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かってきままに  作者: 友枝 哲
57/60

第57回 戦後80年の夏に、ナショナリズムが戦争を生むのか、グローバリズムが戦争を生むのかについて、自分の考えを書いてみた。

まえがきは割愛させていただきます。

本編のみ読んでいただければと思います。


●’25/8/15(金)

 アメリカのナショナリズム王。


 こう言えば今や誰だか分からない人はいないであろう。


 そう。トランプ大統領である。


 トランプ大統領はアメリカを再び偉大に!と銘打って、各国との関税争いに躍起になっている。


 以前も少し書いたと思うが、トランプ大統領の言いたいことも一部は理解できる。


 自由貿易主義、資本主義に乗ったふりをしつつ、国からの大規模投資で資本主義の根本を破壊しにかかっている中国を抑えたい。


 さらにその根っこには社会主義、共産主義の隆盛を防ぎたいというのもあるのだろう。


 トランプ大統領をはじめ、最近ではご存じの通り、一般的に言われるナショナリズムがいたるところに広まっている。


 大流行中と言っても過言ではない。


 ウクライナを攻めるロシアのプーさん。中つ国のプーさん。イスラエルの汚職王。ドイツのAfD。インドのモディ首相。イタリアのメローニ首相。フランスのルペン党首。などなど。


 特徴として、自分の敵対する勢力を、有無を言わさず、排除しようとする傾向を持っている。


 ところでナショナリズムと言っているが、ナショナリズムとは何であろうか?


 調べてみると、文化人類学においてナショナリズムの研究で有名なアーネスト・ゲルナー博士が提唱している”政治的単位と民族的、文化的単位が一致すべきであるという政治的原則”が良く知られているとのこと。


 ???(笑)


 解説を読むと、とどのつまり”国民や民族が存在している中において、それらの国民や民族が、その属する共同体の様々なルール、決定の主体であるべきだ”とのこと。


 なるほど。こう言われると納得である。


 ざっくり言うならば、その国の中で○○ファーストと唱えること。まさにそんなことを言っている。


 では、逆にグローバリズムとは何であろうか?


 調べてみると、グローバリズムという言葉としては学問的な定義が見つからず、グローバリゼーションという言葉が社会学において知られているようだ。


 グローバリゼーションとは


 ”科学技術の進歩とそれに基づく交通、通信、情報処理手段の高速化と低価格化に支えられて起こる、人、財、サービス、資本、情報の国境を越えた交流の高度化がもたらす、政治、経済、社会構造の再編過程”


 とのこと。


 また、グローバリズムを学問的な定義ではなく、AIやWikipediaを信じるならば、


 ”国家の枠を超えて地球全体を一つの共同体とみなし、経済活動や文化交流を国境を越えて展開、推進していく思想や考え方”


 とのことである。


 何となくイメージの通りである。


 では、上記ナショナリズムの人たちは本当にナショナリズムかを考えてみる。


 上記した彼らは定義としてのナショナリズムからは実はかけ離れてはいないだろうか?


 国の中で○○ファーストと唱えるのは良い。


 だが、その影響が明らかに各国に及んでいる。場合によっては他の国にまでそれを押し付けている。


 我が土地だと攻め込む。我が海だと海域に入り込む。一方的に関税を掛け、相手国の製品を売れないようにする。


 これはナショナリズムとは呼べないものである。


 これは何であるか?


 そして、グローバリズムに関しても考えてみる。


 定義の条件である” 国家の枠を超えて地球全体を一つの共同体とみなし”を実際に唱え、実行している国があるだろうか。


 結局全ての国が、当たり前であるが、国益を考え、自国に有利な方へと進もうとしている。


 そこで思ったのだ。


 定義から考えると、本当のナショナリズムはきっと戦争を生まないだろう。


 その国で勝手にやってくれれば良い。嫌な人は他の国に出ていけば良い。


 そして、本当のグローバリズムも戦争は生まないだろう。


 これは究極の思想だと思う。だからこそ、本当にそれを行えている国が存在しない。


 実は今、世界が行っているのは、ナショナリズムに偏ったインター”ナショナリズム”とグローバリズムの皮を被った”インター”(inter=相互)ナショナリズムではないだろうか?


 ”インターナショナリズム”、つまりは相互関係のなかでナショナリズムを行おうとすることこそが戦争を生んでいるのだと思う。


 そして、インターナショナリズムになってしまう、自由貿易主義だと言いながら、他国に損を求め、自国の得を求めるしかない原因。


 それは有限の資本のせいであろうと思う。


 有限だから奪おうとする。有限だから出し渋る。


 政治はもちろん重要だが、それで世界から戦いがなくなることはないだろう。


 資本が有限であるという根本の解決を政治では行えないからだ。


 結局、再三私が書いている内容になって申し訳ないが、やはり


 核融合のような半永久機関エネルギーの獲得、

 人間と同じ身体機能を持つロボット、

 そして欲求を持たず、ロボットを通して人と同じ動作を提供可能なAI、


 この3種の神器こそが必要だと思う。否、神器ではない。”人技”だろう。


 人がその技術を早く創り出さなければならないと思う。


 もちろん上記の”インターナショナリズム”が、ナショナリズムしかなし得なかった時代から、グローバリズムに移行する過渡期であろうことも重々承知はしている。


 だが、終戦80年となる8月15日、この日だからこそ、本当の理想論はどんなものか、考えても良いのではないだろうか。


 理想論ではお腹は膨れぬなどでも結構ですので、ご意見あれば、是非いただければと思います。


あとがきは割愛させていただきます。

読んでいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
将にリアル、バック・トゥ・ザ・フューチャー の世界 ビフかよw まあ、前任者が駄目駄目だったからかも 歴史は繰り返すですね ┐(´д`)┌
今日も季節感を感じるエッセイをありがとうございます。  ナショナリズムもグローバリズムも、単体では戦争につながる物ではないという考え方は納得できます。変に混ぜて歪められると危険物になるんですね。 …
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