『壹ノ柱 ✿ 陰陽道 de 召喚』
「此処は… 何処じゃ…… 」
上半身を不自然な程 美しく垂直に起こし、顔は正面を向いたままで 少女はそう呟いた。
すると寝座脇に控え 衣冠束帯を身に着けた男が、吃驚の表情を浮かべ尻もちをついたような姿勢のまま、少女に問うてくる。
「ぁ… あんたは、ひ… 緋子なんか? それとも、別の… 何かなんか?」
微かに震えている男の言葉を受け、少女は首だけを彼の方に すっと向けて応える… いや、問い返した。
「 ……… ほう、其方ら… あの忌々しき人間族どもではないか。 今度は一体、我れに何をした?」
少女の表情はあまり変わらなかったが、言葉の後半は僅かに怒り… もしくは怨嗟を含んでいるようにも聴こえた。
「我れはのぅ… 今しがた命を落とした筈なのじゃ。 それがこうして未だ話をし、また面妖しな場所で珍妙しな出で立ちの人間族どもに囲まれ……。 いや… うむ、いろいろと問い質したいことはあるが… まずは疾く答えよ。 何故に、我れは裸なのじゃ!?」
その問いを聞き、男の方は傍らの女に向かって何やら小声で「ほれ、みてみぃ」などと言い、女の方は袖で口元を隠すようにして くくっ… と笑いを必死で押し殺している。
その様を見るに、どうやら悪意や害意などはないように見受けられるが ――
そして何より、この人間族どもの番いには、そもそもの緊張感がまるで感じられなかった。
「えーっとだ… ではまぁ、姿の事については また後でも構わぬ。 でじゃ… 我れは今、一体どういう状況であるのかを問おう」
… と、心情的に非常に気になっているところではあるが 一先ず置いておくこととし、現況の把握の方を優先させた問いに改めてみる。
すると女の方が、何とも間の抜けた口調で発した答えは ――
「あなたの今の… 状況ぉ? えーっと… 状況はぁ~、やっぱりぃ… 裸?」
… と、やはりこの者らとは話が噛み合わないこと、この上もない。
そして今度は、彼らの間でまた あれこれと揉め始めた。
「いやいや煕子ぉ… その件はもうええて、さっき言うてはったやろ。 そやなく、この方は『何でこないなことになっとんのや』て、聞いてはるのとちゃうん?」
「あらぁ… じゃあやっぱりぃ… これって緋ちゃんじゃないってことぉ?」
「そらっそやろぉ… だってほら見てみぃ、身体は青白ぉ~なって ほゎ~っと光ってはるしやなぁ、それに何より目ぇが… 何や左右で赤と緑の色違いんなってもうて、えっらい煌々とまたこれ… 眩し… 」
「あらあらまぁまぁ! じゃあ、あの儀式が成功したってことぉ? 大変、想定外!」
「なんでや! ほならあんた、今晩どないなつもりで儀式に付き合うとったんや!?」
「だってぇ… あなたの主催でこぉんなに上手くいくだなんてこと、有り得るはずが… 」
二人はまた何やら小声で ああだこうだと遣り合い始め、一向に要領を得ない。
「ぇえい、やめぃ やめぇぇぇえい! 其方ら、我が術で括り殺すぞ!!」
… と、少女が声を荒げると、二人は漸くまた思い出したように はっと我に返り、揃って頭を下げる。
「こらぁ… えらいすんまへん… 」
「あらぁ… ごめんなさいねぇ、緋ちゃん… 」
すると、少女はその『ひいちゃん』にも敏感に反応する。
「待て、女…。 何故に其方、我れのその… 身内同然の眷属たちしか知らぬ筈の呼び名を知っておるのじゃ…?」
「あらぁ… じゃあやっぱりあなた、緋ちゃんなのぉ?」
「ぇえい! 先程から馴れ馴れしく『姫ちゃん』だなどと…。 其方、何処でその呼び名を聞いたのかは知らぬが、人間族の分際で不敬である… ふけ… ふ…… ふぇっ~くしょいぃ!!」
「あらあらぁ、その恰好じゃ寒いわよねぇ…。 ほぉら、まずはそこに置いてある衣服を… 」
「ぐず… ん? あぁ、これか。 ぉ、おぅ… すまんのぅ… 」
… と、このように会話が全く噛み合わずにすれ違い、無駄な刻だけが延々と浪費され… 結局未だ、互いの素性や今現在の状況の把握すらも一切出来ていない中 ――
室外から ばたばたと騒々しい足音が聞こえてきたかと思うと、部屋の入口の帳が勢い良く上げられ、巫女装束を身に着けた少女がもう一人現れた。
「おい! みんな大丈夫なのか!?」
そう言って無遠慮に侵入り込んできた少女は、室内の様子を見て更に驚いたように声を上げる。
「うぅぉわ!? 姉貴、なんで裸なんだよ!? てか身体すんげぇ光ってるし! ひぁ!? 目ぇ、赤と緑んなってんじゃねーか! 怖ぁ!?」
この更なる混沌を盛大に持ち込んできたような もう一人の少女の出現に、これまで室内にいた三人は却って少し冷静になり、『ともあれ、そろそろ一度状況を整理せねば』と、切実に思ったのであった。
◇
「ふむ… では我れは、其方… 晴親殿が執り行なった、『精霊召喚 口寄之儀』… とやらによって、此方に呼び寄せられたと… そういうことなのじゃな?」
… と、ここに至って漸く、少女も取り敢えずは八重畳の脇に用意されていた襦袢を羽織らせられ、互いにある程度の話が進み始めたところである。
「左様です。 儂が先祖伝来の術である『陰陽道』言うもんを使いましてな? 娘の身体を仮の依り代として、神さんか高位の精霊さんか… そのあたりの方に憑依っていただいて、ほいでから ある事をお伺いしようと… 斯様に思ぅとったんですわ」
晴親がそう言うと、隣に座っている煕子が言葉を足す。
「そしてその、うちの娘というのがぁ… 長女の緋子ちゃん。 あなたが今 憑依っておられる、その身体の子のことなんですよぉ。 あ、それで今来たこっちの子がぁ… その妹の丹子ちゃん、双子の姉妹なんですぅ~、うふふ♪」
「お、おぅ… そうか、成程のぅ。 では取り敢えず『ひいちゃん』の件は、どうやらこちらの誤解であったようじゃ… 先程はすまなかったのぅ、許せ。 でじゃ… これは聢と申しておくが、我れは『神』などでは決してない。 むしろ、奴らの敵方に与する者であるぞ」
「あらあらまぁまぁ! それではそのぉ… あなたは、『悪魔』さんなんですのぉ!?」
煕子はそう言うと急に興奮した様子を見せ、まるで幼子のような くるくるした表情で目を輝かせ始めるが ――
それを聞いた傍らの二人はというと、互いにその青ざめ引攣らせた顔を見合わせ、何やら首を振ったり手先を振るわせたりしながら、また小声でごちゃごちゃと言い合いを始める。
「いや、我れは悪魔族ではない。 同じ魔族側… 魔帝国に従属する陣営の一つではあるが… そうか、未だ我が名を名乗ってはおらなかったのぅ。 我れは、ラミーア・オベクス自治領主・パドマ・バティ・ヴリコラカス侯爵である」
少女… 蓮御門 緋子の姿をしたパドマがそう名乗ると、人間族の三人は、取り敢えず ぽかんとした表情をしている。
そして ――
「ぁあーっと… え、外人はん? なんやぁ… ただの外人はんやないかぃ~、驚かさんといてぇや ほんま~」
「あらあらまぁまぁ… 日本語が とぉーっても、お上手なのねぇ♪」
「え、神でも悪魔でもねぇの? っんだよ、ただの外国人のOBKかよ… ったくぅ!」
… と、相変わらず話が進まず全然通じない流れは健在である。
「いや、だーかーらー! 其方ら… 一度ちゃんと、落ち着いて我れの話を聞けぇ!!!」
そう叫ぶように制するパドマにも少しく疲れの色が見え始める ――
… が、実は本人さえも気付かぬうち、当初 人間族である彼らに対して抱いていた怨嗟や蔑視、警戒感といった負の緊張はすっかりと失せ… 逆にどうやら、彼らの持つ一種独特な雰囲気に呑まれる形となってしまっていたようである。
「ふ… ふふっ どうにも、珍妙しな連中じゃのぅ、其方らは」
この長く不毛でくだらないやり取りにパドマはつい可笑しくなり、少しだけ破顔ってしまう。
「あー、分かった分かった。 我れももう少し丁寧にゆっくりと話すことにする故、其方らも早合点せずにきちんと聞け」
そうして彼らは、互いのことをいろいろと話し訊ね合い、漸くにして少しずつ、事の次第が整理され始める。
◇
「なんや、やはりただの外人はんとは ちゃいますんやなぁ。 ところでさっき、『コウ爵』や 言うてはりましたけど、どっちの… いやぁ いずれにしろ、うちよりも爵位は上なんやなぁ。 この蓮御門の家も、一応は華族でして… 子爵の位を授かっておりますのや」
略)
「成程のぅ…。 ではどうやら此処は、つい先程まで我れが居った場所とは、そもそも全く別の世界… ということになるようじゃのぅ」
略)
「あらぁ… それではつい先程、許嫁の方と最期のお別れを… それは大変にお気の毒でしたこと… ぐすっ… しくしく」
略)
「そうか、煕子殿の占いで『数年後に未曽有の災害が起こる』との凶兆が見えた故、神を召喚して真偽の程を問い質そうとしたところ、我れが呼ばれてしまったと… そういうことなのじゃな?」
略)
「え… 神でも悪魔でもないけど… 『ヴァムパイヤー』? あー、それって… なんか最近読んだ仏文学の本に書いてあった気がすんなぁ…。 そうだ、『吸血鬼』とかいう… げ、あんた血なんか吸うのか!? やっぱ怖ぇ~… てかさ、『鬼』が陰陽師の家に召喚されるって、何それにウケる~♪」
… と、多少はいろいろと話が進んだところで宴も酣 ――
ここでふと、この家の次女である丹子が、漸く大事なことを思い出した。
「あれ? なぁなぁそれよかさー、姉貴って… 一体どうなっちまったんだ?」