『貳ノ柱 ✿ 闇魔術 de 蹂躙』
天空には、どの方角の辺円をも見渡せぬ程に巨大な魔法陣 ――
その緻密な幾何学文様と呪の文言は、まるで鮮血のような真紅の閃きをちりちりと無数に放ち、それが幾層にも天高く積まれている。
今この時、主戦場たるこのフェスト平原に身を置く 敵味方両軍の将兵たち… のみならず、ラミーア・オベクス自治侯領内の全侯領臣民をも合わせ、その数およそ10万にも上る者たちが、皆 呆気に取られた表情で、それぞれの頭上の空を見上げていた。
前線で騎乗し指揮を執っているヴィシュルド辺境伯も、これにはさすがに声を失い表情も強張らせたまま、暫し頭上を見上げている。
そして漸く、半ば強がりのような言葉を無理に押し出した。
「ぉ… おやおや、これはもう何と言うか… 畏怖畏敬を通り越して、何かの冗談としか思われないような… 」
そして傍らに控える兵は、この数刻で起こった目を覆わんばかりの惨禍と、そして今 眼前で繰り拡げられている事象のあまりの荒唐無稽さに、驚駭し 心呑まれること甚だしく ――
「ここ、こぉ…れは… ぁあの、まま… まさ か…?」
… と、もはや全身から戦慄き出ずる吃驚の相を隠す術もない。
しかしながら、おかしな話だがこの辺境伯には、この兵の狼狽え様が却って少しく救いとなったようで ――
ここにきて初めて漸くに、この『名も知らぬ傍らの彼』のことを少しだけ好ましく思い、また同時に初めて、彼を『一個人』として認識した。
そして更には、自らの困惑や怖れを祓うための、ひとつの動因要素にもなったようである。
「ふふ… ええ、まさにこれこそが 我らが種族の真祖、パドマ・バティ・ヴリコラカス主上殿下のご降臨ですよ。 そしてその御尊体は… えーっと…… あぁ ほら、彼方に」
辺境伯はそう言うと、上空に浮かぶ巨大な魔法陣の中心付近を掌でふわりと指し示した。
その先、遠くてよくは見えないが 目を凝らしてみると確かに、漆黒の闇空と真紅に輝く極大魔法陣との強烈な明暗彩度差の狭間で、異形の人影がぽつりと浮かんでいるように見える。
鈍く淡く光る、美しい装飾刻印の施された真紅色金剛稀鋼製 全身板金甲冑に、大きく波打ち翻る 鮮紅・漆黒の天鵞絨外衣。
兜の後部首元からは、長く美しい銀髪が はらはらと風に靡き… そしてその者の、幾分眠たそうに薄く開けられた両瞳からは、異様な鮮やかさで煌々と輝く 紅蓮の光彩が放たれている。
すると、敵味方を問わず付近一帯 全ての者たちの頭上から ――
「なかなかに躁いでくれたのぅ… 性根汚らわしき劣等弱賤種どもよ… 」
… と、虚空にぴたり静止している彼女の声が、皆の頭蓋内に直に響いてくる。
「我れは、当地ラミーア・オベクス自治侯爵領の統治者、パドマ・バティ・ヴリコラカスである。 今宵は随分と、佳き趣向を凝らしてくれたようじゃ…。 地虫か粘菌以下の非力蒙昧なる劣等弱賤種どもが、耳長ふぜいの助力程度で よくぞここまでの大事をやってのけた。 いや、このパドマ… 痛く感じ入ったぞ」
彼女は、その宙に浮いた美麗な軍装の四肢だけでなく、顔の表情ひとつすらも微動だにせず、更に無機質に言葉だけを紡いだ。
「故にじゃ… 今宵 存分に燥ぎ励んだ貴様らには、これより慶きものを見せてやろう。 悦べ! 貴種の頭目たる我れからの、心尽くしの褒美である!」
地を這う全ての者たちに、その美美しくも禍々しい怨嗟難詰の声が響き届くと同時、幾層にも重なっていた魔法陣の内の一層が、真紅から翡翠がかった淡白色にその色を変え ――
そしてそれが幾つにも分散して小さくなったかと見るや、吸血魔族たちの屍の上に、それぞれが疾く滑らかな光跡を引いて飛来した。
それら白翠色の魔法陣たちは やがて時計の文様へと変化し、その針はゆっくりと逆回転で動き始める。
すると、先刻 惨たらしく斬り刻まれ切断された数多の骸たちは、まるで時を巻き戻されるように その原型を取り戻していった。
「辺境伯閣下、こ これは… 」
傍らの兵は、眼前で次々と展開されゆく途方もない奇景の連続に、大いなる畏れと高揚が綯い交ぜになった表情で馬上の騎士に問う。
「いやぁ 本当、すごいよねぇ。 でも確かに… こうして体を元の形に戻しておかないと、いくら反魂や治癒の呪法を施しても復活させられないから… まぁ、そういうことなんだろうねぇ」
「これが… この偉大なる御力を行使し、彼方におわす彼の御方こそが… 我らが主上にして唯一絶対の存在、御真祖パドマ殿下…… 」
そうして二人は… いや、今この地に居る全ての者たちは ――
ただただ虚空を見上げ、眼前で繰り拡げられつつある この摩訶不思議な報復劇を、暫し見せつけられるに任せるしかなかった。
そして、地に横たわる骸や負傷者たちの四肢が、概ね元の形に戻ったであろう頃合い ――
天空に拡がる魔法陣の内の最下層の極大円が、更に眩く真紅の光を放ったかと思うと… そこから夥しい量の液体が、地表に向けて間断なく滴り始めた。
その液体は、まるで澱を含んだ血のように紅く粘性を帯び、それらが一滴一滴、敵味方を問わず全ての者たちの頭上に ひたひたと降り注ぐ。
すると、まずは疲労困憊し倒れ込んでいた吸血魔族兵たちの疲れが癒え、次に軽傷者たちの傷が跡形もなく治癒し ――
更には、激しく斬り刻まれた重傷者… もしくは屍たちの無残だった裂傷が、見る見るうちに塞がっていった。
そして… 既に息絶えていた無数の吸血魔族たちの身体が淡く光り始め ――
まずはその者らの手先足先などが ぴくりと動いたと見るや… やがてゆっくりと、その場に身を起き上がらせ始める。
その霊妙奇怪な光景を、吸血魔族のみならず、妖耳長族や人間族の兵たちも全て、空から滴り落ちる血のような雫を身に浴びながら… ただただ茫然と、惚けたように仰ぎ眺めていた。
「ふむ… これで何とか元通りじゃ。 解るか、卑陋下賤なる劣悪種どもよ。 貴様らが無い知恵と勇気を振り絞り、その命を賭してまで行なった此度の所業は… 見ての通り、全てが灰燼へと帰したぞ。 どうじゃ… 貴様らのその、塵芥の如きつまらん命を剥ぎ取られる前に、いと面白きものが見られたであろう?」
彼女はそう言うと右手を軽く挙げ、そして指をぱちりと鳴らした。
すると… 攻め手の妖耳長族や人間族たちが、俄かに絶叫し悶え始める。
この広大な平原上に展開する3万の侵略者たち全てが、一人の例外もなく壮絶悲痛な叫び声を上げ、地を這い のた打ち回る。
見ると、どの者らも甲冑の隙間から大量の血を溢れ流し、また 露出した部位の皮膚は、まるで紅蓮の華のように裂け開き、激しく爛れていた。
「これは我れからの礼… 恵みの甘露酒じゃ。 盛大に浴び… 大いに飲み干し、その地獄を味わい尽くすが好かろう。 痛みは生の証し、絶望は死への誘い水とやら。 そして後悔は… 怨嗟の渦となりて、我らの糧食とならん」
と、しかし… 彼女はここまで、その言辞の辛辣さとは裏腹に、終始無機質 かつ無表情ではあったが ――
これ以降、漸くに向けた同胞眷属たちへの言葉は、これまでとは一転、慈愛と憐憫に満ち満ちたものであった。
「さて、我れの眷属たちよ…。 此度は、まこと酷い目に合わされたものよのぅ…。 来るのが遅くなり、本当にすまなかった… 許せ。 さぁ… 愛しき眷属らよ、其方らを苦しめた 厭うべき彼奴めら… その生が未だあるうちに生き血を啜れ! 精を付け、剥離れ傷付いたその身と心を癒すが善かろうぞ… さぁ行け!」
その言葉が地上に届くと同時、これまで惚けたように この奇景な成り行きを眺めていた吸血魔族たちは、疾く我に返ると続々、手近な敵兵たちに襲い掛かっていった。
とは言え、既に全身から血を噴き出し倒れている彼らの身体からは、吸うというよりも ただ舐め吮るだけで事は足り、あとはただただ一方的な蹂躙となった。
その後 半刻ほど経ち、吸血魔族たちも、もうこれ以上 血を啜れない程に満たされた頃合い ――
上空に浮いたままの彼女が再び指を鳴らすと、幾層もの魔方陣が広域各所へと無数に飛来し、それぞれの場所で眩い閃光と爆音を放って、息も絶え絶えの敵兵たちを灼熱紅蓮の業火で葬り去っていった。
だが不思議なことに、灼熱で焼かれたはずの侵略者たちの骸は、いずれも凍てつき霜が付いた、極冷の氷結状態で横たわっていたという。
これが今宵、ラミーア・オベクス自治侯領の西方辺境 フェスト平原で起こった、ほんの数刻に亘る饗宴の顛末である。
そして、この宴の一切を取り仕切り 大業を成した、真祖 パドマ・バティ・ヴリコラカスは――
虚空で独り、ふぅっ と息を吐くと… 天を仰いでゆっくりと目を閉じ、その身を仰向かせた姿勢のまま、地上へと下降していった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 後日譚 】
蓮御門家の面々による茶番解説
蓮御門 緋子(猫/長女);
「今回のお話では、まだ私たちは登場致しませんでしたわね」
蓮御門 丹子(次女);
「あぁ、まだパドっちが向こうの世界でヤンチャかましてるとこだったなぁ」
蓮御門 煕子(母);
「そぉそ、今回は まだちょ~っと小むずかしい感じのぉ… 読むのが面倒くさぁ~いあたりなのよねぇ~。 だから、うちの緋ちゃんが裸で登場するのはぁ… 次回以降となりまぁ~っす! うっふふふ♪」
蓮御門 緋子(猫/長女);
「うにゃ!? ぉぉお、ぉか… 御母様ぁ!?」
蓮御門 丹子(次女);
「あっははは! その話さー、もう何っ回聞いても可笑しーわ。 あと母さまさ、取り敢えずこういう場で『読むのめんどくさい』とか言ってやんなし」
パドマ(元真祖/魂の居候);
「しかしまぁ…『序章』は確かに、多少 陰鬱かつ凄絶な描写が続くところではあるのぅ…。 特に我れが怒りに任せ、幾万もの妖耳長族や人間族共を無慈悲に蹂躙し屠っていく様といったら……。 いや、しかしまぁ… 我れは気持ち良かったがの♪」
蓮御門 緋子(猫/長女);
「えーっと… それ、本当に大丈夫なやつにゃんですの? その展開の後で、ちゃ~んとこうした『和やか日常系』の世界観に移行可能なのでしょうねぇ… 」
蓮御門 煕子(母);
「大丈夫よぉ♪ だってほらぁ、パドマちゃんってぇ… 何かこう、『ギャップ萌え』じゃない?」
蓮御門 晴親(父);
「ぅ~ん… なぁ煕子ぉ? あんた、もうすっかり忘れとんのかも知れへんのやけど… 今は一応、『太正の御代』やからな? 時代設定やら何やら、あんまおかしゅうしてもうたらアカンのやで… 」
蓮御門 丹子(次女);
「それなー。 そーいう… なに? 設定とか? あとはほら… 時代…コウショウ? わっかんねーけど。 そういうのってさ、結構大事だったりすんだろ? でもその点 うちのパドっちならよー、話し方とか超ジジィ系だし… そこはきちっとハマりそうだよなー!」
パドマ(元真祖/魂の居候);
「ん~っとじゃ… 何やら気になるところもいろいろとあったが… まぁ良い。 しかしこれだけは言うておくぞ。 良いか丹子よ、我れの口調を形容するのであれば…『爺ぃ系』ではなく『婆ぁ系』であろうが!」
蓮御門 緋子(猫/長女);
「いや、そ・こ・で・す・の!? 御自分で『婆ぁ』言っちゃってますけど!?」
蓮御門 晴親(父);
「パドマ殿… そこは正直ど~でも宜しい。 それよりも儂が気になるんはなぁ… 丹子ぉ、お前さんのその卦体な喋り口調の方や。 正味の話 ちと乱暴やし、華族家の娘としてやなぁ…… 」
蓮御門 丹子(次女);
「はぁ? え… あたし? ちっ… んだよもー、ったく… 外では一応ちゃんとしてんだから別に…。 てかさぁ、父さまこそそのエセ関西弁、なんとかした方がいんじゃねぇのか? 本当は東亰生まれのくせに、『陰陽師は京言葉 使てなんぼや~』とか… ワケわかんねぇっつー 」
蓮御門 煕子(母);
「あらあらはいはい… 丹ちゃんもそこまでよぉ~。 お父様が仰る通りぃ、言葉づかいは大事♪ それにね丹ちゃん、パドマちゃんの喋り方を『古臭~い』とか『偏屈ジジィみた~い』とか『厨二病かよ~』とか…。 そぉ~んなこともぉ、本人の前で直接言ったりしたら… NON NO~N なのよぉ~♪」
パドマ(元真祖/魂の居候);
「うむ…。 我れも未だ、此方の世界の事情に疎い身ではあるのじゃが…。 しかし今回の会話から、『煕子こそが相当に拗らせておる』ということは再認識出来たぞ」
蓮御門 緋子(猫/長女);
「まぁ… それについて私からは、ちょっと言いづらくてアレなのですけれど…。 ところでこの茶番劇… これからも続けていくんですの?」