第60回 チャーリー・カーク氏銃撃事件から、議論とは何かをちょっと考えてみた。
まえがきは割愛させていただきます。
本編が短いので、本編のみでお楽しみください。
●’25/10/6(月)
ほぼ1ヶ月前になるが、9/11にアメリカのユタ州、ユタ・ヴァレー大学で、チャーリー・カーク氏が銃撃され死亡した。
チャーリー・カーク氏はアメリカの保守派の活動家であり、大学のイベントなどで様々な議題について、学生やイベント参加者と議論をしていた方であった。
保守、リベラル関係に少しでも興味がある方であれば、きっと1度は動画を見たことがあるのではないかと思う。
銃撃した容疑者は捕まっているが、まだ裁判の途中であり、何が原因で銃撃したのかははっきりとしていない状態である。
何が原因であるにしろ、暴力で解決するやり方は絶対に認められてはいけないものだと思う。
この点ははっきりと言及しておきたい。
そして、原因がはやく(偏りなく)究明されることを切に願う。
ところで、彼の動画を見ていて、以前からちょっと気になる点が2つあった。
1つは総じて相手のレベルが低くないかと感じる点である。
黒人差別の議論をする動画では、リベラル派がこう主張する。
「黒人が差別されている。」
すると、カーク氏はこう述べる。
「黒人が法律的に差別されているとあなたが考えているものを1例でも良いから挙げてください。」
リベラル派は言葉を詰まらせ、ただ主張するのだ。
「黒人は貧乏で差別されているから、それを解消しないといけない。」
もうリベラル派の返しが全く回答の体を成していない。
他にも銃規制の関係、妊娠中絶関係の動画などもあるが、それらでもやはり相手がちょっとなと思ったりする。
リベラル派の中にももうちょっとまともな人もいると思うのだが、そういった動画は見たことがない。
動画の作りがちょっと作為的な気もする。
そして、もう1点。
それは議論の仕方である。
議論を見ていると、議論によるお互いの歩み寄りというよりも論破という形になっている点である。
これは私も気をつけないとな、と思うところであるが、特に最近、SNSやYoutubeでは過激なものの方がより多く受け入れられる傾向があるように感じる。
それもあってか、政治的な内容のものは議論というよりも一方的に論破するものが多い。
話し合いというよりも相手をズバッと切り捨ててしまう。
それによって、観た人は、自分の信じる事柄が正しいのだという肯定感や自分と同じ考えの人がこんなにいるんだという安心感を感じ、気持ち良くさせてくれる。
ただ、否定される側、反対の意見を持つ人には非常に強い不快感を与える。
皆さんも感じていると思うが、最近の世界の分断はこれによるところが大きいように思う。
私は改めて彼の動画を見ていて、この議論をもう少し歩み寄りや正確で多角的なデータを基にした議論に変えていけないものだろうかと感じた。(カーク氏は時折データを出すが、断片的で私には偏向的に感じる。)
もちろん動画としてはスッキリしないのだろう。
少し小難しい感じになり、再生数としては伸び悩むかもしれない。
だが、それがされていれば、これほどの分断は起こらなかったのではないかと思ったりもする。
また正確で多角的なデータも必要だろう。
例えば黒人差別の問題の動画においては、カーク氏は”黒人がむしろ優遇されている”と黒人シングルマザーが受けている補助給付の割合を例に出すのだが、それだけを出すのは適切ではないだろう。
白人と黒人の平均収入額の比較や1人あたりの教育費の比較などもあっても良さそうである。
そういった多角的なデータを出すためには、それなりにお互い準備をすべきで、それが十分に為されていないように思う。
それがないために、議論ができず、ずっと平行線となっている。
そして、最も大事なこと。それはお互いが歩み寄る姿勢を持つこと。
ただこれが一番難しいように思う。
本当はそこにこそ出口に近い解があると思うが、それだとドカンとした花火になりにくい。
先にも述べたが、最近では人の不安を煽るようなものや過激なものほど再生数を稼げてしまうため、論破に行きがちだからだ。
そして、それを観た人もそうなりがちだからだ。
カーク氏の動画を観て、今一度、わずかで良いので、歩み寄ることをしてみてはどうだろうかと思った。
あと、最近良く思うのが、動画を観る時に、少なくとも動画の主張内容は本当か、ファクトチェックをすべき、ということだ。
そして、その嘘をそのまま鵜呑みにして、さらに拡散させる人がいる。さらには、それに悪気も感じず、そんなの自由だろという人すら存在する。
もうつける薬すらない。(笑)
と、議論に関して、過激の”か”の字もない主張だったので、最後にちょっとだけ過激にしてみた。(あかんやん!と突っ込んでいただけると助かります。)
以上が、カーク氏の動画を観た”私の感想”でした。
あとがきは割愛させていただきます。
読んでいただき、誠にありがとうございました。