7 わたしが求められている事
震える手でどうにかお茶を用意して、負のオーラを発するテーブル配膳した。将軍殿下には、王女が可愛がる平民の女、といいように思われていないようだったから、早くここを去りたいと思っていたのに。思ってたのに!
出来るだけ気配を消していたのに、マリアに腕を掴まれて、話題に無理矢理参加させられた。
「――私を表に引っ張り出したいなら、一つ条件がある。姉さんを連れて行くよ。題目は、補佐役でも女官候補でも何でもいい。ただ、一つ言えるとすれば、それがこの反乱を成功させるための、良い要素になるだろう。私も含めてね」
「ちょっと、マリア!? 冗談じゃないわよね……」
マリア、何を言ってるのよ! 何で、こんなわたしを! 思わず手元のお盆を落としてしまったのは、仕方のない事だと思う。
そのままの勢いで、わたしはマリアに詰め寄る。
視界の端で、将軍閣下が腰を浮かせたのが見えたけど、マリアが手で制した。
「何を言ってるの!? あまり将軍閣下を困らせるものではないわ! ただの村娘をそんなに気軽に連れて行けるわけないでしょう!?」
まあまあ、という風にマリアが肩を叩いてくる。
「何も考えずに提案したわけじゃないさ。姉さん、先生から何を教えてもらってる?」
「歴史とか……」
「その教えてもらってる歴史は、学園の生徒が習うのとほぼ同じモノだって気付いてるかい?」
「知ってるわよ。けど、だからといって……」
「姉さんは頭も回るし。ねぇ先生? 姉さんを連れて行って良いですよね?」
そうマリアが尋ねたら、もともと笑っていた先生は更に口角を上げて、こう言った。
「ええ、良いわよ。そうなればもう少し、色んなことを仕込んでも良いわねぇ……ただ、アリアが了承したらだけれど」
「先生まで!? ちょっと待ってください、急すぎて考えられない……」
この状況を楽しんでいるみたい。マリアに便乗するようなことを言ってきて、わたしは更に混乱した。ただの村娘に、『王宮に来い』って急すぎるのよ。
「将軍、どうせ返答まで期間を設けるだろう? 姉さんはその間に悩んで、それで答えてくれたら良いさ」
色々と飲み込めていなかったろう将軍閣下は、ため息をひとつ吐いて呆れたようにこう言った。
「……分かりました。一ヶ月ほど後に再び伺いましょう。それと、そちらの娘については」
わたしの方をちらりと見た。
「殿下の御察しの通りです。弟を置いていきますから、見極めさせますよ。先生のお墨付きなら、それも必要ないのかもしれませんがね」
今までは静かに座っていらっしゃった女性──カンナと呼ばれていた──は、静かに発言した。
「私は、今夜はこちらに残らせていただきます。ハルヤ様にも許可を得ておりますから」
おそらく先生と同じくらいの年齢……五十代くらいだろうか。侍女のお仕着せを着た、おおらかな性格だろうと想像できる女性だ。
「ではカンナ、今夜私の部屋に来てくれないか? 積もる話があるんだ」
「その前に、今夜の部屋に案内しますよ。私がアリアの部屋に移動しますから、あなたは私の部屋を使ってください」
この家の主人である先生がそう言う。
「ご配慮をありがとうございます。お言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
カンナさんは深く頭を下げた。そういえば、今ってまだ夕方なんだよね? 一日がとても長く感じるけれど。先生からアイコンタクトがあったので、わたしが案内しろということらしい。
「あの……お部屋にご案内します。それと、夕食も頂きますよね?」
「はい」
「では……こちらに」
「ニコはどうするんだ? ここは、もう今日は定員オーバーだ」
「ベッドなんかなくても寝れますから。今日は居間でもどこでもいいので、空き部屋を貸してください」
「今日はカンナがいるから無理だが、明日以降は部屋を一つ開けるよ。今日はカンナに譲ってやってくれ」
「勿論ですよ」
歩き出した後ろから、マリアと彼の話し声が聞こえてくる。
わたしは先導して、先生の部屋に案内する。本棚とベット、申し訳程度にクローゼットがあるだけだけど、これだけ部屋が分かれてるのも有難いくらいなのだ。
これだけ広いのは、前に住んでたのが大家族で、どうしても手狭になって建てた家だからだそうだ。それが私の父方の家族のことで、父がこの家を使っていたが亡くなって、先生が譲り受けたらしい。
父は大家族で、兄弟がとても沢山いた。他の人は、嫁いだり婿に入ったり、亡くなったり。一応親戚には当たるけれど、迷惑はかけられない。
先導して歩いたり、井戸の場所を教えたり、夕食を食べている間でさえも、わたしは考えずにはいられなかった。
マリアは、何を思って、あんなことを言ったんだろうか。何故わたしを。マリアはここから出て行ってしまうのかな。
疑問は深まるばかり。今夜は、眠れそうになかった。
* * *
ベッドに入って、目を閉じても脳が思考を吐き続ける。明け方も近くなって、ようやく気絶するように眠れても、悪い夢を見てしまってすぐに起きてしまった。
そんなことを何度も繰り返して、遂に朝になってしまった。ほぼ眠れなかったに等しいし、頭が痛くてすぐにベッドから出られなかった。
昨夜、この家は重大な事件を迎えたけれど、わたし達以外にとっては普通の一日だった。
今日はいつも通りの一日を過ごすだろうし、逆にそうしなければならないだろう。あの訪問は、誰にも知られてはならないのだから。
こう考えると、ポポラの奉公の話も仕組まれてたんじゃないかと疑ってしまうな。そんな訳はないんだけれど。
裏の井戸の前で一人悶々としていると、カンナさん……昨日泊まられた女性がやってきた。水冷たい、目がさえるなぁ。
「おはようございます、アリア様」
そう丁寧に頭を下げられたので、わたしは慌てて手を振った。
「あの、ただの村娘にそんな丁寧に……」
「しかし私とて、ただの侍女でございますから。貴女はマリア殿下の姉妹ですから、これくらいは当然です」
「それも、血が繋がってはいません。わたし自身に敬われる点は無いんですから」
そうすると、カンナさんはようやく納得してくれたようだった。というか、折れてくれたようだった。笑いながらこう提案してきた。
「では、改めて自己紹介を致しましょう。カンナと申します。マリア殿下のお母様の、ミリー様の元で侍女をしていました。幸運にも、ミリー様に気に入っていただけまして、マリア殿下の乳母を務めておりました」
「ご丁寧にありがとうございます。わたしは、アリアといいます……この村の、ハルヤ先生の弟子です」
『マリアの姉です』と言いかけて、やめた。わたしに、そんな資格はないから。
唇を噛んで、俯いてしまう。それを見て、カンナさんが声をかけてくれた……ダメだなぁ、お客様を心配させてしまった。
「アリア、この村にいた間の、マリア殿下の様子を教えてくれますか? そのかわり、ここに来られる前の殿下の話をしましょう」
もし母親がいたらこんな感じなのかなぁ、と思うような、穏やかで優しさの溢れた声だった。
「いいですね。あの、カンナさんは何時ここを発たれるんですか?」
「今日の昼には。貴女方が出て、少しハルヤ様とお話をしたら出るつもりですよ」
「まあ。じゃあ、あまりお話できませんね」
残念だけれど、お互いにやる事があるのだから仕方がない。
「昨日、殿下を見てとても驚きましたよ。あんなに人見知りでお可愛らしかった殿下が、今は男装をされていたのですから」
会話もひと段落して、顔を洗ったカンナさんがそう独り言ちた。
そういえば。十年ほど前、ここに来たばかりのマリアは殆ど話す事もなく、ご飯も食べず、部屋から出ようとしなかった。
「きっと、マリアが男装を始めたのは、わたしが原因だと思います」
最初の頃マリアは、母親が亡くなったショックもあり、住んでいる場所を追われたという事もあり、ずっと暗い表情をしていた。
そんなマリアが変わったのは……
「マリアが来て数ヶ月後くらいに、わたしの父が亡くなったんです。その頃はまだ、マリアとは姉妹ではなかったんですけれど」
わたしは父と二人でこの家に、マリアは先生と別の家に住んでいた。ただ、母と先生は知り合いであったらしいので、それが縁でマリアとはよく会ってはいたのだ。
「それまでは、わたしがマリアの元に押しかけて、遊びに誘っていたんですけれど。父が亡くなってからは、逆にマリアがわたしを慰めに来てくれて。その過程として、気付けばああいう格好をしてました」
父の死がショックすぎて、その間のことはあまりよく覚えていないけれど、わたしが立ち直った頃には今のマリアができていた。
「殿下はそんなことをされていたのですね。これで、私の疑問は解決しました。アリア、感謝します。私は殿下が生き延びたことは知っておりましたが、市井で暮らしていけるか心配だったのです」
目じりに滲んだ涙を拭っている、カンナさんの不安を払拭できたようだ。少しでも役に立ててよかった。
そして、ここで急に後ろから肩を叩かれた。驚いて振り返ると、そこにいるのはマリアだった。
先ほどまで本人に関する話をしていただけに、気まずさもある。表情からして、これは絶対会話を聞いてたな……
「何だ、本人のいないところで噂話かい?」
「あ……マリア、おはよう」
「おはようございます殿下」
「おはよう、二人とも」
ニッコリとマリアは笑うけれど、その目元にはクマがあるような……? じっと見つめていると、頭をポンポンと撫でられた。誤魔化すつもりかな。
「さて、私の幼い頃の話かい? 姉さんが知りたいなら、私から話すよ」
「まあ、でもカンナさんから聞きたいわ。向こうでの親のような方だったみたいだし」
あ、プレッシャーが。私の肩に手を置いて、少し力を込めてくる。もちろん痛くはないけど。よっぽど知られたくない話でもあるのかしらね?
わたし達の遣り取りを見て、カンナさんが笑っていた。声も出さず、口を押さえてだったけれど、本当に楽しそうなのが伝わってきた。
「カンナ? そんなに笑ってどうしたんだ?」
「ああ殿下、申し訳ございません。ただ、安心したのでございますよ。本当に、殿下のことが心配だったのです。急に王宮から追い出され、突然王女が市井に馴染めるはずがございません。ですか、今姉妹で戯れられている姿を見て……カンナはようやく肩の荷が下りたのでございます」
マリアはカンナさんに近づいて、彼女に合わせて少ししゃがんだ。すこし照れくさそう。普段は気障なことを言うくせに、こういう時は恥ずかしがるんだから。
「私は、王宮が嫌いだ。しかし、母上も兄上も、そしてカンナも。私を育ててくれてありがとう。だから、こちらで過ごしている間も、先生の家で過ごしてはいるが、先生の娘になったつもりはないよ。私の親は、今も母上とカンナだ」
「まあ、殿下がそんなことを言ってくださるなんて……こんな老婆にも嬉しいことを言っていただけるとは。ミリー様もきっと喜んでおられますわ」
「そう……だね。母上……懐かしいな。戻ったら、墓参りに行かなければ」
その横顔は何かをこらえるように張りつめていて、それでいて優しくて。胸が締め付けられるようだった。それは、ひと呼吸の内に解けていったけれど、私の胸には悲しみが残った。
それでも、姉さんは変わらず姉さんだ。振り返って、マリアはウィンクをしてそう言う。
「というわけでさ、姉さんと今夜話そうよ。私が昨日姉さんを巻き込んだ理由、知りたいでしょ?」
「……ええ。約束よ」
マリアが、私の髪をするりと撫でた。
きっと、マリアも眠れなかったのだろう、どこか疲れた笑顔だった。
2020.8.15 改訂