第4回 科学と宗教って何だ?を考えてみた。
本編が短いので、本編でお楽しみくださいませ。
●23年8月26日(土)
科学、宗教って何だ?を考えてみた。
正確には大学の頃から、つまり、ずっと昔から考えてたことを書いてみたという方が正しいのだが。(期間の割に浅いかもしれませんが、ご了承ください。(笑))
私の考えでは、実は科学も宗教も元を辿れば、同じだと思っている。これは良く言われていることではあるが。。。
この2つは、というか学問のようなものは全て、未来を予知するために作られていると思っている。
人間の脳が発達することで、過去を多く記憶できるようになり、きたる未来を考えるようになった。そしてそこに不安を覚えるようになった。
訳の分からない自然災害や神秘的な奇跡を見た時、人々は恐怖したり、畏敬の念を覚えた。
それを理解する、納得するために科学、宗教ができた。のではないか。科学はその現象を数字で表し、宗教はその現象を大きな存在を据えることで表した。
特に人が畏れたもの、それは死だろう。
脳が発達することで、未来のことを考えた時、最も訳の分からないもの=自分が死んだらどうなるのか?だろう。
それが、人が神様を作る1つの理由だろう。それは死んだ後も、生きている間に良いことをしていれば、極楽浄土に行けるんだよ。天国に行けるんだよ。と言われ、安心して暮らせるようになる。悪を働く人への抑止力にもなる。そうすることで、今日を、未来を安心して生きていける。
この点では宗教は人に安心(なのか?)をもたらし、まだまだ科学は人に安心をもたらせていない。死後を証明できる科学的理論はまだない。
ただ、大概のものは科学の方が正確に物事を把握していることは事実だと思う。
”この方向にこの弾を打ち出せば、ここに着弾する”や”大気圧が変化し、海洋が暖かくなり、とてつもない上昇気流によって台風が発生する”も、”この材料にこの電圧(電流)を印加すれば、この色が発せられる”だって、全て科学による未来予測だ。
それによって、我々の生活に、とてつもない安心がもたらせられた。明日の食べ物のこと、明後日の天気のこと、来週の寝床のこと、それを昔の人ほど不安に考えている人は今やそうそういないだろう。
これらから分かるように、科学は、宗教は、全て未来予測のための技術なのだ。(と私は考えている。)
だが、大きく異なる点がある。それは人を宇宙的な時間の単位で生き永らえさせられるかどうかという点である。
例えば簡単な例を挙げると、隕石衝突である。
隕石衝突に対して、神様に祈ってもたぶん防げない。(いや、私が防げないと思っているだけかもしれないが、私が考えうる限りでは防げない。)
だが、このまま科学技術を発展させることができれば、もしかすると防ぐことができるかもしれない。僅かながらでも可能性があるということが重要で、そこが大きな違いであると私は考える。
ただ、もっともっと長い時間単位で考えると、宇宙は再び1点に戻るのかもしれない。そうすると科学も、宗教も意味がないのか?
否、きっと別の宇宙に繋がり、そこで生き永らえることができるんだろう。
11次元の先にきっと答えがある。
脳のデジタル化が進めば、もしくは細胞分裂回数の限界突破ができれば、死への恐れもなくなるのかもしれない。
まあ、こんな科学的思考も、私が大好きなお金も、宗教みたいなものだけれども。(笑)
そんな思いを脳の片隅に置いて、仕事に追われ、日々を過ごしている。
あと、最後に一言。
このエッセイを有り難くも読んでいただいた皆さんのご意見を聞いてみたいので、もしよろしければ、”おれは、私はこう思う。”を書いていただけると嬉しいです。
本編が短いので、本編でお楽しみくださいませ。