第1回 終戦記念日に戦争を根絶するには?を考えてみた。
本編のみでお楽しみくださいませ。
徒然なるままに 日暮し〜 なんとやらという名作がある。
あんな素晴らしい話ではないが、ちょっと思ったりすることをこれから残していきたいなと思います。(なので、不定期にアップします。)
もしありがたくも読んでいただける方がいれば、これは、ある1人の人間が取り留めもなく書いている内容と思って、軽く読んでいただければと思います。
●2023年8月15日(火)
今日は78回目の第2次世界大戦終戦日だ。
いきなりこんな重い一文を書いて、誰が読んでくれるのか。だが、書かねばならぬと思いたった。
今、ロシアとウクライナが戦争をしている。
ロシアはあの土地は昔自分のものだったと言い、同胞がウクライナで苦しめられていると言い、私の目から見ると侵略戦争でしかないが、彼ら(彼?)からすると正当な戦争なんだと言っている。
今より82年前、植民地拡大を行っていたある国が、外の国の経済圏から締め出され、戦争を始めた。ある人に言わせると、これは正当な戦争だったんだ、仕方なかったんだと言う。
その戦争で極限状態に陥り、防空壕の中で自決しようと小さな我が子を手にかけてしまった人に仕方なかったなんて誰が言えるのだろうか。
ただただ戦争は絶対にあかんと言い続けるしか、今の私にできることはないのだろう。
世界中にある物語や歴史に人を感動させるものが多くある。その多くの作品の題材は”愛”だ。男女の愛、家族愛、宗教的な親愛や救い、愛国心。私も時にこういう映画を見て、感動し、涙する。(私は泣き上戸なので、ちょっとした感動ものですぐ泣く方だ。)
だが、その裏でふと思う。この愛こそが争いを生む源となっているのではないかと。
家族を愛するが故に、国を愛するが故に、宗教を愛するが故に、それを侵すものを駆逐しようとする。
家族、親族が少しでも食べるものに困らないために他所の土地を奪う。自国の国益のために他国が不利になるように仕向ける。信じる神の教えに背く不届きものを処罰する。規模の大小こそあれ、これこそ戦争ではないのだろうか。
それでも、少しずつだが、状況は変わってきていると思っている。
科学がいろんな情報を伝え、今まで不思議であったことを解明し、世界を小さくしている。科学が全てを解明できるかと言われると正直分からないが、それでもと思わせてくれる時がある。石器時代、誰がこんな明るい夜を予想できただろうか。78年前、誰がこんな小さな箱で世界の情報が見られるようになると予想できただろうか。
それを考えると、最も争いを行っていたヨーロッパ内が1つになりかけているように、世界が1つになる日がくるのではないかと微かに希望を持ってしまう。
そのための条件として、科学技術が進み、余りあるほどの潤沢なエネルギーが必要なんだろう。
それほどまでに技術が進んだ時にどうなるのか。考えてみた。そして、ふと思ったのだ。
科学技術は世界を小さくし、国という概念を消しさり、あらゆる物事を理解せしめ、今あるような宗教観を薄れさせ、医学の発達は生殖機能が弱い種も生きながらえることができるため、自然交配から生殖(交配)制御時代に入り、家族観をも薄れさせるのではないか。そうして、戦争の時代が終結するのではないだろうかと。
それまでに行き着くところまで行ってしまい、核戦争が起こったり、とんでもない生物ウイルス兵器を作ったりしたらジ・エンド。
人類はそうならずにその先まで歩いていけると信じたい。可能性の獣はどこまで歩を進めることができるのだろうか。
その先にある(だろう)11次元の深淵にある、この世界の意味に辿り着けるのだろうか。
ここに書いているような科学万能論も、そして、世界の意味ということも宗教だなと、さらにさらに思ってしまった。
こんなくだらない話、スカッとする映画でも見て、頭の片隅に追いやってしまおうか。
本編のみでお楽しみくださいませ。