『遥か彼方への珍道中』
かつて、死にたいと願った僕は今。岩肌で土を被りながら死にたくないと息を殺していた。
『製図家』を生きる理由にするつもりは無かったのに、命の是非を低賃金の約束事に振り回されている。
大雨と植物の間で霞んでいるが、目の前には巨大な『蟲』が闊歩している。道楽か本能か、アレには僕達に授けられた『言葉』という叡智は通用しない。
銅色の硬い外殻をぶち破れる爆薬か、両断出来る剣、ハンマーか斧が一番有効な交渉材料となるだろう。
「はぁ……はぁっ……(くそっ……早くどっかいけっ……!)」
━━しかし、生憎『冒険者』である僕には、そんな物を使える資格は無い。
現実は残酷で、僕には化け物に抵抗する権利も資格も有していないのだ。
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「…………行ったか」
重たい壁が近くにある、そんな圧迫感が消え失せたのが肌で分かる。食えないと悟った結果、僕と同じように擬態してるのかもしれないが…。幸いにも今は土砂降りだ。
湿った土くれの匂いと、樹木と見紛う雑草の中を掻き分け、一先ずは野営地へと移動する。
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「オメェ相変わらずロクでもねぇ事に巻き込まれるなぁ?チビッ子ォ」
焚き火の仄かな明るさが、濡れ鼠となった僕を照らす。そんな僕を、同業者は肴にするのがいつものパターンだった。今日もそれは変わらず、沸き上がる毒気を飲み込みながら帽子を取り、僕は雨に奪われた熱を取り戻す。
「全くですよ……。センパイにも同じ目に遭って頂きたいです。あ、これ内緒でお願いします」
「本人目の前に何抜かしてやがる(笑)
ほれ、暖けぇの冷める前に飲みな」
そう言って、僕に湯気の立った金属容器を差し出す。野営地で作られるスープは貴重な栄養源で、味もそれなりに良い。この瞬間は、死に心地の中で抱く『やっと』という希死念慮を、少しの間手放すことが出来る。
「……今日も宿舎はイッパイですか」
「あぁ、最近この辺は獣に蟲と色んなモンが根城を作りまくってるらしいからなぁ。討伐前の偵察隊が代わる代わるやって来てるらしい」
宿舎の方に親指を立てるセンパイ。建物の内側は淡く明るんでいる事から、中で休んでいる偵察隊とやらはまだ起きているのだろう。……何をしているのかは皆目興味も無いし、検討もつかない。
「ちゃんと来れてるなら、僕らの仕事要らないんじゃ……」
「違ぇねぇや(笑) …まぁでも、偵察隊の話を盗み聞きしてる限りだと、俺達の仕事はやっぱ必要なんだなって思うぜ?幾ら最底辺と謳われる『冒険者』だとしてもな」
一口スープを飲むと、その水面を見つめながセンパイは続ける。
「数人、蟲に拐われて行方不明。段差や穴に巻きこまれたヤツも居る。今休んでんのはやっとこさ辿り着けた強運な奴等さ」
偵察隊とは言えど、たかだか小さな蟲に噛み殺されてしまうのはごめんだろう。死にたくない一心で相応の準備はしてきている筈だ。
けれども、この世界は何も分かっていない。何も知らないし、知る事が出来ないのだ。
今僕達の座っている野営地がどの辺りにあるのか、そもそもこの生い茂った巨大な植物の続いてる大地が何処まで続いているのか。名前も、形も此処に居る者は誰も分かっていない。だからこそ、『最底辺』はその命を良い様に利用され、世界を開拓している。
ある者は世界を、ある者は生き物を、ある者は道行きを。
これからを生きる身分の分からない他人の為、今を生きる上の人間の為。危険な仕事を押し付けられる僕達は、今日も明日も未開の大地を踏み続ける。
「……そうですか」
濁った水面に映る顔を見ると、ふと後ろめたい気持ちが沸いた。死にたくない彼等とは異なり、死にたい僕は生き延びている。
『明日こそは』『明日こそは』と願いを込めながら、マグに入ったスープを一気に飲み干した。しかしそんな弱い願いを退け、責任感は僕を縛り付けるだろう。
「完璧な地図さえありゃあ死ぬヤツは減る。確実な道筋さえ辿れりゃ蟲から身を守れる。言葉が俺達『人』の最大の武器なら、『情報』は必殺の兵器ってもんよ」
僕とセンパイは親子程の年の差がある。なのに彼の口から出てくる言葉には、擦れてなお輝く純真さが残っていた。
「…腰に長剣ぶら下げて言ってるんじゃ説得力ありませんよ」
「へへっ、うるせぇよ」
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数日後、そんなセンパイを崖下で見つけた。
最初は目を疑った。同じ制服であるなら別人だろうと思った。
次に真実を飲み込んだ。腰から外れた、見覚えのある長剣がすぐ側に転がっていたから。
あの日、いつものように僕にスープを差し出した時と同じ土砂降りの中。小さな蟲に顔の肉を貪られているのは、間違いなくセンパイだった。
広くて狭く、狭いようで広い。何も分からない世界の中。『情報は必殺兵器だ』と宣った、純真な冒険者の成れの果てを、生き残った僕は静かに見下していた。
「……やっぱり無いじゃないですか。説得力」
蔦と木を利用して崖下まで降りた僕は、亡骸となったセンパイを見つめる。手向けとも情けとも異なるが、せめてこれ以上喰われないようにと、手持ちの蟲除けで喰らっていた輩は撒いておく事にする。
自然の中で見つけた死体は一番近い野営地に持ち帰らなければならない。それが不可能な場合は、可能な方法で人を自然に還元しなければならない。『人』の決め事の一つだ。
━━この人は、少なくともこの、一寸先が闇のような世界を明るくしようと躍起になっていただろう。その末路が蟲のエサというのは、後味が悪過ぎる。だから……
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「へぇ…こんな名前だったんですね。センパイ」
だから、この大地に埋める事にした。時間は掛かってしまったが解れやすい地面だった分、深くまで掘り下げる事が出来た。これならば蟲に荒らされる心配もないだろう。…地中に蟲が巣喰っていない保証は無いが。
遺留品として彼の身分を示す冒険者証明と幾つかの品を拾い上げ、僕は亡骸の埋まった大地に踵を返す。
「━━作りますよ。完璧な地図。少なくとも、僕は今その責任だけで生きてますから」
背中に担ぐは『開拓者の剣』。無念と目的を継いだのは僕の自由。
これは遥か彼方への道行き、その一頁にも満たない、僕の珍道中。