見た。




「媒介が何か、わかる」カイは言った。




「わかるか」




「模写ミメーシスだ」カイは言った。「おれの能力が——能力を受け取って、返す。その媒介になれる」




 フジサキは少し目を細めた。「研究書を読んだわけではないのに、なぜわかる」




「感覚だ」カイは言った。「自分の能力を使っていると——受け取る方向だけじゃなく、逆方向の感触も、たまにある。うまく言えないが、流れが双方向な気がする」




「正確だ」フジサキは言った。「模写ミメーシスは、接触によって能力と感情の流れを作る。その流れは——方向を制御できれば、逆転させられる。送り返すことができる」




「だからおれが必要だったのか」カイは言った。「媒介として」




「お前が必要だ」フジサキは言った。「でも——強制はしない。選択はお前にある。これは、俺のための頼みではない。ここにある二百四十七人分の能力を、本来の持ち主に返すための話だ」




 カイは棚を見た。




 二百四十七本のガラス管。二百四十七人の、誰かの感情と能力。




 ナナセを見た。ナナせが、棚を見ていた。目が動かない。どのガラス管が自分のものかを探しているのか、あるいはただ、同じ経験をした人間の数に圧倒されているのか。




「連」カイは言った。「リンの能力は、ここにあるか」




 連が、フジサキを見た。




「リン——」フジサキは少し間を置いた。「レンの妹か。七年前に、第十三区で抽出された子どもの能力」




「知っているのか」連が言った。




「記録は把握している。二百四十七本の中に——あると思う。本体がどこにいるかは、取引記録を見なければわからない。でも能力は、ここにある可能性が高い」




 連は棚を見た。




 表情が動かなかった。でも、体が少し——固まった。七年間探してきた妹の能力が、この場所にある可能性がある。その事実に、体が対応しきれていない。




「連」ナナセが連の横に立った。何も言わなかった。ただ、横にいた。







 フジサキが話し始めた。




 カイが「サキのことを話してほしい」と言っていた。フジサキはそれを覚えていた。




「サキは——研究者ではなかった」フジサキは言った。「俺の妹で、感情伝導の能力を持っていた。俺の研究を手伝ってくれていた。被験体ではなく、協力者として」




「おれの父、鏡ヶ原ジンは」




「ジンは——サキが施設で出会った男だ。NA登録者で、模写素体を持っていた。能力は発現していなかったが、遺伝子レベルでの素体は確認できた。二人は俺の研究とは別に、自然に出会った。俺が介在したわけではない」




「二人の子どもとして、おれが生まれた」




「そうだ。俺が模写ミメーシスの研究をしていた時、お前が生まれた。両親の能力が組み合わさって、理論上は最高の模写能力者になる可能性がある子どもが——研究室の隣に生まれた」フジサキは目を伏せた。「俺はその事実を、プロジェクトに開示しなかった。隠した。でも——CCAの腐敗組織が知った。マーケットとの連絡役が、知った。サキとジンが狙われた」




「なぜ二人は死んだ」




 フジサキは長い間、黙っていた。




「俺が守れなかったから」フジサキはやがて言った。声が低かった。「CCAの腐敗組織が動いた時、俺はデータを持って逃げた。サキとジンを逃がす計画があった。でも——間に合わなかった。二人が死んで、お前は施設に送られた。俺は——逃げた。逃げることしかできなかった」




 カイは何も言わなかった。




 感情が薄い。怒りが来るべき場面かもしれない。でも来なかった。来なかった理由が、感情が薄いからなのか、それとも別の何かがあるのか、カイには判断できなかった。




「十年間、ここで何をしていた」カイは言った。




「準備をしていた」フジサキは言った。「能力を集めた。返還の技術を完成させた。お前が十六になるのを待った。篠崎に端末を渡した。——全部、お前に繋げるための準備だった」




「おれに媒介になってほしかったから」




「それだけじゃない」フジサキは言った。「お前に、サキとジンの死の真相を知ってほしかった。お前に、選択してほしかった。俺が逃げた時、お前を置いていった。それは——どう詫びても、詫びられない」







 沈黙があった。




 カイは棚を見た。二百四十七本のガラス管。揺れている光。




「一つ聞く」カイは言った。「おれが媒介になって、全部の能力を返したとして——どのくらいかかる」




「一本ずつ返す場合、能力によって時間が異なる。早いもので数分、難しいもので一時間以上かかる場合もある。感情の消耗は——接触の強度による」フジサキは言った。「お前の感情値を聞いたが、二十三という値では——全部を返すことはできない。代償が大きすぎる」




「分離制御を訓練している」カイは言った。「感情の消耗を抑える方法を、アイと一緒に試している」




「知っている」フジサキは言った。「それが完成すれば——可能かもしれない。でも、まだ完成していないなら、焦ってはいけない」




「時間がない」カイは言った。「感情値が下がり続けている」




「だから——お前に来てほしかった」フジサキは言った。「返還の技術の中に、逆の効果がある。返す時に、送り返す能力の感情が——お前の感情値を補充する可能性がある」




 カイは少し止まった。




「能力を返すことで、おれの感情値が回復するかもしれない、ということか」




「理論上は」フジサキは言った。「実験はしていない。お前が最初の被験体になる。リスクはある」




「リスクの内容は」




「逆流する可能性がある。送り返す方向を制御しきれなければ、能力と感情が逆にお前の中に入ってくる。感情値がさらに下がる可能性もある」




「やってみる価値はある」カイは言った。




「お前が決めることだ」フジサキは言った。「俺には強制する権限がない」







 カイはナナセを見た。




「ナナセ、お前から始める。まず一本、試す」




 ナナせは少し驚いた顔をした。それから、頷いた。




「怖くないのか」カイは聞いた。




「怖い」ナナせは言った。「でも——カイが言うなら、やる」




「ちゃんと考えてから言え」カイは言った。「おれが言うからではなく、ナナセ自身が決めろ」




 ナナせは少し間を置いた。




「やる」ナナせは言った。今度は迷いなく。「あたし自身の選択として、やる。水が戻るかもしれないなら——試す」







 フジサキがナナセの能力のガラス管を探した。




 記録と照合して、三本目の棚の四段目に見つけた。青いガラス管。揺れている光が、他のものより少し——静かだった。水のように、静かに揺れていた。




「これだ」フジサキはガラス管をカイに渡した。




 カイは受け取った。冷たかった。金属の端末と似た冷たさ。でも——手のひらに乗せた瞬間、何かが来た。感情ではない。能力の残滓のような、かすかな熱。




「どうやってやる」カイはフジサキに聞いた。




「ガラス管を割って、能力を開放する。同時に、ナナセに触れる。模写の方向を逆転させて——送る。返す。お前の体を通じて」フジサキは言った。「今までやったことがないことだ。感覚に従うしかない」




「感覚に従う」カイは繰り返した。




「お前の模写は——感情と能力の流れだ。今まで受け取る方向で使ってきた。逆方向は、受け取る時と逆の意識を持てばいい。押し出す。外へ向ける。返す方向に、流れを向ける」




 カイはガラス管を握った。




 ナナセが前に出た。右手を差し出した。カイの手が届く位置に。




 カイはナナセの右手を握った。同時に、もう一方の手でガラス管を強く握った。




 割れた。







 流れが来た。




 受け取る流れだった。ナナセの水の能力が——外に解放されて、カイの中に入ってこようとしている。いつもの模写の感触。




 カイは逆にした。




 感覚に従って。流れを、逆に。受け取るのではなく——送り出す。水の能力を、カイの中を通り抜けさせて、ナナセに向けて押し出す。




 難しかった。




 川の流れを逆に向けるようなものだ。自然な方向に抗う。でも——アイとの訓練が、ここで繋がった。感情の層と能力の層を分ける訓練。底流だけを意識する訓練。その感触を使って、水の能力の流れだけを——逆に向けた。




 ナナせが、息を呑んだ。




「……」ナナせは何かを言おうとして、言えなかった。




 カイは逆流を維持した。感情の消耗が来た。でも——いつもより少なかった。分離制御が働いている。能力の流れを送り返す間、感情の消耗が最小限に抑えられている。




 そして——何かが、逆にカイの中に来た。




 ナナせの感情の断片が。水が動く時の感覚。波の感触。静かで、広い——水の感情。それがカイの中に、わずかに入ってきた。




 消耗ではなく、補充として。




 三十秒ほどで、流れが安定した。カイは手を離した。







 ナナせが、右手を見ていた。




 しばらく、何も言わなかった。




 やがて、右手を少し持ち上げた。




 空気が、動いた。




 倉庫の隅に溜まっていた水滴が——ゆっくりと、ナナセの手の方に引き寄せられた。一滴、二滴、三滴。空中で丸くなって、漂った。




「……戻った」ナナせは言った。かすれた声で。「水が、動く」




 誰も言葉を出さなかった。




 連が、棚を見た。二百四十七本のガラス管。その一本が、今——空になった。空になったガラス管は、光が消えて、ただのガラス管になっていた。




「カイ」ソウが言った。「お前の状態は」




「問題ない」カイは言った。「感情の消耗は——少なかった。それより、少し補充された気がする」




「感情値が」




「わからない。でも——何かが来た。ナナせの水の感情が、少しだけ」




 フジサキが静かに言った。「理論通りだ。返還の時、媒介者に感情の一部が残る。消耗を上回る場合もある」







 ナナせが水滴を空中で操っていた。




 三滴が四滴になって、五滴になって、やがて小さな球になった。光を受けて輝いている。ランタンの光が、水の球の中で揺れている。




 連がそれを見ていた。




 表情は変わらない。でも——目が、少し違った。リンの能力もここにある。一本のガラス管の中に。返せるかもしれない。リンに会えるかどうかはまだわからない。でも、能力は——帰せる場所にある。




「フジサキ」連は言った。「リンの取引記録を、見せてほしい。どこに売られたか」




「見せる」フジサキは言った。「ただし——記録が正確かどうかは保証できない。マーケットは記録を書き換えることがある」




「それでも見たい」




「わかった」







 その夜、旧地下鉄の廃線跡で、長い時間を過ごした。




 フジサキが記録を出した。連がリンの記録を確認した。取引記録には「第四区の施設への移送」と書いてあった。五年前の記録だ。その後の更新はない。




「第四区の施設」連は繰り返した。「今もそこにいるかどうかは、わからない」




「調べる」カイは言った。




「俺も調べる」フジサキは言った。「十年間、マーケットの記録を追ってきた。第四区の施設については、いくつか情報がある」




 連は頷いた。短く、でも確かに頷いた。







 帰り際、カイはフジサキと二人で少し話した。




 ソウたちは先に外に向かっていた。




「一つだけ聞く」カイは言った。「篠崎の追記に——『誰かが作ったものじゃない』と書いてあった。プロジェクト・ミメーシスが存在するのに、なぜそう書いたのか、篠崎に聞こうとしていた。お前に聞いてもいいか」




 フジサキは少し間を置いた。




「篠崎がそう書いたのは——俺が頼んだからだ」フジサキは言った。「お前に伝えてくれ、と頼んだ。研究があって、端末があって、計画があった。でも——カイという人間は、計画の産物じゃない。サキとジンが愛して作った子どもだ。それだけは、伝えてくれと」




 カイは答えなかった。




「伝わったか」フジサキは聞いた。




「……ああ」カイは言った。




 感情が薄い。でも今夜は——何かが、今まで以上に重く、胸の底に沈んでいた。重さは悲しみではない。怒りでもない。何かもっと——静かで、温かいものの重さだった。




 母と父が、おれを作ったのだ、という重さ。計画ではなく、人間として。







 地上に出ると、雨だった。




 第七区の夜に、ネオ東京の雨が降っている。ネオンの光を滲ませて、機械の低い音に混ざって。




 四人で歩いた。




 ナナせが歩きながら、右手を少し持ち上げた。雨粒が一つ、手のひらの上で止まった。空中で静止した水滴が、ランタンの光を受けて光っている。




 それを見て、連が——初めて、笑った。




 かすかに、口の端が上がった。一秒ほど。すぐに戻った。でも確かに笑った。情報屋の顔ではなく、十五歳の子どもの顔が、一瞬だけ出た。




 カイはそれを見た。




 感情が薄い。でも——見た。確かに、見た。




 ネオ東京では、いつも雨だ。




 でも今夜の雨は——ナナせの手のひらの上で、一粒だけ、止まっていた。




◇ ◇ ◇




次話 第十四話「二度目の発動」


フジサキとの連携が始まった。能力の返還を進めながら、分離制御の訓練を続けるカイ。そして——マーケットの刺客が、第九区の拠点を特定する。複数の能力者に同時に囲まれた絶体絶命の状況で、カイは複数模写に初挑戦する。

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