12,怒りと伝言
誘拐事件及び出禁命令から1週間。エイ兄さまは屋敷を空けることはできない、とユリウスの元に戻り、私は無心で剣を振っていた。どこにもぶつけられない怒りは空を切ることで発散した。
朝食の前に1時間。朝食から昼食まで。昼食から夕食まで。夕食後に1時間。勉強も趣味のピアノも絵もそっちのけでひたすら1日中剣を振っていた。精霊達も心配してくれたがそれへの受け答えも満足にできない。
事態を知った父さまは怒り狂っていたが母さまのようにそれを宥める気力もない。
あの日から頻繁にあった王都からの連絡がパタリと途絶えているのだ。エルシーからも一切連絡がない。恐らく、皆監視されている。シルス様からもアクア様からも、誰からも来ない。
昂った怒りをぶつけるため、辺境伯が持っている軍に出向き1対1の勝負をし、沈めたらまた1人。全員沈めたら父さまのところに行って更に打つ。誰も私には勝てなかった。
毎日毎日基礎からやった実力に行く当てのない怒りが合わさった一撃は重く、自分より遥かに強いはずの騎士の剣をも飛ばしたのだ。
事情を知っているため騎士達も当然怒りは感じている。私達のことを発散道具として見てくれて構わない、私達も貴女で発散するといったところだ。
お互い怒りをぶつけ合う打ち合いは綺麗な訓練をしてきた王都の騎士であれば怖気付くほどのもの。
パトリック様とイヴァン様ならまあ大丈夫だと思うが。
と、イヴァン様のことを考えている時、来客の知らせが入った。
「お嬢様、騎士団のイヴァン様という方が会いたいと」
「わかった、ありがとう。すぐ行くね」
やっと何かが動く気がする。
せめて泥まみれの体は何とかしようと思っていたが、応接室に案内されていたイヴァン様と鉢合わせてしまった。
何ともタイミングの悪い。しかも去り際に「急がなくて良いですよ」と言うのも忘れないとは。気まずい思いはさせられないので常駐騎士の使うシャワー室で簡単に汗と泥を流してその辺にあった服をとりあえず着る。
「お待たせしました!」
全力で扉を開けるとメシャァと音がして右側の扉の蝶番が壁から外れた。やりすぎたらしい。
「随分と開放的になったな。場所を変えよう。この部屋はエリーゼにあげるから好きに改造しなさい」
「うっ…わかりました」
「急がなくて良いと言ったではありませんか。貴女の力で全力を出せば屋敷がいくらあっても足りませんよ」
「はい…」
ぐうの音も出ない。開放的になったあの部屋には和室を作ろう。書院造的な。あそこでまたエルシーと和菓子が食べたい。
「本日はお時間いただきありがとうございます。パトリック様の命で伝言を」
「伝言、か。我々はこの事件で相当な怒りを感じている。あと3つの辺境伯もどこからか情報を手に入れたようで現国王と王妃に反発を示している。内容によってはこの国から手を引く決断をせざるを得ない。それを踏まえてどうぞ」
若干の脅しを加えた父さまの言葉に動じることなくイヴァン様は話し出した。
「まずは王太子殿下からの謝罪です。エリーゼ様はあの日、声をかけられたのは覚えていますか?」
「誰かに話しかけられたような気はしましたが何も覚えてないです」
「その際、声をかけたというのがシルス様です。あまりにもいつものエリーゼ様ではない、と国王陛下まで押しかけたそうです。
蛮族、疫病神とは関わるなと言われ、かなり憤りを見せていましたがそれ以降常に人が側にいたため手紙すら出せない状況にあります」
「アクア様とパトリック様は職場に行ってないんですか?エルシーも別館にいると思うのですが」
職場のトイレとかシャワー室とかこの際どこでも良い。
「はい。監視されて常に行動を把握されています。エルシー様も同様に」
最悪だ。息子と思っていないのは知っていた。でもスパイのように扱われるのも良い気はしない。
「誘拐された本人は何て?」
「今のところは何も。ただ、直接手紙を預かりました。これです。どうぞ」
手紙には直接会ってお礼をしたい旨と王都内部の状況が簡単に書かれていた。他家に内部のことをバラすのは良しとされないがまあ良い。営利目的じゃないからな。
「そうか。では早めに返事を出そう」
「イヴァン様…」
「駄目です」
「まだ何も言ってないです」
「声色でわかります。駄目です」
じゃあどうしろっていうんだよ。このまま蚊帳の外で黙って見てろってこと?
「闇の精霊」
その言葉にピクリと眉が動く。
ヨルは人の心を操れる。でも多用はできない。
「ヨル、おいで」
『はぁい』
「イヴァン様、彼が闇の最上位精霊です」
『操れば良いの?王様の精神に干渉したら国家情勢に関わるよ』
「それでも良い。あんな国王要らない。少なくとも軍を率いる4つの家を敵に回したんだ。シルス様が王にならないなら私は国に一切協力しない。謀反起こしてでも引き摺り下ろす」
『顔が悪人だよぉ?操ってあげるからそんな顔しないで?ね?』
「ちょっと氷水浴びてくる」
外に出て土魔法で桶を作り、水と大量の氷をぶち込む。バシャッと音がして全身が氷に包まれた。ああ涼しい。
『ここにもぷーるができたんだね!』
嬉しそうにマリンがやってきた。マリンが近くにいる時限定で私は水中で呼吸ができる。しかし他の人には伝わらないので引き摺り出されてしまう。
「エリーゼ様、暑いとはいえ服を着たまま水に浸かるのは控えた方が良いですよ。風邪をひきますから。それと、頭は冷やせましたか?」
イヴァン様は猫を持つように軽々と私の体を持ち上げた。腕力が大変素晴らしい。
「ばっちり頭は冷えました。少し冷たいです」
「全く…僕は光属性なので体は自分で乾かしてくださいね」
「はい」
なぜ私が風を使えるとわかったのだろうか。よくわからないがとりあえず乾かそう。少し意識を集中させるだけでブワっと風が巻き上がり、服や髪が一瞬で乾く。
最初は加減がわからなくて竜巻を起こしかけたりもしたが最近は危なげなく使えるようになった。
「それで、どこまで話しましたっけ」
「国王陛下の心を操るというところまで」
「ああ、そうでしたね。怒りと一緒に記憶まで消し飛んだみたいです」
良いんだか悪いんだか、と溜め息を吐かれながら私は先程までいた部屋に戻った。
その後には私の怒りがぶり返すこともなく父さまの書く手紙の返事を落ち着いて見る余裕までできた。
「氷水、もしや万能なのでは…?」
「エリーゼ様、それは本来なら夏でも控えるべきことですよ。次は止めますからね」
イヴァン様の目力もそれなりに凄かった。流石パトリック様の想い人。強さもあるのだ。そりゃそうだ。副団長だ弱いわけない。
「ああ、シルス殿下が “面倒なことは全て任せてまずはその怒りを抑えて” と。貴女への伝言です。辺境伯所有の軍の騎士は強いですから彼らの怒りを鎮めてほしいとも言ってましたよ」
「わかりました。1週間はかかりましたがやっと関与できる。あちらもお疲れでしょうし今は大人しくパフェのレシピでも考えます。
全てが終わった後、皆には笑っていてほしいですから。おちゃらけ代表のシルス様の元気が無ければ他のテンションも下がるでしょう?」
「まあ、そうですね。パトリック様も目に見えて疲弊していましたから」
イヴァン様。無意識のうちにパトリック様の話題しか出さないのは立場的に交流が多いから?それとも自分が彼を好きだから?
…愚問だな。私が介入するメリットは無い。本人に丸投げしよう。
今回の登場人物
・エリーゼ・ガーナメント(10歳)
・イヴァン・アルスフィールド(20歳)
・ガーナメント辺境伯当主