第1話「無能力者」
■ キャッチコピー
奪うか、奪われるか——能力社会を生き抜く少年の"狩り"と"救い"の物語
■ あらすじ
超能力が当たり前になった近未来・ネオ東京。
能力の有無が社会階層を決定するこの世界で、無能力者として差別を受け続けてきた少年・鏡ヶ原カイは、社会の底辺で日々を生き延びていた。
ある雨の夜。瀕死の謎の男から手渡された小さな端末。
それに触れた瞬間、カイは目覚める——他者の能力を「模写」する、異端の力に。
しかしその能力には、過酷な代償があった。
能力を使うたびに、奪った相手の感情と記憶が洪水のように流れ込んでくる。
そして使用後は、自分自身の感情が——すっと、消える。
国家機関・CCAに追われ、能力売買組織「マーケット」に狙われながらも、カイは叫ぶ。
「おれは奪う。でも、それは"守る"ためだ——!」
ダーク近未来×能力格差社会×感情と力の葛藤。
少年の"狩り"と"救い"の、全1000話完結物語。
■ ジャンル
ローファンタジー(現代異能)
■ タグ欄
能力バトル ダーク 近未来 能力者 バトルアクション 成長 復讐 感情喪失
雨だった。
ネオ東京では、いつも雨だ。
高さ三百メートルを超えるビル群の隙間から落ちてくる雨は、地面に着く頃にはもう汚れている。アスファルトを叩き、錆びたドブに溜まり、色とりどりのネオンサインを溶かしたような光の川を作りながら、第十三区の路地裏を流れていく。
鏡ヶ原カイは、その路地裏の奥でうずくまっていた。
右の脇腹が痛む。蹴られたのだ。何度も、何度も。痛みの種類はもう判別できないくらいに重なっていて、動くたびに体のどこかが悲鳴を上げた。濡れた地面に両手をついて、立ち上がろうとして、やめた。
意味がない、とカイは思った。
立ち上がったところで、何が変わる。
◇
「おい、まだいたのか」
声がした。路地の入口のほうから。
カイは顔を上げなかった。見なくてもわかる。木下だ。同じクラスの、炎を操る能力を持つ、Cランクの能力者。成績は普通で、顔も普通で、ただ「力がある」というその一点だけで、この学校ではヒーローのような扱いを受けている男。
「センセーが呼んでたぞ。また無断欠席するつもりか?」
足音が近づいてくる。複数。木下だけじゃない。取り巻きを二人か三人連れているらしい。
「てか、そのまま来るなよ。ボロボロじゃん、お前」
笑い声。
カイはゆっくりと立ち上がった。ふらつく体を壁に押しつけて、木下のほうを向く。案の定、後ろに二人いた。一人は氷の粒を指先でくるくると回している。もう一人は全身から微弱な電流を放っていて、雨粒がその周囲だけ弾けるように落ちている。
「なんで立ってんの」と木下が言った。まるで迷惑そうに。「どうせまた転ぶのに」
「……用があるなら言え」
「用?」木下は笑った。「別にないよ。ただ、お前が路地裏にいるって聞いたから。それだけ」
それだけ、という言葉の意味をカイは知っている。
退屈しのぎ、だ。
ネオ東京第十三区。ここは無能力者の溜まり場と呼ばれる下層区域だ。能力登録者が三割を切る、この街で最も「価値のない」エリア。学校の能力者クラスの連中が暇になると、たまにここに来て、NAをいたぶる。趣味、とか娯楽、とか、そういう感覚で。
「能力、ないの? 本当に?」氷を操る男が訊いてくる。「十六でまだ発現しないって、かなりヤバくね?」
「期限は十八歳までだろ」
「そうだけどさ。もう諦めたほうがいいんじゃない? どうせ一生NAじゃん、お前」
一生NA。
その言葉が、胸の奥の何かを静かに削っていく。
カイは何も言わなかった。反論する気力もなかったし、反論できる言葉も持っていなかった。事実として、鏡ヶ原カイには能力がない。十六年間、ずっとそうだった。それは本当のことだ。
「まあいいや」と木下は言って、右手に炎を灯した。拳の大きさほどの、橙色の火球。「少し遊ぼうぜ」
逃げ場はなかった。
路地裏の奥は行き止まりで、出口は木下たちが塞いでいる。走ることも、叫ぶことも、今のカイには難しかった。
火球が飛んできた。
カイは顔を腕で庇って、目を閉じた。
◇
衝撃は、来なかった。
代わりに、何かが崩れ落ちる音がした。
おそるおそる目を開けると、木下たちの視線が路地の入口に向いていた。三人とも動きを止めて、そちらを見ている。
入口のところに、男が倒れていた。
三十代くらいだろうか。スーツ姿だが、ボロボロに破れていて、あちこちから血が滲んでいる。右手に何かを握りしめたまま、石畳の上に伏せていた。苦しそうに息をしている。ただ、それだけで精一杯という感じで。
「なんだ、こいつ」
「知らね。でも……CCAのバッジじゃない?」
木下の声が、少し変わった。CCAという言葉が出た瞬間、取り巻きたちも空気を読んで炎と氷を消した。能力犯罪監視局の関係者に手を出せば、それはさすがにまずい。
「行こうぜ」
「え、でも——」
「行こうって言ってんだろ」
足音が遠ざかっていった。
カイは一人残されて、しばらくその場に立ち尽くしていた。
倒れた男が、また何かの音を出した。うめき声とも違う、何か。カイは迷いながらも、ゆっくりと近づいた。
男の顔は、見たことがなかった。誰でもない。ただ、ひどく傷ついていることだけはわかった。額に深い切り傷があって、雨に濡れながら血が流れている。右手が、何かをカイのほうへ差し伸べるように動いた。
握られていたのは、小さな端末だった。
金属製の、古びた、データストレージ端末。親指ほどの大きさしかない。
「……持て」
男が、かすれた声で言った。
「お前に、渡す。誰にも……渡すな」
「なんで俺に——」
「時間がない」男の目が、カイを真っすぐ見た。「お前が、いい。力を持たない者に渡すべきだと、俺は……そう思った」
力を持たない者。
NAということか。カイのことを言っているのか。
「追手が来る。早く」
カイは端末を受け取った。理由はわからなかった。ただ、この男の目が、今まで見てきた大人の目と違ったから。見下していなかった。憐れんでもいなかった。ただ真剣に、カイを「人間」として見ていた。
その瞬間、男の体から力が抜けた。
意識を失ったのか、それとも——カイには判断できなかった。
◇
走った。
端末を胸ポケットに押し込んで、ふらつく体に鞭打って、カイは路地裏を走った。追手が来る、と男は言った。誰の追手かはわからない。でも、CCAのバッジをつけた男を追いかけられるような連中が相手なら、十六の無能力者がどうこうできる話じゃない。
とにかく逃げることだけを考えた。
第十三区の路地は複雑に入り組んでいて、カイはその迷路をほぼ全て頭に入れていた。生まれた時から、この街で生き延びてきたから。右に曲がり、左に曲がり、階段を駆け下り、古い建物の隙間を抜ける。
息が切れた。
廃ビルの陰に滑り込んで、壁にもたれた。耳を澄ます。追いかけてくる足音は、ない。
ゆっくりと、端末を取り出した。
小さい。掌の中に収まる。何が入っているのかわからない。読み取る機器もない。ただ、何かが入っている。あの男が命がけで守っていた、何かが。
カイはそれを見つめたまま、しばらく動けなかった。
雨が降り続けていた。ネオ東京の夜は、いつもこんな色をしている。ネオンの光が滲んで、汚れた雨に染まって、何もかもが曖昧になっていく。
能力を持たない者に渡すべきだと、あの男は言った。
なぜ。
NAに何ができる。力もなく、登録もなく、社会の底に這いつくばって生きているだけの、何者でもない人間に——
その時。
端末が、光った。
ほんの一瞬だった。掌の中で、白い光が点滅した。それと同時に、カイの指先に、何かが走った。
電流とも違う。熱とも違う。もっと深いところへ入り込んでくる、何か。
カイは反射的に端末を握りしめた。
そして——
流れ込んできた。
感情が。
見知らぬ誰かの、怒りと恐怖と悲しみが、洪水のように頭の中に溢れた。ビジョンとも言えない断片が次々と過ぎる。燃える廊下。叫んでいる人影。研究室らしき場所。書類が散乱した机。そして、子どもが——
消えた。
カイは石畳に膝をついていた。いつ崩れたのかわからなかった。両手が震えている。
なんだ、今のは。
心臓が、ありえないほど速く打っていた。他人の感情が体に流れ込んでくる感覚——そんな経験は初めてだった。あれは夢か幻覚か。でも、あまりにも鮮明すぎた。
掌を見た。
端末はまだそこにある。光はもう消えている。
ただ、掌の感覚が変わっていた。
何かが、宿ったような気がした。
カイはゆっくりと右手を開いて、指先に意識を集中した。何もないはずの指先に、わずかな熱を感じる。錯覚だろうか。でも、確かに——
右手の指先に、小さな炎が灯った。
木下が出していたのと同じ、橙色の火球。
「——は?」
カイは声を出すことも忘れて、それを見つめた。
炎は、確かにそこにあった。指先から生まれて、雨粒を弾いて、暗い路地裏を照らしていた。
三秒後、消えた。
と同時に、カイは頭の中が空っぽになるような感覚に見舞われた。感情が、すっと引いていく。怒りも、恐怖も、さっきまで感じていた痛みすら、どこかへ消えていった。
ただ、静かだった。
恐ろしいくらいに、静かだった。
◇
それが、始まりだった。
鏡ヶ原カイが「模写」に目覚めた夜。
能力格差社会の底に沈んでいた少年が、世界で最も危険な能力者になるまでの——長い、長い物語の、最初の一歩。
翌朝、あの男の姿は路地裏から消えていた。
残ったのは、カイの胸ポケットの端末と、まだ微かに続く雨だけだった。
◇ ◇ ◇
次話 第二話「路地裏の掟」
路地裏に「能力を奪う少年」の噂が広まり始める。情報屋・連が接触してくる一方、CCA実習生・鏡ヶ原アイが現場調査に現れる。カイは初めて、自分の力の「代償」の本当の意味を知ることになる。




