第35回 なぜ勉強をしないといけないのか?と子供に聞かれたら、について書いてみた
まえがきは割愛させていただきます。
本編が短いので、本編のみでお楽しみください。
● ’24/3/24(日)
またぼやきのような始まりになってしまうが、最近本業以外のことを考える余裕が本当になくなっている。
仕事の特性上、年に数ヵ月はこういう日が続く。今年はちょっと長くなりそうだ。まあ、しかたない。仕事があるのはいいことだ。と言い聞かせて、不屈闘志のように燃える心で乗り越えたいと思う。(笑)
(分からない方は前回の34回を読んでみてください。)
で、本題。
子供がある程度大きくなってくると親として、子供に題名のような質問をされる日がきっと来ると思う。
『勉強をなぜしないといけないのか?』
私も子供の頃、良く思っていた。なんで勉強しないといけないのか?まあ、私が子供の頃に思っていたのは、勉強したくないからそんなことを考えて逃げたかっただけな気もしている。いざ勉強をしようとすると普段はやらない部屋の掃除をするのと同じ心境だったのだろう。
で、実際子供も大きくなって、こんな質問されたらなんて答えようかと考えていた。
今となっては逃げたい気持ちもないため、本質的に考えられる。(と思う。)
結論から言うと、私は2つの理由に行き着いた。
1つ目は非常に現実的な解。自分を、より高度な道具とするためだ。
道具というと何とも『人は物かよ!?』と突っ込まれそうではあるが、実際の言葉にもある通り、『人は社会の歯車』である。人が数えきれないほどの生物の塊からできているのと同じように、社会という生き物の中で数えられないほどの人が活動している。その中において、より高度な道具となり、生き抜くためには、勉強するしかないのだ。
例えば私たちがPCを買う時、同じ値段なのにある商品には3GHzのCPUが搭載されている。もう1つには2GHzのCPUだとする。他の条件が同じで、且つ同じ値段なら当然スペックが高い方をみんな選ぶのではないだろうか。同じ1TBのメモリだとしてもHDDとSSDだとどうだろうか。この差によって立ち上がり速度が全く違ってくる。メインメモリへの展開速度も全く違う。どちらを選ぶか?同じコストなら間違いなくSSDだろう。(長期データ信頼性はちょっと置いていて。(笑))
自分もそのように選んでいるのと同様に、社会もスペックの高い人を選ぶ。自分が会社の人事だったなら当然そうするだろう。だから、より良い部品になるべく、勉強するしかない。悲しいかな、これが現実である。
もう1つは世界を正確に見るためだと思っている。見えなかった世界を見るため、と言ってもいいかもしれない。
大昔の人は細菌やウイルスがいることなんて知らなかった。それは悪魔の仕業でお金を払ってお祈りしないと治らないと言われ、お金を払い、祈ってもらっていた。
だが、今やある程度勉強すれば、悪魔の仕業なんてものではないことは明確に理解できる。
そして、現在ではウイルスの突起形状、遺伝子情報を調べ、その細菌やウイルスに対する薬を、ワクチンを今までよりも短い期間で作り上げることができるようになってきている。
これは明らかに世界を正確に把握しているからできる業であろう。今まで見えていなかった世界が見えるようになった結果と言っても良いだろう。
その礎となっているのが、学校で学ぶ内容である。それなくしては絶対に到達できない。
そして、その行き着く先は、全く見たこともない未知の世界を予見することすらできている。地水火風から原子、そして素粒子に至り、この先はまだ未検出ではあるが、弦が全てのもととなっているとさえ、言われている。
私の大好きな宇宙関係で言うと、この世界を数式で描こうとして、あれ?ブラックホールって言うのがあるな。と予見され、実際に見つかっている。最近ではマルチバースがあるかも。なんてことが数学、物理の理論から言われている。
こうやって、本当の世界がどんなものなのか?その先に何があるのか?これを知るために勉強をするのだと思っている。ある段階を経るとこれはとてもエキサイティングなものになる。私はそう思っている。この感覚を知らないのは人生において、損をしているとさえ思っている。下手をすると50%くらい。いや、本気で。(笑)
さらに、この真実が見えてくると、嘘にも強くなる。勉強することで嘘、本当をある程度正しく判断できるようになると思っている。実際の社会ではこちらの方が重要なのかもしれない。
この2点が勉強する理由だと私は思っている。他の方はどう考えておられるのか、もしよろしければ考えを教えていただけるとありがたい。
だが、肝心な最初の出発点に戻った場合、子供に『なんで勉強しないといけないの?』と聞かれ、これを答えたとしても、たぶん頭では理解するかもしれないが、勉強するようにはならないように思う。
実際今思っても、私が子供の頃にこんなことを言われても絶対やらなかっただろう。(笑)
で、私は中3の始めから高校卒業まで、親に交渉して1つの約束ごとを決めた。
『中間、期末のテストで学年順位を○番以上上げたら、月の小遣い500円アップ。○番以上下げたら月の小遣い500円ダウン。』
というものだった。
ゲーム感覚で勉強をしようと思って提案したものではあるが、今考えると結構自分にとっては良かったなと思っている。ネットで調べるとこういったお金で釣ることはあまり良くないと書いている人もいるが、私は悪いとは思わない。
というのも、実際、私が感じたのは、勉強はある程度できるようになるまで、苦痛以外の何者でもないということだ。苦手な科目は特にそうである。もう苦痛でしかない。だが、ある程度できるようになるとその教科が意外と面白くなる。お小遣いアップ大作戦はそこに行き着くまでのカンフル剤となるのだ。
それに実際社会に出れば、頑張って良い成績を収めれば、それなりのボーナスがある。なぜ子供だからといってそれはダメというのか?ボーナスがあってもいいんではないか!?
これは私が子供の時に親に言った内容であるが。(笑)
そう考えると、今年は期待できるのかもしれないが、最近の企業はお小遣いアップがない。そりゃ、社員のやる気がなくなるのはある意味必然な気もする。
と少し脱線してしまったが、なぜ勉強をしないといけないのか?子供と話をする機会ができたなら、よく話をしていただき、成績ボーナスを実施してみてはいかがだろうか?意外と効果があると思う。もちろん保証はないので、自己責任で。(笑)
ということで、より良い部品となるべく、また明日から精一杯仕事したいと思う。(笑)
あとがきは割愛させていただきます。
読んでいただき、ありがとうございました。