氷山引き
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
見えていないけれど、実はそこにあるもの。
なんともロマンにあふれる存在だと思わないかい?
現実の過酷さを知っていくと、このようなものは馬鹿げてる、子供じみてると遠ざけてがちだ。
手に触れられるか分からない幻想より、リアルに差し迫った課題とプレッシャーのほうが大問題だしな。それにしくじってしまったときのことも考えたら、余計なことに首をツッコみたくもなくなる。
ゆえに、子供時代こそ不思議に触れられるというのも、一理あるな。
大人なら手控えてしまうところを、がんがん突き進んで、時間をかけられるのだから。
僕も振り返ってみると、いろいろ不思議な体験をしたほうなんじゃないかな、と思う。
この間、実家に帰ったときに、ふとその中の思い出の品を見つけてね。つぶらやくんのネタになるんじゃないかと思って、持ってきたんだよ。
よかったら、話を聞いてみないかい?
こいつが、実家から持ってきたメガネさ。
セルフレームの、ぱっと見た感じじゃ、なんの変哲もないだろ。試しにかけてみるかい?
ん、気づいた? これ、度が入っていないんだ。伊達メガネなんだよ、普段はね。
けれど、僕たちは学校が終わると、放課後はずっとこいつをつけて、自分たちが担当する通学路を勝手に巡回し、探し物をしていた。
僕たちは俗に、「氷山削り」と称していたよ。
このメガネをしているとね、氷山が見えるときがあるんだ。ただし、子供のときだけね。
子供の僕たちが見たイメージから、氷山といったけれども、本当はもっと異なるものだったのかもしれない。
ただ、あれは夏のお祭りの出店で、機械にかけられるかき氷が一番イメージに近かったからね。そのでっかい版ともなれば、「氷山」とたとえたほうがしっくりきたんだなあ。
家の一階と二階の間くらいの高さまである、でっかく透明な四角柱型の氷の壁。
先にも話した通り、メガネをしていなくては氷山は見えない。そして、僕ら以外で道を行き来する人も、その存在には気づかない。
なにせ行く手に立ちふさがられても、触れることができないのだから。その堅牢そうな作りに反して、もしメガネ越しに見たのならば、手の込んだ飾りに思えるかもしれない。
でも、こいつは処理をしないとダメなんだ。
人がひとり通るたび、透明な氷はほんのわずかずつだが、赤みを帯びていく。
個人差があるようで、本当に赤が出たのかと思わしきときから、通過とともに、どっと紅色が、氷の内に押し寄せることもある。
そうして氷が完全に赤に染まって、向こうの景色さえも見えなくなったとき。
そこに通る生き物があれば、氷は消える。その通った生き物もろともだ。
実際、このメガネをもらった彼に、僕も以前助けられている。
まだメガネを持っていない僕が、とある路地で前行く人を追い越していこうとしたとき、ずっと前方から彼に声をかけられたんだ。「止まれ!」てね。
知らない仲にこう言われたら、ほとんどの人が足を止めるだろう。
同時に、彼がその手からひょいと、コバエのような羽虫をこちらへ飛ばしてきたんだ。
それは僕の追い抜こうとした人の2メートルほど前方へ、先にたどり着くや、ぱっと消えてしまったんだ。
目を見張る僕をよそに、先行く人はそのまま足早に進み、友達も追い越していってしまう。
それを見届けて、友達は胸をなでおろした。僕もあの人も、犠牲にならずに済んだから、とのこと。
そこで僕は、氷山の存在のこと。それがもたらすものと、対処方法を彼から学んで、このメガネを受け取ったってわけ。
僕が現役だった小学生時代に、対処したことは数えるほどしかない。そのぶん、ひとつひとつははっきり覚えているよ。
今回はその中でも、おそらく最大級の手を加えたものを話そう。
友達がやったように虫を飛ばすのは、ほぼバクチの緊急手段。本来ならば、どのようなものも犠牲にならず、済ませられるに越したことはない。
だから、学校のすぐ裏手にある通りに氷山があらわれたとき、担当区域だった僕はちょっと気を引き締めたものさ。
氷はわずかに赤みを帯びていたが、ここは歩行者も含め、車もそこそこ通行する。
大人数が乗っていれば、そのぶん赤みを帯びる早さが増すかもしれず、楽観視はできない。
ふっと、僕は小さく深呼吸する。
教えられた儀式は、難しくはないのだけど……恥ずかしい。
綱引きでやるような、ソーラン節でやるような、あの引っ張るような仕草。
こいつを氷の四隅の延長線上、3メートル以内で行わないといけない。
メガネをかけている状態で、この綱引きめいた動きをし続けていくと、対面する氷の角がじょじょに溶けて、崩れていくんだ。
とがった角の部分が取れ、氷の内側へめり込むほどになったら、その角は完了。別の角へ移らねばならない。
当然、その間も行き来はあって、僕は見られる側だ。
路上でソーラン節の真似事など、奇異なものを目にするようなもの。
深く腰を落として、見えない綱を手繰り寄せるかのような動きをする子供だしねえ。
そうして3つ目の角を終え、4つ目にかかったとき。
ワゴン車が一台、通りかかったんだよね。6人くらいは乗っていたなあ。
この時の氷、けっこう赤かったけれど、まだうっすらと向こう側が見えていた。
それがワゴン車の通過とともに、一気に視界が悪くなった。
トマトジュースで満たされたかのように、全くスキのない赤色が、瞬時に氷山へ溜め込まれたんだ。
もう、リミット寸前。ここを通したら、何者だって呑み込まれるだろう。
本当に、ぎりぎりだった
なお腰を落として巻き取る僕の動きが、最後の角をへこませきるのと、自転車に乗った子供がここを通りかかるのは、まさに紙一重。
氷山はその身も、中身も、いっさいがっさいを残さない。
角をへこまされきった時点で、ふっと見えなくなってしまうんだ。メガネをしている身であってもね。
そして自転車の子は、何事もなくその場を通過していったんだ。
つぶらやくんも、もし出先でソーラン節の練習をしているような子を見かけたら、できればその道を避けてやるといい。
大事な仕事の最中かもしれないからね。