『壹ノ柱 ❀ 異世界 de 惨劇』
カマル暦1435年 ――
大陸中央部に位置する ラミーア・オベクス自治侯領は、今宵 未曽有の危機に瀕していた。
この小規模な社稷は、大陸北方に広く覇を唱える ザイタン魔帝国 を宗主として仰ぎ、年二回の進貢を以て、その君主が帝国侯爵位に叙され従属している。
侯領の民たちは全て単一種族のみで構成され、その種族内にただ一個体のみ存在する〈 真祖 〉を絶対的な君主として、神の如くに崇めていた。
この領内において突如、他種族からの大規模かつ凄惨な戦い… いや、無慈悲な侵略者たちによる一方的な殺戮が引き起こされたのは、ほんの数刻前のことであった。
その主な舞台となったのは、侯領西方辺境の城塞型交易都市ツァンナ。
ツァンナは侯領の西端 ――
地図上では、〈 護りの森 〉と記されている辺縁の原生魔林帯に隣接した、フェスト と呼ばれる平原の端に位置している。
この平原には、整備の行き届いた石畳の街道が南北方向に整然と敷設されており、交通・交易の要衝として人々が数多集い、他領異種魔族との交流も盛んであった。
そうしたこの地の治安と秩序を管轄し、また恩恵を受けるツァンナの街は大いに栄え、およそ6880人超に及ぶ侯領臣民たちを擁していた。
この 一般民衆を多数抱えた辺境都市に、悲劇が襲い掛かる。
端緒は、ツァンナ周辺の地表に突如、幾つもの大規模転移魔法陣が碧く浮かび上がったのを、たまたま付近で遊んでいた吸血魔族の子供らが目撃したことに始まる。
そして間もなく、そこから妖耳長族と人間族の異種族国家連合軍3万が一瞬にして出現 ――
逸る彼らは、真っ当に陣を敷くことも疎かに、いずれの兵たちも自らが湧いて出た場所より一散にツァンナの城門を目指して走り、また途中で遭遇した無抵抗な侯領臣民や他領の商人たちをも血祭りに上げながら、この地を急襲したのだ。
転移魔法での奇襲とは言え、ツァンナの城塞には辺境の砦として幾重にも防御結界が張り巡らされており、おかげで内部への直接的な侵入こそは回避出来たものの ――
数に圧する大兵力で十重二十重と囲まれ、かつ 妖耳長族の弓や魔法による波状攻撃、そして人間族の繰り出す様々な攻城道具や姑息な攪乱戦術などを前に、城門は半刻と持たずに破られた。
以後、城塞内は凄惨を極める。
「殺せー! 我らが神の敵、吸血魔族どもを根絶やしにしろー!」
「こいつらは魔の者、ただでは死なん! 首を刎ねるか胴を断つか、でなければ街ごと焼き払えー!」
「吸血魔族以外の連中も異形魔族の行商人どもだ! ついでに殺して金目の物を奪い盗れー!」
城門からどっと雪崩れ込んだ妖耳長族と人間族の兵たちは、いずれも各一個体どうしでは到底 敵う筈のない『恐るべき吸血族ども』を相手に、ともすれば怖気付き心折れそうになる自らを叱咤鼓舞するため、異常かつ過剰な怒号と狂気を盛大に振り撒きながら、吸血魔族の一般民たちを無慈悲に打ち斃していった。
攻め手は数にものを言わせ、相手がたとえ幼い子供であろうとも、重武装兵5人以上で取り囲んでの惨たらしい殺戮をひたすらに繰り返していくという、能はないが確実、かつ下劣な戦法を採った。
結果、街の中心とみられる大通りや公園には、吸血魔族たちの屍が累々と横たわり、また無造作に積み上げられ ――
そしてその何れもが、原形を留めない程に損壊遺棄されていた。
程なくして漸く、常駐の騎士団や守備隊の兵たちが街の西側に到着したが、やはり多勢に無勢 ――
さすがに重武装し充分に練兵された吸血魔族正規兵たちは精強で、妖耳長族や人間族の兵たちも、その数を多少 削られてはいる。
とは言え、寄せ手は総勢3万。
圧倒的な数に押されて守勢が壊滅させられるのも、もはや時間の問題かと思われた。
「辺境伯閣下、このままでは… 」
駆け付けた吸血魔族軍の中に、見事な甲冑を身に付けた上級貴族と思しき馬上の騎士がいる。
その傍らに控える兵は、眼前に拡がる如何ともし難い惨状にあてられ、ここで言っても栓のない弱気な言葉を、つい馬上の騎士に向けて吐露してしまう。
しかし言い換えれば、精強で謳われた吸血魔族兵ですらも深く絶望してしまう程に、状況は悲壮極まるものであったのだ。
だがそれに対し、『閣下』と呼ばれた騎士の方は、この惨状を前に どこか飄々としていた。
まるであとから、何らかの方法で取り返しでも付くことを知っているような。
「ふぅ… やれやれ、ついに間に合いませんでしたか…。 何とも致し方のない仕儀とは申せ、これでは お姫様に合わせる顔がありませんねぇ… 」
馬上の騎士は、声を掛けた兵の方には顔を向けず そう独り言ちると、更に続けて愚痴のように言う。
「まったく… 先頃から、巨亜人族や猪頭魔族、そしてつい先日には飛竜亜人族の各自治領までもが、何処かの勢力により襲撃を受けたとの報を得ていたというのに…。 己が種の優位性や不死性に慢心し、後手に回ってしまいましたねぇ… 」
「え…… は、はぁ… 」
兵は、上官の緊張感のなさに少ながらず違和感を覚え、少し怪訝な表情を浮かべる。
…と、それを察したのか ――
「ん? あぁ… いやなに、とは言え 我らが他種族よりも強靭 かつ優秀であることは事実。 ましてや〈 真祖 〉であらせられる お姫さ… いえ、主上殿下におかせられては、北の魔帝陛下にも比肩する程の御力をお持ちです。 まぁ、この目を覆うばかりの惨状も、何とかしてくださることでしょう」
そう言うと、城外東側に黒々と生い茂る 護りの森 の方角 ――
ひいては、自治領の中心に位置する 本城付近上空を見遣り… 寸刻 少しく目を細めつつ、僅かに顔を歪ませた。
そして、自らの耳にしか届かない程に小さく、自嘲して呟く ――
「実際、我らでは如何ともし難い…。 畢竟、また貴女に御守り戴くのみ… ですか」
己が無力さとこの惨憺たる状況、そして悪辣な侵略者どもへの怒りの感情から、つい眉間に皺が寄り、手綱を握る手にも力が入る。
… と、馬上で騎士が 背後の遠方を凝視したまま暫し不動でいるのを不審に思った傍らの兵は、少し躊躇いがちに声を掛けた。
「あの… 如何なされましたか?」
すると ここで初めて騎士は、兵の方へ顔を向けて問うた。
「いいえ、何も。 それで、街の東側の状況はどうです?」
そう問われ、顔を上げて馬上を見れば ――
騎士は従前と変わらない、飄々とした声音と柔和な顔つきである。
「は、東側の住人たちは 概ね城外へ退避 ―― 護衛の兵たちと共に、御本城に向かっております」
「ふむ… で、森の中に敵は侵入り込んでいやしませんね?」
そう言うと騎士は、先程とは打って変わって兵の顔をじっくりと覗き込むように見据え、このような状況であるにもかかわらず、少し悪戯っぽく口の端を上げているようにさえ見える。
「は… はい、勿論であります… 」
「ふぅん… 本当に?」
「 ―― あ、いえその… これはあくまで、小官の考え… 推測なのではありますが、恐らくは大丈夫かと… 」
「ほう… で、その根拠は?」
… と、何の気紛れか、騎士はやけにしつこい。
「その… や… 奴らとて、妖耳長族ごときが展開する何とも頼りない転移魔法で、元より脆弱な自らを あの森の中に送ってしまうなどという危険は… その、とても… 」
「 ―― うん、そうだね。 まぁ、そう思うことにしようか」
そう言って、騎士が漸く顔をまた前に向けてくれたので、兵はつい安堵の嘆息を吐いた。
自治侯領の西方辺境… 但し、この城塞都市から見ると東側に位置する禁域〈 護りの森 〉 ――
『護り』などという優し気な文言を冠した森ではあるが、そこは吸血魔族たちでさえ恐れ忌避する程に、数多の強力な魔物どもが跳梁跋扈する死の世界である。
そんな恐ろし気な場所の周辺や内部に、迂闊にも大勢で闇雲に転移し伏兵を置くなどということは、よもやあの『臆病な人間族ども』を擁した敵軍には、凡そ出来はすまい ――
兵はそのように推測し、騎士もまた それを現状の落としどころとした。
「まぁ、些か希望的観測に過ぎるかもしれませんが… とは言え、我らにはこれ以上打てる策も割ける人員もありませんしねぇ。 それにもし、彼らが実際 愚かにも森に侵入り込んでしまっているのであれば… 恐らくは、我々が手を下すまでもない」
騎士はそう言って肩をすくめる。
因みに、これは相当 後になってから判明したことであるが ――
実際、『愚かにも森に侵入り込んで』しまっていた侵略者側の一隊は、全てその浅慮愚行の代償として、自らの命を魔物たちの『糧』として差し出すという末路を辿っていた。
しかし、それはまた別の話。
場面は、主戦場の吸血魔族騎士と兵の二人のところへと戻る。
「 … で、主上殿下に此度の報は?」
「は、御本城には既に密使の飛影鼠が届いているか…と思 …… ぉおも… お、おぉぉぉおおーーー!!?」
問いに答えるため、馬上を見上げた兵の視線の先は騎士の顔を通り越し… その背後の空を見上げたまま、大いなる驚きと畏れの表情に乱れ崩れる。
その様を訝しみ、騎士も振り向いて空を見上げると ――
頭上には… というより、見渡せる限りの天空一杯には、大きく拡がる鮮烈真紅の魔法陣。
それが その更に上空側へと幾重にも重なり、最上層が如何程の高さにまで続いているのかも解らない、それ程に巨大かつ遠大… そして禍々しくも神々しい、光り輝く 真紅の呪と幾何学文様の集合体。
「これはこれは… 斯様な僻地への御行幸、まことに痛み入ります… お姫様…… 」
騎士はそう言うと、遥か上空に浮かぶ鎧姿の人影に向かい、馬上から恭しく頭を垂れた。
それを見て 傍らの兵も慌てて倣い、跪拝の礼を執る。
今宵、この地において突如 幕を切った凄惨な殺戮劇は、この後の更なる厖大無慈悲な鏖殺の大宴により、美々しく幕を下ろそうとしていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 後日譚 】
蓮御門家の面々による茶番解説
蓮御門 緋子(猫/長女);
「皆様、ご機嫌ようにゃ! さぁ、今日から私たちの物語が、いよいよ始まりましたわよ!」
蓮御門 丹子(次女);
「あーっははは! んなことより姉貴ぃ、早く人間に戻れっといいよなー。 なんかもー、語尾んとこの『にゃ!』がよー、すっげーイタについてきたっつーか… ぶっ! あっははははは!!」
蓮御門 煕子(母);
「あらぁ… でもあたくし、緋ちゃんは今のその猫さん姿の方が、前よりも断っ然かわいらしいと思うわぁ♪」
蓮御門 緋子(猫/長女);
「んにゃ? それって、ぉお… 御母様ぁ!? ふ… ふぅーっ! しゃぁぁぁあ!!」
蓮御門 晴親(父);
「こらこら お前はんら… あんま派手な今後のネタバレは、ええ加減にしよし…… 」
パドマ(元真祖/魂の居候);
「しかしすまんのぅ、緋子よ…。 我れがお前様の身体を奪ってしまっておるばかりに…。 あぁ、そう言えばなのじゃが… 我が魂魄が此方に引き寄せられた折の、あの『召喚之儀』のぅ…。 あれ、別にお前様が裸になる必要など 微塵もなかったと思うぞ? 私見じゃが」
蓮御門 緋子(猫/長女);
「 ……… えーっと… え? あのー… パドマさんパドマさん? それってつまり… あの儀を主宰し、私に服を脱げと命じた御父様が…『変態ゴミ屑ハゲ豚ジジィ』だったと… そういうことですのにゃ?」
蓮御門 煕子(母);
「あらあらまぁまぁ! 長年連れ添った あたくしの伴侶が… あろうことか実の娘に対して そぉ~んな大それたことをする『色ぼけ欲情変質おじゃる丸』だったなんてぇ…。 もう情けないやら面白可笑しいやら… しくしく… く、くくっ… ぶふ!」
蓮御門 晴親(父);
「はぁぁぁあ!? いやいやいや、お前はんら一体 何を言うとんのや!? あれはそもそも煕子ぉ、あんたが『せっかくだからぁ… いいもの拝ませても~らお♪』とか何とか、急に卦体なことを言うて来よってやなぁ、それで緋子を脱がす羽目に… 」
蓮御門 緋子(猫/長女);
「にゃ…にゃ…にゃにゃ…… ぅうにゃぁぁぁあ~!! こ、こぉんの… お馬鹿両親どもはぁぁあ!! ふーーっ! しゃっ、しゃぁぁぁあ!!!」
蓮御門 丹子(次女);
「あーあーあー …ったく、相っ変わらずうっせぇなぁ、この一族は…。 これじゃあさすがに、うちの高名なご先祖さんたちに申し訳ない気がするんだが… でもま、おもしれーからいっかぁ♪」
パドマ(元真祖/魂の居候);
「 …とまぁ、全体的には概ね 斯様な雰囲気の珍妙しな話になる筈であるのじゃが…。 本編の始めの方、序章四話くらいまでは 我れが元々居った異世界の殺伐とした展開が続くであろうからのぅ。 多少 重めじゃが… まぁ、何とか我慢して読んでやってくれぇ!」
【蓮御門 緋子】 (作画;漣 ✾ 黒猫堂)