私は罪深い身の伯爵令息です。償い。それが私の生き方。
なんかおかしいと思ったのだ。
ユリアス・テルド伯爵令息。
伯爵家の三男に育った彼はそれはもう、顔だけはとても美しかった。
両親であるテルド伯爵夫妻は、兄達には厳しく教育を施したのだけれども、ユリアスにはとても甘かった。特に母はユリアスを凄く甘やかして、
「貴方は勉強をすることはありません。ただただ、容姿を美しく磨きなさい」
徹底的に食事をある程度制限され、見目だけは美しくなることを強要された。
勉強はする必要はないと言い、見目以外は、ユリアスを甘やかし、
「ああ、ユリアス。さすがわたくしの息子だわ。とても美しくてよ。欲しい物があったら言いなさい。いくらでも買ってあげるから」
欲しいと言えば、何でも手に入った。
母はとてもとても優しく甘かったのだ。
二人の兄達は、厳しく家庭教師をつけられて、貴族としての教養を身に着けていたというのに。
自分には必要ないと。家庭教師もつけられなかった。
だから、ユリアスは自分がいかに常識外れの馬鹿だということに、王立学園に入学するまで気が付かなかった。
「あら、貴方、こんな事も解らないだなんて。どういう教育を受けてきたのかしら」
いきなり、リティリアーナ・アシェルテ公爵令嬢に声をかけたら注意された。
リティリアーナは、シェルト王太子殿下の婚約者の令嬢で、それはもう、銀の髪に碧い瞳の美しき令嬢だった。
美しい令嬢。胸がドキドキした。ただただ何も考えず気軽に声をかけた。
「私と友達になってくれないだろうか?」
と、上位の公爵令嬢に勝手に声をかけたのだ。
マナーがなっていないと、だから注意された。
マナーって?少しはマナーは解っているつもりだけれども。
美しき令嬢がいたから友達になりたいと声をかけたのに、それが無礼に当たるのか?
学園は平等ではないのか?
リティリアーナは、ユリアスに、
「貴方、生徒会に入りなさい。わたくしの命令よ。このままでは、よくないわ」
そう言って強引に生徒会へ入る事になった。
リティリアーナの周りには、騎士団長子息や、宰相子息、高位貴族の令息や令嬢達が生徒会を運営していて。
しかし、そこにシェルト王太子殿下の姿はなく。
「王太子殿下は仕事は致しませんわ。名だけの生徒会長なのですわ」
そう言われた。
そこで、色々と一般常識を教えて貰って。
自分はいかに甘やかされて、何も知らなかったのか。
兄達は厳しく教育を受けていたのに。
いつも母には褒められて、甘やかされて。
母は何を考えていたのか?
常々疑問に思うようになった。
シェルト王太子殿下は、平民の女性と親しくしているようで、
美しいユリアスも色々な貴族の令嬢から、憧れの眼差しで見られるようになった。
しかし、生徒会の仕事が忙しくて。
仲良くなった宰相子息のディードが勉強を教えてくれるようになり、騎士団長子息のレットスも、剣技をユリアスに教えてくれるようになった。
「お前、馬鹿だけれども、一生懸命、生徒会の仕事をやっているからな」
「本当に、面倒みたくなるよな」
ディードとレットスは親友同士だ。
そして一学年、ユリアスより上である。
二人はユリアスを可愛がると同時に、どうして生徒会へリティリアーナが誘ってくれたのか教えてくれた。
「あまりにもマナーがなっていないから、心配になったんだと」
「そうそう。このままじゃ破滅するよな」
ユリアスは二人の言葉に真っ青になり、
「私は母上に、凄く甘やかされてしっかりしたマナーの家庭教師もつけられなかった。一般教養の家庭教師はつけられていたけれども。兄上達には厳しかったのに。ただ、私は美しくあればいいと」
その話を聞いていたリティリアーナが、
「お母様はユリアスの事を、どう思っていたのかしら。伯爵家の令息として、他の家に婿に入るにしろ、マナーは必要な勉強でしょう?それをさせなかったなんて」
ディードの家も公爵家で、リティリアーナとは幼馴染だ。
「そうだな。何か事情があるのではないのか?」
レットスも、
「ともかく、俺はお前が心配だ。何かあったら相談に乗るから。な?」
有難い。そう思っていたユリアスだったが。
まさか、母に憎まれているとは思わなかった。
久しぶりに領地から王都に出てきた母に言われたのだ。
「仕方なく王立学園にいれたけれども、貴方は勉強する必要はないのよ。貴方は卒業したら、辺境騎士団か、アマゾネス王国へ行かせるつもりだから」
「はい?それはどういう意味ですか?」
「辺境騎士団で男達の餌食になるか、アマゾネス王国で種馬として搾り取られるか、どちらがいいかしら」
「母上は私の事を可愛くはないのですか?私の事を褒めて愛してくれたではありませんか」
母はホホホと笑って、
「お前は旦那様が浮気をして出来た子なの。まぁ庶子なのだけれども、旦那様がわたくしの子として育てろと。わたくしはずっとお前が憎かったわ。だから、うんと甘やかして不敬な事をやらかしてくれないかしらと」
「そんなことを私がやらかしたら、伯爵家だって終わるじゃないですか?」
「その時は廃籍して、罰として辺境騎士団か、アマゾネス王国へ追い払うわ。いえ、何もやらかさなくても、罪をでっちあげて、卒業したらそのどちらかへ行かせるわ。あの女にそっくりな顔で、睨まないで。余計に憎しみが増すから」
信じられなかった。
ずっと信じていた母に憎まれていたのだ。
どうしたらよいか解らず、ディードやレットスに頼った。
生徒会室にはリティリアーナも居て。
「私は卒業したら、辺境騎士団かアマゾネス王国へ行かされるようです。母は私を憎んでいて。私は母の本当の子ではなかった」
そう、ユリアスが嘆けば、
リティリアーナが、ユリアスの肩にそっと手を置いて、
「それならば、わたくしの婿の座はどうかしら」
「へ?王太子殿下の婚約者ではないですか。リティリアーナ様」
「あら、あの人、もう少しで廃籍になるようよ。わたくしに仕事を押し付けて、平民に入れあげていたのですもの。我が公爵家を馬鹿にする態度。王家に報告済ですわ。ですから、婚約が解消した暁には、わたくしの婿になって頂戴」
ああ、そうなれたらどんなに幸せか。
リティリアーナ様と一緒に仕事をしていて、色々と教えて貰った。
ディードもレットスも含めて、大事な仲間であり、リティリアーナ様に憧れていたのだ。
でも、知っている。
ディードもリティリアーナの事を愛していると。
彼はいまだに婚約者を決めていない。
そして、複雑そうな顔をしていた。
友であるディードから愛する女性を取り上げる訳にはいかない。
ユリアスはリティリアーナに、
「私ではとても力不足です。公爵家の婿が務まるとは思えません。でもそのお心、有難く思い出として受け取っておきます」
こうして、ユリアスの初恋は終わったのであった。
王立学園を卒業した頃、シェルト王太子は廃籍され、リティリアーナはディードと婚約したという話を聞いた。
ユリアスは泣きに泣いたが、泣いている暇はない。
王宮の官僚になる試験を受けて、伯爵家から出ようと思った。
母は自分の顔なんて見たくないだろう。
辺境騎士団もアマゾネス王国へも行きたくはない。
かといって、市井に下って一人で生きていける程、世間は甘くないと知っていた。
両親に頼み込む。
「父上、母上、半年だけ私をこの屋敷に置いて頂けますか?半年したら出ていきます」
母である伯爵夫人は激怒して。
「お前はもう一人前なのです。我が家で養う必要はない。出て行きなさい。辺境騎士団か、アマゾネス王国、どちらがいいかしら」
父である伯爵は慌てたように、
「半年くらい置いてやっても良いではないか。我が息子ぞ」
伯爵夫人は伯爵を睨みつけ、
「わたくしの子ではありませんわ。もし、居座るというのなら、無理やりにでも、追い出します。顔も見たくない」
兄達がやって来て、
「さっさと出ていけ」
「本当に、母上の子ではないんだって?顔も見たくない」
仲の悪い兄達にも睨まれて、家を出ていく羽目になった。
父だけはユリアスに、いくばくかのお金をこっそりと持たせてくれて。
「すまんの。守ってやれず。身体に気を付けて過ごせよ」
雨が降っていて、その中をトボトボと歩いていると、馬車が近くに止まって、ディードが降りてきた。
「行くところがないのだろう?乗るがいい」
「ディード」
「我が屋敷で面倒を見よう」
ディードに縋ってワンワン泣いた。
半年間、ディードの屋敷で世話になった。
その間に、庭で仲良く散歩をするリティリアーナとディードを見かけることが何度かあった。
自分の部屋からよく見えるのだ。
ディードはこちらを見上げて、にんまり笑った。
見せびらかしたかったのか?それでも、ただで、半年間、泊めてくれるディードに対して何も言えなかった。
リティリアーナは幸せそうに、ディードに微笑んでいて、こちらには気が付かないようだ。
必死に勉強した。
そして、半年後、王宮の官僚試験に合格して、ディードの家を出ていくことが出来た。
王宮の外に官僚達が住む寮があって、そこにユリアスも住むことが出来た。
やっと職場にも慣れ始めた頃、ユリアスは毒を盛られて倒れた。
王宮の食堂の昼食に毒が混入されていたのだ。
犯人は心当たりがあった。
そんなにも憎いのだろうか?母上は。
病院に入院したユリアスは心から絶望した。
自分は生きていてはいけない。もう、死んだ方が良いのではないのか。
捜査はされたが、犯人捜しは難航して。
そんな中、見舞いに訪れる女性がいて、
リティリアーナだ。
病院のベッドで、身を起こしてユリアスは、慌てたように、
「リティリアーナ様。わざわざお見舞い有難うございます」
リティリアーナはユリアスに向かって、
「わたくしは謝らねばなりません。わたくしは、わたくしは貴方の事を愛しているの。自分の心に嘘はつけない。それをディードは解っていて。だって、ディードとわたくしは幼馴染ですもの。だから、彼は貴方を……毒を盛ったのはディードだわ」
ユリアスは首を振って、
「ディード様は行き場のない、私の為に屋敷に半年、住ませてくれた。ディード様には恩があります。ですから、そんなことは」
「でも、このままでは貴方はまた、命を狙われるわ。犯人は証拠を残していないのだから。必ず、貴方は殺されるわ」
「ディード様に恨まれて、殺されるなら本望です。」
そう、リティリアーナの事が好きだった。
色々と教えてくれたリティリアーナ。
そして、ディードには恩がある。
例え、見せびらかす為だとしても、屋敷に住ませてくれた。
在学中は勉強を教えてくれた。
だから、もう、死んでもよいと思った。
犯人が母ならば、それでも、母は自分を憎んでいる。
自分は生きてはいけない人間なんだ。
もう、疲れた。
疲れたのだ。
リティリアーナに向かって、
「どうか、ディード様と幸せに。私への気持ちは聞かなかったことに致します」
リティリアーナは涙を流して、
「ごめんなさい。貴方が困るだけね……ディードは兄みたいな、わたくしに取ってあまりにも近すぎて。でも、貴方は違った。わたくしは初めて、恋をしたの。王太子殿下の婚約者であったのに、貴方が好きになったの」
「どうか、どうか、もう、これ以上は……」
リティリアーナには帰って貰った。
いかに、自分を愛していると言われても、どうすることも出来ない。
だから、再び、命を狙われる前に、犯人と思われる二人に接触することにした。
まずは、母に会いに行った。
「お久しぶりです。母上」
「あら、貴方、死にかけて入院したと聞いたけど、元気そうね」
母である伯爵夫人は蔑むような眼でこちらを見ていて。
ユリアスは母に向かって、
「残念ながら、生き残ってしまいました。私を殺そうとしたのは母上ですか?」
「まだ、貴方はわたくしの事を母上と呼ぶのですね。貴方を間違った教育をして、辺境騎士団かアマゾネス王国へ送ろうとした女を」
「でも、貴方は母上ですから。いかに血のつながりがないとはいえ、私はずっと母なのだと信じてきたのですから」
伯爵夫人は扇を手に、
「だったら、命を失う前に、この国を出る事ね。二度と、顔を見たくはないわ」
「母上」
「わたくしは憎い。お前とお前の母親であったあの女を。だから、もう、顔を見たくない」
そう言って、金が入った袋を引き出しから出して、ユリアスに押し付けた。
「さぁ、行きなさい」
金の袋を受け取って、ユリアスは外へ出た。
結局、犯人は母上だったのだろうか?
ディードに会いに行くことにした。
ディードのいる屋敷に行けば、部屋に通されて、
「なんだ?私に何の用だ?元気そうで何よりではないか。心配したのだぞ」
「私を殺そうとしたのはディード様ですか?」
「なんだ。ばれてしまったのか……そうだ。私だ。だって、お前は愛しいリティリアーナの心を奪ったのだろう?私はずっとずっとリティリアーナを見つめていた。幼い頃から。それなのに、王太子殿下の婚約者になってしまって。どれだけ私が苦しんだか。やっと自由になったリティリアーナ。だが、彼女の心はお前にある。なんでだ?ずっとずっと傍にいたのは私だ。何でお前の物なのだ。ばれたからには死んでもらおう」
その時、部屋にレットスが飛び込んで来た。
数人の騎士達と共に。
「リティリアーナ様から依頼されて、ずっとユリアス、お前をつけていたんだ。やはりお前が犯人か?ディード。いかにリティリアーナが好きだからって。犯罪に手を染めるなんて。俺達は親友じゃないかっ」
そういって、レットスはディードを捕まえて、縄で縛った。
ディードは涙を流しながら、
「ああ、すまない。レットス。私はリティリアーナが好きなのだよ。だから、どうしてもこの男が許せなかった」
レットスはディードを他の騎士達と共に連れて行った。
犯人は母ではなかった。
それ程までに、ユリアスはディードに恨まれていたのか。
心から落ち込んだ。
ディードは牢獄へ入れられた。
一生出てくることはないだろう。
リティリアーナから、改めて、会いたいと言って来た。
リティリアーナに会いに公爵家に出向く。
リティリアーナの父であるアシェルテ公爵も共に客間で会ってくれて、
「娘が君を望んでいる。改めて、我が公爵家に婿に来ないか?」
リティリアーナもこちらを見つめて、
「ずっと慕っておりました。ユリアス。わたくしと結婚して頂戴」
ユリアスは首を振って、
「私は罪を二つ背負っております。母上に憎まれた罪。そして、ディード様に憎まれた罪。私は罪を償う為にこれから生きていきたいと思います」
リティリアーナは叫んだ。
「何で?邪魔者はいないのよ。貴方はわたくしと結婚して幸せになるの。どうして?何で?」
リティリアーナに背を向けた。
とても、美しく優しいリティリアーナ。
でも、彼女はきっと……
牢獄にいるディードに牢屋越しに会った。レットスに頼んで会わせて貰ったのだ。
レットスと共に、牢の前に立てば、やつれはてたディードがこちらを見つめて。
「今更、何の用だ?」
「私に毒を盛ったのは、もしかしたらリティリアーナ様?」
レットスが、
「そんな?どういう事だ?」
ユリアスは、
「それ程までに、貴方を陥れて、私を手に入れたかった。貴方は絶望したのでしょう?」
「リティリアーナが毒を盛るはずはない。毒を盛ったのは私だ」
「わたくしを愛するのなら、わたくしの罪を被って。わたくしに振り向いてくれないユリアスを殺そうとしたの。だけど、わたくしが愛しているのは貴方だけよ。ディード。だから、わたくしを助けてっ。って、たぶんそんな感じで」
ディードは、背を向けて、
「そんなことは無い。私は彼女の為に罪を被る事はない。でも、ずっとずっと好きだったのだ。ずっとずっと。幼い頃からリティリアーナだけを見つめてきたんだ」
「それが貴方のあり方ですか」
「お前が憎い。だから毒を盛った。それだけだ」
レットスと共に、牢の前から離れた。
ユリアスはレットスに、
「私を牢番にして下さいませんか?これは私の罪です。一生、ディード様の為に私は働く事に致します」
レットスは頷いて、
「俺も出来るだけの事をディードの為にしてやろう。親友だからな」
ユリアスは、牢獄の牢番になった。
ディードが過ごしやすいように、気配りを欠かさなかった。
伯爵家の母に対しては、酷い母であったけれども、年に一回は、少ないお金から、菓子を送るようにした。
棄てられているかもしれないが、それ位しか思いつかなかった。
リティリアーナからはしつこく、婿入りを勧められたが、がんとして断った。
結局、リティリアーナは誰とも結婚せず、養子を迎えて、女公爵となって領地を盛り立てた。
ユリアスは、自分の罪の為に、一生結婚するつもりはなかったが、レットスの紹介により、騎士団員の身内の気立てのいい女性と知り合いになり、その女性と結婚した。
とても優しい、いい子で、ユリアスはその女性と、子に恵まれ幸せに過ごした。
何十年と経ち、ディードに、ユリアスは牢の中を掃除しながら、
「孫が生まれたんですよ。ああ、こんな罪深い身でありながら、申し訳ございません」
ディードは楽し気に笑って、
「いやいや、めでたい事だ。孫の話を聞かせてくれ」
「ええ、孫の話を致しましょうか」
そこへレットス元騎士団長が顔を見せて、
「良い酒が手に入ったんだ。久しぶりに飲もう」
「ああ、飲もう飲もう」
「美味そうだな」
三人は死ぬまで、交流を続けたと言う。
ユリアスは三人の中では、一番長生きをし、二人を見送った数年後に、子や孫に囲まれながら穏やかな一生を終えた。
自分は罪深い身でありながら、幸せで穏やかな一生を送れた。申し訳ない……
そう、言い残して亡くなったと言われている。