元伯爵令嬢の一目ぼれ〈1〉
第三話です。
作者自身まだ学生ですので、至らぬ点も多々あるかと思いますが、何卒よろしくお願いします。
いや、かっっっこよ。
あたしの脳内は、ほとんどそれに費やされてた。
どうしてかというと、事態は数分前にさかのぼることになるのだけど。
どこかの貴族家、それも本家の者が乗っているであろう馬車に衝突しそうになったあたしは、思わず体を縮みこませた。
ここぞって時に思考はフル回転で、そのくせ体は全く動かなくて。
御者の人はがんばって馬をそらしてくれたけれど、豪華絢爛でやたら大きな馬車本体は、進路をそれずにあたしに迫っていた。
これはぶつかったら酷い刑だろうなー、もうあたしの人生終わったかも、天国のママ本当ごめんね、とか、どうでもいい事ばかりが頭に浮かんでは消えていく。
この事故自体では、死人は出ないだろう。
だけど、下手すれば処刑によってあたしが死ぬかもしれない。
あーあ、もうこんなことであたし死ぬかもしれないなんて。
ミア、野菜だめにしちゃうかも。
ごめんね。
心のなかで親友にそう告げ、覚悟して固く目をつむってから、衝撃はすぐに来た。
あたしは石畳に倒れこんでしまって、馬車は一時停止。
御者の男性がカンカンに起こっているのが分かる。
やっとで均衡を守っていた野菜たちが、音を立てて崩れ落ちた。
緩い傾斜のついた石畳を、野菜が二つ三つと転がり落ちていく。
周りの人の視線が痛い。
売り子ですら、張り上げる声を止めてこちらを「うそだろこいつ処刑確定じゃんやっば」って顔で見てる。
あたしは羞恥心と焦りで、もうすでに死にそうだった。
数分程度(数秒かもしれないけれど、嫌な時間って長く感じるものだよね)、気まずい沈黙が大通りを支配した。
誰も彼も動きを凍りつかせて、あたしたちの行方を見つめている。
それを破ったのは、馬車の扉が開く音だった。
閂の抜かれた引き戸を勢いよく押し開けたその人物は、黒髪蒼眼の男性だった。
ひょろりとしていて細身なくせに、背はやたらと高い。
なんだか狼のような男だな、というのが最初の印象。
なんか、気難しそうな人だ。
あと、着ている服が高級そう。
あたしのような町娘が着ているような質素なワンピースやスカートとは、もう比べものにならない。
そもそも素材から違う。
この街の根幹にかかわってる、ってくらい位の高い人が着るようなものだと思う。
元貴族家のあたしが言うんだから、間違いない。
今あたしが着ている服の何十倍もお金がかかっていそうだ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、するどい蒼眼と目がかちあった。
なんだか気まずい。
あたしはいたたまれなくなって俯いた。
散らばった野菜を拾うふりをして、そろりと目線をあげる。
ほんの少し見えた表情からは、その内心はうかがいしれない。
もしかしたら、怒りの極致のせいで無表情になっているのかもしれないし。
ああぁ、本当に怖い。
どうしよう、あたし今から処刑される?
こんな大勢の前で?
それか、拷問室か何かに連れて行かれるとか……。
コツ、コツとブーツの音があたしに近づいて、止まる。
あたしは体を縮みこませた。
その仏頂面が口を開くのを、あたしは俯いて待っていた。
「怪我はないか?」
ん?
今、あり得ない単語が聞こえた気がする。
あたしがいうのもなんだけど、普通ここって怒るとこじゃない?
高貴な人が村人に怒鳴りつけるやつじゃない(偏見が過ぎるけど、あたしの知り合いの貴族にそういう人居たんだよ)?
「あ、ない、ですけど」
しどろもどろに答える。
相手はそれを聞くなり、しゃがんで道に落ちていた野菜の一つをあたしに差し出した。
「すまなかった」
あたしは、驚いて顔をあげる。
まさか、貴族(しかも本家)がそんなこと言うだなんて。
怒らない、という人は多いけれど、謝る人はそうそういない。
「あ、えと。こちらこそ、不注意で。すみませんでした」
ぱちり、青い瞳と目が合った。
気まずい。
けれど、今回のあたしは目をそらさなかった。
というか、そらせなかった。
その目に吸い込まれて、視線が離せない。
丸ごと色の洪水に頭からのみ込まれてしまった感じだ。
なにより、彼は異常に顔がよかった。
あたしがこの十数年の人生の中で出会った人のうち、一番イケメンかもしれない。
顔があたしのどタイプってのもあるかもしれないけど。
涼やかな目つきと、氷のような表情。
高い鼻と薄く形の良い唇が、バランスよく細身の顔に収まっている。
スタイルも文句無しに完璧だ。
足が長いし、適度にガッチリしているけれども全体的に細身だし。
いや、かっっっこよ。
この日、あたしは人生初の一目ぼれをした。
この状況も忘れて見惚れていると、男が再度口を開いた。
「次から気をつけるように」
うん、声も好みどストライク。
ちょっと低めで冷たくて、透明感のある声だ。
「馬を出せ」
彼は何事もなかったかのように馬車に乗り込むと、ぱたんと扉を閉めた。
呆然としていた御者が慌てて馬を歩かせ始め、護衛たちもそれに続く。
子の思いもよらぬ事故は、まさかのお咎めなしで終わった。
なんと寛容な貴族がいたものだ。
カロライン家もフローレス家も、基本そういうのは許すスタイルだけど、一言も何も注意もなく終わるのは珍しいと思う。
あたしはしばらくへたり込んで呆然としていた。
大通りの人たちは、またゆるゆると日々の営みを再開させる。
あたしのことを見る、哀れみの目や心配、好奇の目もほとんどなくなった。
「あんた、運が良かったね」
通りすがりのおじさんが声をかけていた。
気が良さそうに笑っている。
「ぶつかったのがあの馬車で良かったじゃないか。他の貴族家のだったら確実に何かしらの刑にされてたよ」
「……ですよね。あの貴族、誰なんでしょうか」
あの心広いイケメン、もとい貴族は、いったい誰だったのだろうか。
あたしの問いに、おじさんは驚いたように目を見開いた。
「嬢ちゃん、知らないのかい?」
「あ、はい。こっちに来てまだ短いもので」
「おや、そうなのかい。あの人はね、名をノアといってね。ここらじゃ有名だよ」
「どの貴族家なのですか?」
おじさんは快活に笑った。
「そりゃあ、ここら一帯を統べているのはカロライン家だろう。ノア様はな、本家の人物で次期当主、つまりあととりなんだよ」
えっ。
「ええっ!?カロライン家なんですか!?」
「そうだよ」
もしもし、天国のママ、聞こえていますか。
あたしが一目ぼれをしたのは、カロライン家あととりの男でした。
「どうしろって言うの……?」
遠いとは言え親戚に恋をするだなんて。
それも、今は遠い身分の相手に。
あたしは深く深くため息をついた。
閲覧ありがとうございました。