第24回 映画 ”I Am Mother”を観た感想を書いてみた。[ネタバレ注意]
まえがきは割愛させていただきます。
本編が短いので、そちらでお楽しみください。
●’23/12/26(火)
私事であるが、少し早い年末休みに入って、2年ぶりに日本に帰ってきた。
ようやく生活が少しだけ落ちついた。
今日まで忙しすぎて、最近全然更新ができてなかった。
また、ぼちぼち更新をしていきたいと思うが、年明けるとまた忙しくなりそうなので、ボチボチやっていこうと思う。
時間ができたので、少し前にNETFLIXで観たいと思っていた映画を早速探してみた。
”I Am Mother”。私の大好きなSFものだ。
以前、予告でアンドロイドに子供が育てられているというシチュエーションを観たので、気になっていた。
実は自分の小説”ガロワのソラの下で”にもそういうシーンがある。なので、そのシチュエーションの詳細が気になっていたのだ。ようやく落ち着いて観れる時が来た。
(また自分の小説の広告してすみません。(笑))
上に書いたように、この物語では、ある施設の中で1体のアンドロイドが目覚め、人の胎児が入ったカプセルを培養装置に入れるところから始まる。
その胎児は24時間後に赤子となり、アンドロイドによってカプセルから取り出される。
その赤子はアンドロイドによって育てられ、教育を施される。
ある期間を経て、思春期ほどの女性に成長し、その女性は医学、心理学、運動などの教育を受けている映像が流れていた。
外の世界は汚染されていて、動物は生きられないという教育もされていた。
だが、その施設がある時、その施設に侵入してきたネズミによって配線を噛られ、施設のシステム全体がシャットダウンする。
シャットダウンしたアンドロイドの代わりに、女性が原因を突き止め、配線を直し、ネズミを捕まえた。
回復した施設とアンドロイド。そして、アンドロイドは女性が捕まえたネズミを焼却処分してしまう。
その行動に女性は動揺する。それと同時に女性は外の世界が気になりだした。
そして、ある時、外の世界を見てみようと1つ手前の扉まで来た時、外から人の声が。。。
「脇腹を撃たれた。助けてほしい。」
施設内の女性は、外の人に防護服を着させ、中に招き入れた。
防護服を来た人は女性で、銃を所持し、気絶して倒れていた。
人は生きていけないはずの外になぜ人が?そして、なぜ撃たれてたのか?
それまで母と呼び、慕ってきたアンドロイドを疑いだす女性。
果たして、外の世界はどうなっているのか?なぜアンドロイドが女性を育てているのか?
というのが、前半部分である。
(以下、ネタバレ含みます。もし前半部分以上の情報を入れずに映画見たい方がいらっしゃる場合、映画を見てから読んでいただくことをお奨めします。)
ちょっと外界と遮断された施設のはずがネズミが入ってきたり、回路が脆弱だったり、動作を行うための許可関係が杜撰だったりと、突っ込みたくなるところはあるが、私にとっては非常に面白い内容だった。是非皆さんにも観ていただきたいと思った。
映画の話であるが、途中で施設内で育てられている女性の学習のシーンにおいて、主人公の女性にアンドロイドがトロッコ問題に似た課題が与えるシーンがある。見終わった後、まさにこれがこの映画のテーマなのだと感じた。
トロッコ問題とは『暴走するトロッコ車の前に5人の人間がいる。別の進路には1人の人間がいる。進路を変えるべきかどうか?』である。
このトロッコ問題とは、人によって正義が異なることを意味している。
例えば、上記の問題ではなく、映画に出てきた出題だとこうだ。
重篤患者5人と健康体1人がいる。健康体1人の臓器は重篤患者5人全てに適合し、移植すれば重篤患者5人は助かるが、健康体の1人は死ぬ可能性が極めて高い。
さらに深い問題なら、その健康体の1人があなたなら?
皆さんはどう感じるだろうか?
私の瞬間的な考えだと、最初のトロッコだと進路変えた方が良いような気がしていて、あとの問題だと健康体1人を殺してしまうのはちょっとな、とこんな感じだ。もちろん他の条件にも依るのは確かだが。
心理問題としては全部同じだと言われていて、確かにそんな感じもする。
映画だと主人公の女性がアンドロイドに聞く。助ける5人の重篤患者は良心を持つ人なのか?と。その中に殺人者がいて、人を殺してしまう可能性は?と。
確かにそれらの条件も重要だ。
で、これがなぜこの映画のテーマかというと、アンドロイドがなぜその女性を育てているのかを善と捉えるか、悪と捉えるかという問題になっていると考えるからである。きっとこれがこの映画のコンセプトだろう。
完全にネタバレ内容だが、この映画の中には、私が見逃しただけかもしれないが、人がなぜ生きられない世界になったのか?などの情報が出てこないが、想像するに人と人の戦争でほぼ人間が絶滅した世界、しかも核などにより汚染された世界になっているようである。
そこで、アンドロイドはできるだけ多数を助ける選択を取る人間を育成し、人間の世界を再生させることを行っているようである。そこであのトロッコ問題だ。
さらには、アンドロイドは汚染の可能性を考え、ネズミを何の躊躇もなく焼却処分するなど、結構サバサバと処理する。
実は、施設内の女性は3番目の子供で、それまでの子供はどうやらアンドロイドがうまく育てられない、もしくは子供の段階で思想が理想的でないということから処分されていることが分かる。だが、これは人間の世界を作り替えるため、言うならば未来の大多数の死を回避するための1人の死なのである。
もっと根っこの部分では、この施設の女性は生まれてから思春期ほどの女性に成長するまでに13,000日ほどかかっている。約13,000日=約35年だ。だが、女性はまだ思春期なのである。つまり、アンドロイドは人間の遺伝子をコントロールしている可能性がある。そこまでやって、人間を再生させようとしているのだ。
ある人が観ると、その行動が悪にも見えるし、善にも見える。たぶんわざとそうして作っている。
実は私が書いた小説のアンドロイドもそういう側面を持ったものとして書いたつもりだ。人を排除する。それは人を守るためだ。
皆さんはどう感じるのか?もし映画をご覧になった方がいれば、感想を教えていただけると嬉しい限りである。
少し視点は変わるが、以前紹介した”Extinction”にも通じる点として、アンドロイドやAIを肯定(?)気味に描く映画が増えているように思う。
もしかして、AIの実用化を考え、政府がそういう要望を映画界に出しているのか?と思ったりもする。(笑)
少し前に、UFO騒ぎの時に、エイリアンが地球に来る映画が大量に作られ、それは実は人にエイリアンという存在を慣れさせるために政府がそういう要望を映画界に出したからだという噂を聞いたことがあった。本当かどうかは知らないが、確かにAIは人の仕事を奪うというイメージが強い。それに慣れさせるためか?
もちろんこれは、かってきままな妄想ですが。(笑)
あとがきは割愛させていただきます。
本編が短いので、そちらでお楽しみください。