第38回 経済系雑誌にあった日の丸半導体の隆盛と没落ついての記事について、かってきままに書いてみた。
まえがきは割愛させていただきます。
本編が短いので、本編のみでお楽しみください。
● ’24/5/1(水)
今日はメイデイということで、忙しい最中であるが、運良く?休日となった。昨日の退勤中にササッとネタを探していたのだが、良いものを見つけた。
題名にもあげているが、ネットである雑誌の記事を読んだ。『「元・半導体世界王者」の転落35年史を財務で見る、日の丸半導体敗北の理由が浮き彫りに』という題名だ。
半導体と言えば、今ではアメリカのIntel、NVIDIAや韓国サムスン、ハイニクス、供給元としては台湾TSMCが有名だ。特に今AI関連ではNVIDIAが注目を集めている。
しかし、これらの会社は市場シェアで言うと、それぞれがわずか10%にも満たない。2023年の決算結果で、最も高かったIntelでも9.1%である。
ところが、ご存じの方も多いと思うが、1980年代、「日の丸半導体」と言われていた頃、NEC、東芝、日立などが日本勢が合わせて世界シェアの54%を占めていた時代があった。DRAMというメモリに限定すればシェア70%も超えていたほどであった。
恐ろしいほどの独占状態。今の世界経済でこのシェアがあれば、もう世界は思いのままだろう。(笑)
私はこの頃はまだドッジボールやサッカー大好き鼻垂れ小僧であったので、そんなこととは露知らず、校庭を駆けずり回っていた。
本題のこの経済系雑誌の記事では没落した理由として、アメリカからの「プラザ合意」という圧力、すなわち、
→製品のコスト提出
→工場稼働率の報告
→日本市場でのアメリカ製品シェア10%→20%
という要求を受け、NEC、東芝、日立の半導体部門の財務はほぼ黒字になってなかったという内容であった。そのため、うまく投資が回らず、立ち行かなくなったとのこと。
もちろん、この訳の分からない圧力が影響したのは確かであろうが、私の回りにいるその時代を経験した方の意見、そしてそれを裏付けるような記事もあり、きっとそれが真実なのだろうなと思っていることがある。
その理由というのは、
→市場の変化への追従不足
→高性能への過信
である。
市場の変化への追従不足というのは、以下のような内容である。
それまでワークステーションのような大規模システムに半導体が使われていたため、著しく高い信頼性が求められていた。25年の動作保証などがあったと言われているが、1990年代になり、パソコンが登場。半導体は5年動けば良いというものが求められるようになってきた。性能より価格の時代が到来したわけであるが、その製造ラインへの新しい投資が進まなかった点が挙げられる。だが、この雑誌が書いている「それほど黒字でなかったから」は後付けに過ぎない。何故ならそれまでシェアのなかった他の会社はそのブルーオーシャンに向けて投資しているのだ。故にそこに合わせることができなかったとしか言えない。この点はディスプレイ競争でも言えることだが、日本企業はリスクばかり見て、投資の規模が小さい印象を受ける。行くと分かるが、日本と海外の工場のサイズが桁違いである。もちろん海外の規模の方が断然大きい。そこに日本人が乗り越えるべき壁があるように感じるのである。
そして、高性能への過信。性能が良いから売れるだろうとシェアが落ちだしても、コストダウンへの追求が十分にされてなかったと聞いた。それは半導体を作るマスクの数に現れていたようである。
マスクというのは、半導体を作る工程の露光、現像に使うもので、回路を刻んだ微細加工がされており、1枚1枚が非常に高価なものである。そして、マスクの数というのは、すなわちその半導体を作るための工程数を意味する。工程数が多いと使う材料も多くなり、人件費もかかる。つまり製品が高くなるわけである。
1990年代ではアメリカや台湾、韓国の製品のマスク数は日本の製品のマスク数の半分のものまであったようである。
シェアをガッツリ握っていた経営陣が天狗になって聞く耳持たずだったのかもしれない。シェアを握っていた日本企業はいずれも大企業ばかりであったので、多いにあり得る話だと思う。
ただ、一人のエンジニアとしては「性能を落としてでもコストを下げる」というのは、結構つらい決断であり、例えば自分の作った技術であればなおさらだ。仮に当時、現場に私がいたとしてもその決断ができたかと言われるとかなり怪しい。これは技術に美しさを感じる日本人気質のせいなのかもしれない。
海外で働いていて感じる点でもあるが、海外のエンジニアや経営陣はその辺りの割り切りが速いように感じる。悪い言い方をすると、技術に愛着がない。本当に悪い言い方をしているが。(笑)前にも書いたと思うが、海外では、結構お金が基準なところがあるので、そのやるやらないの線引きが明確だと感じる。
この点でも日本人が乗り越えるべき壁があるように思う。
そう考えると日本の経営陣が、例えばイーロンマスク氏のように、あと数年後にはAIが人を超えるぜ!のような発言をして、お金集めするのを聞いたことがない。どちらかというと結構現実路線に近い話をしているように感じる。唯一ソフトバンクの孫氏くらいであろうか。それでも少し抑え目だ。最近話題の日銀植田氏なんか酷いものだ。あれでは投資家は円売りに走って当然な気がする。逆に、大投資家のジム・ロジャーズ氏なんかはほぼ詐欺師的な発言しかしてない。(笑)ちょっと前まで逆のこと言っていても平気で真反対のことを言いだす。でも、あれくらいじゃないとダメじゃないのと最近は思う。
だが、半導体でいうと、製造装置、材料に関しては、日本人のこだわり抜いた技術が世界を席巻しているのは確かである。装置を真似して作る海外メーカーは多い。簡単な装置ならそれで真似されて終わるのだが、超絶精度が求められる装置はそれでは作れない。私は良く同僚に「適当に作った技術には魂が籠ってない」と言うが、まさにそれである。真似しただけでは細部まで、内部まで磨き上げられていないのだ。材料も然りである。究極まで純度の高い材料を作るには「技術に魂が必要」である。99.9%の純度はどこでも作れる。だが、99.9999999999%(トゥエルブナイン)となると日本にしかない。これらの精度が歩留まりに寄与してくるのだ。
それはまるで鉄から鋼を作り、刀を作る日本人のこだわりから来ているのかもしれない。これを書いていて、大学の頃、読んだ本に「菊と刀」という本があったのを思い出した。第2次大戦中、日本人を研究したルース・ベネディクトというアメリカ人が書いた本で、日本人の特徴を記した内容だ。題名の通り、日本人は高い美意識があり、それは生け花のように花(菊)を飾るところにもこだわり、さらには人を殺すための道具であるはずの刀にも美しさを求める種族だ、的な内容である。もし読んだことがない方、興味があれば是非読んでみていただきたい。戦時中、国民に英語を話すなと言っていたのとは対称的で非常に日本人を研究しているなと感じたのを覚えている。少し戦争に負けた理由が分かった気がした。(今読んでもそう感じるのかは不明ですが。(笑))
で、結論。
この日本人特有のこだわり抜いた装置、材料を使って詐欺師的経営陣が舵を取り、そしてその技術を守るトランプみたいなヤンチャ政治家が日本人から生まれたら、もう一度日の丸半導体時代が訪れるのかもしれないなという話である。(笑)
なんか実のない話、落ちもない話でこれまたすみません。。。かってきままに書いているので、広い心で読んでやってください。(笑)
あとがきは割愛させていただきます。
読んでいただき、ありがとうございました。