4話
ということで当たり前のようにフォルフォニアは一人で森の中を進んでいく。
さわさわと囁く木の葉の擦れる音や、同じくらい小さな妖精の声。
そこはフォルフォニアは酷く新鮮な気分を覚えさせたが、同時に不安も覚えた。
フォルフォニアは知的生命体への恐怖があった。
同じ人間ですらロクデナシばかりなのに、妖精が人間よりロクデナシだったらどうしようと。
妹より残酷で、親より冷たく、周りより悪意の強い種族であったらどうしようと。
そう思うと頭がぐるぐると周りだしフォルフォニアは思わず止まってしまう。
そうして、止まった瞬間目の前の空間がまるでガラス窓のように割れて、穴が現れた。
「え?」
景色の先は映さず真っ暗なそこに、フォルフォニアは逃げようとするも足が竦んで動かない。
「ニア、オレが足動かしてあげよっか?」
そういう声にフォルフォニアは思わずうんうんと頷きながら十字架を取り出した。
「お願い、……助けて」
助けて、という言葉に呼応してフィオエルはフォルフォニアの体に憑依すると、体を"まっすぐ前へ"進めた。
……つまり、穴の方に進んでいった。
「えっ?!えっ、なに、えっ」
「見逃せないでしょ?神隠しの正体とやらがさ」
「そっ、……それをわたしのからだでなんでやるのっ?!」
「だってこんな所に天使が出たらやべーことになっちゃうじゃ〜ん」
ここは聖教じゃなくてケルト神の領域だからさ、と言葉を加えるとフィオエルは憑依から離れていき、フォルフォニアがぺたりと地面に着いたのと同時に真っ暗な景色は晴れた。
いや、晴れたというのは間違いだろうか。
変化はしたが……先程居た森に比べると随分と暗かった。
暗く硬い土のような素材の地面。空からは氷柱のような黒い鉱石が地を劈き、霧が漂うその奥にはぷつぷつと溶岩が湧き立つのが見える。
「あ、オレここ知ってるかも。これ裏の世界でしょ〜」
フィオエルは十字架の中からそう言うとフォルフォニアは震え上がった。
裏の世界と言えば魔王が住む世界だ。
地上の神王が聖教でいう天界を管理するならば、裏の世界は地獄を管理する。
つまるところ、裏の世界は魔の巣窟とも言えるのだ。
といっても、宗教だなんだと言って崇められる地上と違って裏の世界の奴は来ても意味ないからここにはあまりに来ないというのが風説だが。
しかし、あまり来ないは決して来ないにはならないし……、悪魔崇拝がある宗教は、地上の世界に往く為に裏の世界を経由して向かうことがある。
つまり…この裏の世界にいることだって有り得る。
そう、まさしくフォルフォニアが歩き出した先にいた生物もそう。
「アレェ?珍しい」
「ひっ!!」
赤い鱗のような肌に角の着いた、肋の浮く痩せ型の、凡そ2メートルか。
そんな典型的な"悪魔"がフォルフォニアの前に立っていた。
「こんな所に人間なんか来ねェ〜はずなんだけどなァ〜?もしかして自殺志願者って事?」
悪魔は爪を立て、ジリジリと寄る。
フォルフォニアは十字架をぎゅうと握りながら、フィオエルの「あーあ、スイッチ入っちゃうよ?」なんて呑気な声を出していると瞬間に悪魔が八つ裂きに刈り取られる。
「不出来な悪魔だな。こんな場所で人を取って食おう等……どうなるか分かって居るだろうに」
「あ……」
フォルフォニアは安堵か揺れる視界に悪魔より大きなその背中を見た。
髪も、顔も、何も見えない。
ただ白いマントが揺れるのを見て、視界が暗転する。
_____そうしてフォルフォニアは目覚めると、あの暗き裏の世界ではなくやってきたばかりの森に倒れ込んでいた。
それは湖の近くの木陰で、妖精も精霊もその姿を現しやしない。
「んん……」
「おや、目覚めたのかい」
フォルフォニアはその双眸を薄ぼんやりと開くと、声をかけた主を見た。
銀色の髪に、青い瞳。それから獣耳と揺れる尻尾。
服は高そうなシルクジャガードのスーツに、マントの内側は青いベルベットのキルティング。頭には王冠のアクセサリーが置かれており、如何にも"王族"という感じの眉目秀麗で人外的な美しさの男がわたしを見下ろしていた。
「あの、あなたは……」
「先程、裏の世界に居ただろう?それを僕が助けたんだ。」
「ね、猫亜人が……、裏の、世界に?」
「まあ、……偶然とでも言っておこうかな?」
偶然って、なんて頭の中でフォルフォニアは思いながら彼の見た目をまじまじと見る。
やはり、全身が高貴なオーラに包まれていた。
最早彼が精霊と言ってもいいほど、彼は凛とした中に美しさを内包している。
フォルフォニアは彼に名前を問うと、あぁと口を開いた。
「自己紹介が遅れたね。僕の名前はルスラン。見ればわかる通りの種族で、君達は知っているか分からないけれど猫亜人だけがいる小さな国の……、王子だよ」
「あーあ……もうしらなーい」
フィオエルは十字架の中からそう呟くとまた隠れて言った。
フォルフォニアはフィオエル以外に男性が現れた事に拗ねたのだろうか、それとも構ってくれなくて退屈なのか、と頭の中で結論付けると名乗った男、ルスランと目を合わせようとして……ぱっと逸らした。
人と目を合わせるのは怖い。
じくじくと頭が痛くなるし、合わせた後にそらされて、悪口を言われるのだって怖いから。
「わっ、……わたしは、フォルフォニアです。この森で、学園の…校外授業をしていたら、いつの間にかあそこにいました」
「まあ、喜んであんな所に迷い込む奴なんか居ないからね」
フィオエルとかいう奴以外は、とフォルフォニアは心の中で口にして、ルスランが立ち上がるのを見て慌てて立ち上がろうとすると手を差し出された。
「お嬢さん、お手をどうぞ」
その言葉にわたしは手を取って立ち上がると、きゅんと胸が疼く気がした。
まるで童話の中の王子様だ。
キラキラした見た目も、優しい声も、仕草も……。
そう、人間不信でありながら、自分を卑しい目で見てこない"人間ではない男"に、フォルフォニアは興味を示したのである。
しかし、瞬間で己を拒絶した。
自分なんかが、ゴミなんかが、クズが、無能が、何も出来ない奴が、生きていることすらダメな奴が、そう言って言い聞かせて、こんな王子様と釣り合うわけが無いと答えを出し瞳はまたじっとりと暗くなっていく。
「……あ、ありがとうございます。ルスランさん」
「此方こそ」
ルスランは尻尾を揺らしながらまたね、と声をかけると白い猫になってどこかへ消えていった。
フォルフォニアはその姿を眺めながら、また森を歩き出した。
先程までいなかった妖精達が姿を現すと、きゃっきゃと騒ぎ出したのを見て、フォルフォニアはぼんやりとまた先程の木陰に座り、森のスケッチを始めたのだった_______
_______ミア。
弱々しい声が、そう名前を呼んだ。
ホテルの部屋の中で、わたしは連絡用の魔法具でミアを呼ぶ。
「どうしたの?ニア」
通話に出たミアは機嫌が悪そうだ。
そんな素振りは見せてはいないが、双子の勘というもの。
「あのね、……今日、裏の世界に行っちゃったの」
「え?!マジ?!映像記録とか残した?!」
好奇心の塊であるミアはわたしの言葉に瞬間で反応すると、ずいと画面に近づいてはぁはぁと息を荒らげている。
わたしはそれにないよ、と返すと話を続けた。
「それでね、猫亜人の」
「猫亜人……?」
あぁ、とわたしは察した。
猫亜人の言葉を聞いた瞬間にみるみるミアは眉間に皺がより、不機嫌になって行ったのだ。
「そいつ黒髪で赤目でスカした態度のでかいヤツ?」
「えっ?いや、……銀色の髪に、青い目で……。猫亜人の国の王子様って言ってた」
「じゃ〜〜違うか!あはは!あのルオンとかいう巫山戯た男次こそぶん殴ってやるからなぁ〜〜あっはっはっは!!」
ルオン、ルスラン、ともしかして猫亜人の国は似たような名前を選ぶのだろうか、とわたしは頭の中で悶々と考えていると、フィオエルのため息は更に大きくなる。
「ね〜〜ニアちゅわ〜ん?」
「……何」
「あんたらヤバいよ〜?」
フィオエルはその意味が上手く理解できなかった。もしかして、フィオエルはわたしの心が見えるから……。猫亜人と人間となんて上手くいかない、と言っているのかもしれない。
だったらミアは?……もしかしたらフィオエルはミアがルオンという男に怒ってるのを巷で言うツンデレのように思っているのかもしれない。
わたしの目から見たらどう見てもただ怒っているだけなのだが、とにかく分からないものは仕方ない。
「そうなんだ」
その言葉にフィオエルはすんと気配が消えるとわたしはホテルでの寂しい時間を打ち消すためミアと話し続けた…




