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『お嬢様、本日のランチですが、お魚、お肉のどちらになさいますか?』
感情のこもらない私の声に、トレイシー様は顔をあげる。私が知っている原作通りなら、ここでトレイシー様が選ぶのは、お魚料理のはずだ。
お嬢様は少し考える素振りを見せて、それから、ちらりとセリウス様の方に視線をやった。
「そうね…、お魚にしてちょうだい」
『承知いたしました』
元よりそうなるだろうと認識していたので、オーダはお魚料理になっている。厨房へオーダに向かうフリをして、階段を降りると、真っ直ぐに庭園へと向かった。
これから起きる`セントノワール学園 毒入りランチ事件'に備えるために。
学園の庭園は、別名'王妃の庭園'と呼ばれる。今の王妃様が草木が好きというわけではなく、かなり昔の王妃が緑を大変愛しており、王族管轄であるこの学園に大きな庭園を王が作らせたという話だ。愛情表現の仕方がまさに王族である。
前世も今世も庶民の私にしてみれば、プレゼントが庭園って感覚が違いすぎる。
もらった王妃もどんな顔して受け取ったのか、時代が違えば見てみたかったものだ。
目的地に到着すると、あたりの様子を確認する。お昼時のこの時間、食堂に向かう生徒はいても、庭園に足を運ぶ風流な学生はいないようだ。
シンと静かな庭園の片隅にしゃがみこみ、お目当ての草を引っこ抜く。それから持参していたハサミで根の一部だけを切り取ると、また同じ場所に植え直した。
切り取った根を小袋に入れ、メイド服のポケットに突っ込む。それから食堂に戻る途中の水道で再び根を取り出すと綺麗に土を落とした。
食堂の厨房に到着すると、ちょうどお嬢様が頼んだランチが出来上がっていた。お皿をトライに乗せ、そのまま二階へと運ぶ。
二階の様子は私が席を外した時とあまり変わりはなく、お嬢様は一人ぽつんと座席に腰を下ろしていた。
『お待たせいたしました』
コトリとお皿をお嬢様の前に置く。お嬢様が手をつけ始めるのを確認してから、私は壁側に身を引いた。
後は、事件が起こるのをただ待つだけだ。
この事件は、原作の原作、つまりはトレイシー様が変えようとしている原作といえばいいだろうか。その中でも起きる事件だ。原原作の中では、原原作の主人公リリアとのちのちの恋人フレットがこの事件を解決に導く。
そして、その迷推理の末、犯人とされるのが、我らがトレイシー様だ。
もちろん、真の犯人はトレイシー様ではない。はっきり言って、めちゃくちゃいい迷惑である。トレイシー様が犯人に仕立て上げられると、実行犯として選ばれるのは、言わずもがなメイドなわけで。
いや、ほんと勘弁してくれな事件だ。
もちろん原作で、それを解決するのはお嬢様自身。そして、もう一人。さっきお嬢様と同じテーブルで、呑気に魚のムニエルを食べていたセリウス様だ。つまるところ、私の身の潔白のためにも、二人には頑張ってもらわなければならない。
ちなみに、今この時点でトレイシー様はこの事件を覚えてはないない。悪役令嬢ものではお決まりかもしれないが、事件が発生してようやく、この事件が起きることを思い出すのだ。
まあ確かに人の記憶力なんてそんなものだろう。
本音を言えば、覚えておいてくれよだけど、現に私だって、悪役令嬢物語の挿絵がうっすら思い出せるほど。漫画ならまだしも、小説の詳細な描写なんて覚えられるはずがない。
いわば、運命共同体のお嬢様が上手く立ち回れるよう私はひたすら尽力するしか手段はないのだ。悲しいことに。
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