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「皆様、ごきげんよう」
トレイシー様が食堂の二階席に上がった瞬間、それまで和やかだった空気がピシリとしまったのがわかった。
学園の二階席は、限られた人間しか使えないロイヤルゾーンとなっている。そのため、机と椅子は豪華ではあるものの、設置されている数はそこまで多くなかった。
普段であれば、トレイシー様がいつも気に入って座っている席に食事の準備をするのだけれど、あいにく今日はその特等席に違う人物が腰を下ろしていた。
「ごきげんよう、トレイシー様。トレイシー様もお食事ですか?」
特等席に座る人物は、無邪気にもお嬢様へ声をかける。そんな彼女をちらりと一瞥すると形のいい唇が動いた。
「ごきげんよう、リリア様。食堂に来ているのだから、お食事以外に目的があって?」
「あ…、すみません。私ったら…、」
お嬢様の言葉にリリアと呼ばれた女生徒はわかりやすく眉を下げる。そこまで落ち込む必要ないだろ、内心そう思ったのはきっとここにいる人物で私だけなのだろう。
お嬢様とは対照的なストレートの淡いピンクの髪をさらりと揺らし、俯いてしまったリリア。その可憐な仕草に苛立ちが募る。
「トレイシー、そんなキツイ言い方をするもんじゃない」
「フレット殿下、ごきげんよう。リリア様があまりにも当たり前の質問を私にされるので思わず無遠慮な返答となってしまいました。何分、私から話しかけていないもので」
ツンとしたお嬢様の言い分は、確かに正論だった。この国では、身分が高い方が低い方の人物の名前を呼ぶまで、低い人物から話しかけてはいけないことになっている。
現に今、お嬢様を宥めた我が国の第二皇子、フレット殿下はしっかりとお嬢様の名前を呼んでいた。そのルールを無視してリリアは話しかけた上に、当たり前の質問をしているわけだ。
答えるだけお嬢様は優しい方だ。
「フレット様、いいんです。トレイシー様がおっしゃられるように私が悪いのですわ」
大きい目に、下がった眉、そこまで高くない鼻。男性の好きそうなパーツを寄せ集めてできたようなリリアの顔。そこにシュンとした表情が加われば、男性の庇護欲を掻き立てるには充分らしい。
リリアの向かいに座るフレット殿下の視線は、その愛らしい顔に釘付けだ。
あろうことにも、リリアの横に立つ自分の婚約者を放置して。
『お嬢様、お食事の準備ができました』
「ええ、行くわ」
これ以上、しょうもない茶番にお嬢様を付き合わせる必要もない。2階の一番奥にある席に、食事の準備を済ませると、お嬢様をこちらに誘導する。
イチャつく二人の姿を見なくて済むように、あの二人が死角になる位置を選択した。
「…ありがとう、」
着席する寸前、お嬢様は小さくそう呟いた。私はそれに特に何も答えず、運ばれてきたばかりの温かいスープをテーブルに置いた。
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