【終章:私は、私の声で】
静寂の中で、録音インジケーターの赤いランプが点灯する。室内の音を、マイクが静かに拾い始めた。
秋津凛は、再生機の前に座り、マイクへと向かって口を開いた。
彼女の息が、わずかに震える。
だがその震えは、ためらいではなく、記憶を自らの中に確かめるような緊張だった。
「これは、私の声です。」
一語一語、彼女は確かめるように話す。
「私は秋津凛。記録に残された誰かの残響ではなく、私自身の意志でここにいます。
誰かの複製でも、代わりでもなく。
私が、私であることを、今、ここで証明します。」
録音装置が、彼女の声を静かに記録していく。
南条は黙って立ち尽くしていた。
彼はただ、少女が“声を取り戻す”その瞬間を見届けていた。
基地の外、嵐が嘘のように静まり始めていた。
観測窓の外には、薄い陽光が火星の空気を割くように差し込んでいた。赤と金の入り混じった空に、わずかに青の名残が重なる。
凛は話し終えると、マイクからそっと離れ、椅子の背にもたれた。
(凛のモノローグ)
「記録は、未来に向かって放たれる過去の光。
ならば私は、自分の光を、自分の言葉で刻みたかった。」
南条が彼女の肩に手を置く。
「君の声は、もう誰のものでもない。
君自身のものだよ。」
その時、通信コンソールが小さく点滅した。
《地球管制より通信復旧。観測隊第3班、着陸スケジュール確認中。》
外界との接続が戻った。
静かに、ゆっくりと、世界が“今”へと繋がっていく。
「帰れるんですね。」
「いや。戻るんじゃない。今が始まるんだよ。」
凛は頷き、再生ログ28のファイルを閉じた。
記録された“彼女の声”の隣に、自分の名前が並んでいた。
それは、過去と未来の境界を越えて響く、小さな、しかし確かな、ひとつの声だった。
(完)