『肆ノ柱 ✿ 魔素枯 de 帰寂』
消えかけた巨大な魔方陣が、まだ上空に ほの紅く残る此処、西方辺境のフェスト平原 ――
真祖 パドマ・バティ・ヴリコラカスは、そこにただ悄然と、今は小さく弱々しい身体を横たえている。
「お… お姫様!」
先刻まで『辺境伯』と呼ばれていた騎士は、今まさに事切れようとしている彼女の傍らでその手を握り、衆目を憚ることもなく大涙しながら、かつてより親しい者のみが許されてきた、その愛称を大声で叫んだ。
そして、更にそれを取り囲む数多の吸血魔族たちも、愕きと困惑の中で悲嘆に暮れながら、その光景を静かに見守っている。
「何故です!? 我らは… 貴女は勝ったではないですか! あんなにも華麗に… 圧倒的に! なのに… なのに何故…… 」
いつもは飄々として何事にも動じないヴィシュルド辺境伯が、目の前の状況を全く以て受け入れられずに困惑し、取り乱しているように見えた。
だがそれも、今宵起こった事々を鑑みれば、無理からぬことであったろう。
当初、理不尽かつ非情な敵からの無慈悲な侵攻を受け、種族は甚大な被害と数多の犠牲者を出すに至った。
だがしかし、そこからパドマが行使した超常的な力によって 吸血魔族側は大いなる僥倖を得、以降は 復刻・蘇生・返報・蹂躙・殲滅と、状況は目まぐるしい上下動にて推移 ――
それが今度は、その神の如き極大の御業を成し遂げたはずの主君が突如、もう身罷るのだという。
まさに青天の霹靂、卒爾慮外の状相であること甚だしく、不条理であることこの上もない。
そんな、全ての者たちが悲嘆と途方に暮れるこの場の状況において、心静かでいられた者があったとするならば ――
それは誰あろう… 死を目前にし、今現在 荒れ野に横たわっている、パドマ本人のみであったろう。
「すまぬな、ヴィシュルド…。 我れももう… 齢480を越え… 全盛期と比し、この身の魔素量は… 半減して…おった…。 それ故… さすがに数万の敵を屠り… 更には千を超える眷属たちを救うのには… どうにも身が… 持たなかった…ようじゃ、はは… 」
パドマはそう言って、一筋の涙を落としながらも破顔って見せた。
「どうして… 一体、どうして…… 訳が… 訳が解りません、お姫様! どうして貴女が… こんな…。 のこ…遺さ… 遺された我らは! ……… 私は… 一体 如何すれば良いのです…。 翌月には… 夫となるはずであった…この私は… この先 何を励みに生きていけば…… く、ぐくぅぅ…う……!」
ヴィシュルド辺境伯は、真祖であるパドマには当然及ばないまでも 眷属内では随一の魔素量を誇り、才気溢れる逸材であった。
その才は 広く魔帝国内にも聞こえ、辺境伯の称号も、侯領内における局所・便宜的なものではなく、帝国から叙された正式な爵位であった。
彼は350年程も昔、故あって 幼少期にパドマ自身の牙により直接 眷属とされ、その後は本城の御居館内に一室を与えられて、成人するまでパドマや他の高位眷属たちと共に暮らした。
ヴィシュルドは当初幼かったこともあってか、パドマから親族同然の扱いを受けて寝食を共にし 随分と可愛がられ、またその身に様々な薫陶を直に受けるなど、眷属としては破格の待遇の中で育った。
そして来月には… パドマと晴れて婚姻入婿の上、共に侯領の施政を支えていくことになっていたのである。
「ふふ… じゃがこれで、こんな婆様と… 夫婦にならずに… 済んだでは…ないか… 」
「お姫様!」
こんな時に… いや、こんな時だからこそででもあるのか、パドマが発した際どくも自虐に過ぎる戯言に、ヴィシュルドは本気で気色ばむ。
「おっと… 怒られてしまったか…。 ふふ… すまぬな… いや、本当に… すまぬ…。 我れにとっても… 初めての…輿入れとなる… はずであった…故… 夫が其方であるからこそ… 我れも… 楽しみにしておったよ… ヴィシュルド…… 」
ヴィシュルドはパドマの手を握りしめたまま激しく泣き崩れ、嗚咽で言葉も出ない。
パドマはそんな彼の様子を見て、再度少しく微笑み… しかしもうあまり暇もないであろうことを察して、更に言葉を紡いだ。
「魔帝国の… リュツィフェール…6世陛下…には… 其方との婚儀…の… 旨は… 報せて…ある…。 故に… 我れ…が… 逝った後…は… 一時的に摂政… と…して… 領内のことを託…す… 」
「はい… はい、どうかお任せを… 主上殿下…… 」
「じゃがな… ヴィシュルドよ… 我れの…死は… 当分の間…は… 伏せよ…。 そして… 次なる族長を… 探…せ… 早急に…な…… 」
ここでパドマは漸く、ヴィシュルドがただ感傷にだけ浸ってはいられなくなる、真の核心部分に言及した。
「次なる… 族長…? どういうことです!? 真祖であられる御身は、貴女様御一人のはずでは…?」
ヴィシュルドは大いに驚き狼狽えるが… また同時に、それとは別の思考を瞬時に働かせると、側近の臣に鋭く目配せして、周囲の者たちをこの場から急ぎ遠ざけさせる。
「あぁ… そうじゃ…。 我ら吸血族に… 真祖は…唯一人しか… 存在…せぬ…。 じゃが 言い換え…れば… 必ず一人は… この世に…生を… 受けるの…じゃ…。 故に…のぅ… ヴィシュルド… 我れが死ね…ば… 即刻…何処かの…地で… 真祖…が… 生まれるの…じゃ…。 そして… その者…こそが… 次なる…… 」
どうやらいよいよ以てパドマの生は尽き、その魂魄が冥界へと立ち還るまでに、あと幾何の猶予もないようだ。
「そんな… それは、それは一体 何処に… !?」
「其方…なら… すぐに… 見付け出して… くれ…よう…? 我れの… 跡継ぎ…を……。 そし…て… 暫く…は…… 其方… 親……り…して… そ… 者…… 導…ぃ …………………… 」
吸血魔族の真祖、パドマ・バティ・ヴリコラカス侯爵、急逝 ――
婚約者に看取られて逝った最期のその顔は、まるで透き通るような白翠色の微笑みを湛え…… しかし息を引き取って尚、その両瞳からは幾筋もの涙が、暫し流れ続けていたのだという。
「お… お姫様……!? お姫さ… パドマ… パドマぁーーーーー!! ぁあ! ぁぁぁああーーーーー!!!」
◇
西暦 1920(太正9)年 某日 ――
大日本皇国 東亰府東亰市 荏原郡目黒村内の、森を背負った小高い丘状の某所。
華族 蓮御門子爵邸の一室。
蓮御門家は、世が回天し元号が改まった明冶の御一新以前、代々 朝廷に陰陽頭として仕えた公卿・堂上半家の家柄であり、維新後は子爵を賜った。
現当主は蓮御門 晴親。
蓮御門邸は、太正の御代に大方の華族たちが挙って建て住まう『洋寄りの和洋折衷様式』の邸宅とは趣を異にし、表と裏の玄関周り… そして中央部に高く突き出たガラス張り3階建ての『星見楼閣』部分が煉瓦積みとなっている以外は、全て純然たる総檜・寝殿造の様式となっている。
その邸内の最奥 ――
結界が張られ、数種の香木により焚き染められた厳かな一室において、今まさに〈 精霊召喚 口寄之儀 〉が執り行われようとしていた。
室の入口には帳が下ろされ、四隅には灯籠の火が薄紅く揺らめき… 部屋の中央には、神座であり寝座としての八重畳。
そして、その周囲には食膳や酒器… 衣服や沓などが、恐らくは厳格な儀礼形式に則った位置に整然と置き並べられている。
しかしながら、中でも最も奇異な光景としては ――
八重畳の上面、頭部を午の方角に仰向けて横たわる、一糸纏わぬ姿の少女が一人。
そしてその前には、当主である蓮御門 晴親が、衣冠束帯を身に着けた儼乎たる姿で、裸の少女に向かって額を畳に擦り付ける程に平伏、叩頭していた。
少女の名は、蓮御門 緋子。
蓮御門家の長女であり、一子相伝の蓮御門陰陽道を継承する、晴親の実娘である。
また、この室内にはもう一人、巫女姿の女性がいる。
名を煕子といい、緋子の実母であった。
煕子は、旧朝廷・神祇官の次官であった神祇大副 吉幡多子爵家の出であり、こういった儀式事には大いに造詣が深く、主宰である夫 晴親をも遥かに凌ぐ異才があった ――
いや、あり過ぎた… と謂うべきか。
「然らば… 緋子、参るぞ」
「はい、御父様… いつでも」
晴親は、蓮御門家に代々伝わる陰陽道の呪を唱えつつ、始めだけ大幣をかさりかさりと振ると それを傍らに置き、何やら手刀で せっせと様々な印を結んでいく。
その横で煕子は 神楽鈴をしゃんしゃんと鳴らしつつ、敢えて夫とは別系統である、実家 吉幡多神道系の祝詞を滔々と唱えているのであるが ――
その、周囲全てを振るわせ慄かせるような煕子の声音と、そして言祝ぎ舞う幽玄華麗な四肢の霊的な生動は、最早この世のものとも思えぬ程の稀代儁秀さであり、一種 神憑り的ですらあった。
恐らくはこれが、この後に起こる超常奇異な異態事象の真因であったろう。
儀式が始まってから程なく、室内には様々な現象が起こり始める。
先ずは、窓も隙間もないはずの室内に風が びょう… と一迅し、四隅に灯っていた灯籠の火が一斉に掻き消された。
そして、どうやら相当な近さで異様に甲高い雷鳴が轟き渡ったかと思うと、八重畳上に仰臥している緋子の身体が、ぼぅ…っと白翠色の淡光を発し始めたのである。
晴親と煕子は尚も激しく儀式を執り行い続けるが、この状況に晴親の方は少しく動揺の色を隠しきれず、声が震え額には大粒の汗が浮き、やがて吹き零れ始める。
すると、まるで先程の雷鳴に目覚めさせられでもしたかのように、緋子の上肢は手も使わずに すっ… と身を起こすと その刹那……
凡そ、人間のそれとは明らかに異質な 閃輝紅緑となった双眸が、かっと大きく見開かれた。
そして、一言 ――
「 ……… 我れは… 何故に裸?」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 後日譚 】
蓮御門家の面々による茶番解説
パドマ(元真祖/魂の居候);
「よぉ~し皆、大いに慶ぶが好い! 今回で漸く、彼方の世界での『陰鬱でニーズがなくしんどい話』は終わり、我れもめでたく死んだぞ! 皆、これまですまなかったのぅ! いやぁ、善きかな善きかなー! あーっはっはっはっはっはー♪ ちぃっ… くそがぁ!!!」
蓮御門 緋子(猫/長女);
「へ!? いや… ちょっとパドマさん? 一体、どうしてしまわれたんですのにゃ… 情緒不安定?」
蓮御門 煕子(母);
「あらあらまぁまぁ… パドマちゃん、何があったというのぉ? なにか つら~いことでもあったのならぁ… なんっっっでも あたくしに相談してねぇ?」
蓮御門 晴親(父);
「そうやぞパドマ殿… 儂らはもう家族も同然や。 ささ、一体何があったんか丸っと吐き出して… 楽んなったらええわ!」
蓮御門 丹子(次女);
「いやいや、前回までのお前らの態度が原因だろ… え、わざとか?」
蓮御門 晴親・煕子・緋子
「 ……… はぁ? そらまた どういうことや?」
「 ……… え~? いったい なんのことなのぉ?」
「 ……… はい? さっぱり 意味不ですのにゃ?」
蓮御門 丹子(次女);
「こいつら… とんっでもねーサイコパスどもだな… 」
パドマ(元真祖/魂の居候);
「丹子よ、佳いのじゃ佳いのじゃ。 それに我れはの、前回までのこのコーナーで皆の本音が聞けて、逆に良かったと思ぅておるのじゃよ……。 ふふ、んっふふ… ふはははは…。 Shit!!!」
蓮御門 丹子(次女);
「パド…… 」
(うぅわ… なんかどっちも違う意味で怖ぇーよ… てか『コーナー』ってなんだ)
パドマ(元真祖/魂の居候);
「じゃがこれで、今回の本編後半に漸く 皆がお待ちかね、緋子の『貧っ相極まりない裸』が登場しよるしのぅー。 めでたしめでたしじゃー♪」
蓮御門 緋子(猫/長女);
「へ!? な、ななな… 何ですの急に? 人の身体を『貧相極まりない』って一体!? う… うにゃぁー! しゃぁぁぁあーーー!!」
パドマ(元真祖/魂の居候);
「しかしまぁ、如何に貧相とはいえ… 緋子のでまだ良かったわー。 もしもこれが煕子の『嗄れた老体』なんぞであったらと思うと… うん、見るに堪えんからのー♪」
蓮御門 煕子(母);
「!? あ… ぁあたくしは、まだそんなに老いさらばえてなんか おりませぇ~ん! もぉ! パドマちゃんったら ひっどぉ~~~い!! ぐすん… しくしくしく… 」
パドマ(元真祖/魂の居候);
「あー… しかしそもそも、晒さんでも良い娘の肌を無意味に露出させてしまいよったのは、父殿の魔導の心得が未熟かつ無知蒙昧に過ぎたからであったのぅー。 やれやれー、しかしまぁ… 力量不足の『なんちゃって陰陽師』では、致し方のないことじゃー♪」
蓮御門 晴親(父);
「パ、パドマ殿…『なんちゃって陰陽師』て……。 なんや、その言い得て妙のネーミングセンスは!? そんなん、今後めっちゃ拡散… 定着してしまいそうやんか~! ぁ… あほぉ~~~!!」
蓮御門 丹子(次女);
(うーわ、パドの復讐のしかた… しょっぼいけど 超えげつねぇー。 でもそーだよな… ここまでの本編の話をちゃんと読んでたら、パドが『敵に回したら超やべーやつ』だなんて、気付かん方がどーかしてんだろっつー。 まぁ、しょぼいけど… )
パドマ(元真祖/魂の居候);
「 ~~~~~♪」