寿の屋敷
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやの家は、ペットとか飼った記憶はないか?
俺は母親がペット好きで、色々飼っていたよ。犬に猫にインコにウサギに……実家にいて、あいつらの声を聞かない日はなかったってくらいだ。もう家を離れて十数年、どれほどの奴が生きていることやら。
ちらっと何かの本だかで見たんだが、その種の寿命の平均値って身体の大きさに比例する傾向にあるらしいぜ。身体がでかくなればなるほど、寿命が長くなるんだってよ。だからたいていの小動物は、人間よりも長く生きないケースが多い。
平均だから、もちろん例外はあるぜ。たとえば「亀は万年」といわれる亀の場合、ギネスで189歳。非公式なら250歳まで生きたケースがあるようだ。人間にしてみりゃ、その世代の人間が絶えても、まだ生きているんだぜ。そりゃ、生まれたところを見ていない人間からすれば、誕生が一年前でも一万年前でも、まず判断がつかねえだろ。これが万年と表現される由来かもな。
そんな小動物の命について、お袋が昔、体験した話があるんだ。聞いてみないか?
おふくろは小さい時から動物が好きだったんだが、家庭の方針で飼うことはできなかったらしい。その代わり、野良で犬や猫がよく徘徊している時期だったから、身体をなでたり餌付けまがいのことをしたりして、自分に注意を向けようとしていたって話だ。
そうして祖父母の目を盗み、野良動物とかかわり続けていたおふくろは、とあるうわさを耳にする。「死期が近づいた猫は、おのずと人の前から姿を消す」と。
死を迎える彼らは、いったいどこへ向かうのか。おふくろはその行方をなんとしても突き止めたいと思うようになっていたんだ。
自分がこれまでに手なづけてきた猫たち。その中でも、自分の足音を聞いただけでひょっこりと姿を現すほどに懐いた、一匹の老いた猫に狙いを定める。
学校の裏手の空き地を住みかとするその猫は、たるんだお腹に、ぱさついた体毛、そしていつも両目にヤニをたくさん溜めていたんだ。猫の老化のサインがばっちり出ている。
――この子、たぶんもう長くない。姿を消すとしたら、どこへ行くというのかしら。こんなになまり、衰えてしまった身体で。
我ながら残酷な仕打ちだと、おふくろは思う。最期を看取る、といえば聞こえはいいものの、自分は彼を安らかに死なせることを拒んでいる。夫婦というわけでもないのに、命の終わりに無理やり付き添おうとしているんだ。
こうやって水を運び、命をつなぐ手伝いをしながら、望んでいるのはこの猫の死。その道行きを、少しでも分かりやすく示してくれるよう、貢いでいる。
もしこれ以上懐いてしまったら、本当に自分が見ていない間でいなくなってしまうかもしれない。そんな不安も多分にあったが、当時のおふくろはそれ以上の自信に満ちていた。
絶対に自分だったら、この子の最期に立ち会うことができる。そんな根拠のない自信が。
それから数ヶ月が経った、秋の日の昼。おふくろが空き地に向かうと、彼はいつも以上に動きなく、体を丸くしてうずくまっていた。
いつも以上に元気がない。おふくろの内心では心配もあったが、どうしても異なる期待が漏れ始めてきてしまう。もしかすると今日、彼が姿を消しにかかってくれるんじゃないかと。
粘ること一時間。毛づくろいをすることなく、丸まっていた彼がひょいと立ち上がった。のそのそと草の茂る空き地の一方へ向かうと、ぴょんとひと跳ね。気持ちばかりに張られた低い柵を飛び越えて、民家のブロック塀の上へ着地。そのままそろそろと遠ざかり始めたんだ。
「これはついに来たか?」と、おふくろもすぐさま追従する。この辺りは歩き慣れていた。それにこの猫の緩慢な動き、そうそう見失うものじゃないと、しばらくはタカをくくっていたらしいんだ。
ところが別の地区へ移る境目の電信柱を越えたとたん、猫は一気に駆け出した。これまでののろのろした歩みは、このために温存していたのではないか、と思うほど。でもおふくろも、それを予期している。
ブロック塀越しに茂みへ入っていく彼を追い、おふくろは人の家の敷地内だろうと、お構いなくブロック塀を越え、しゃにむに駆けていく。どうにか見失わない程度のスピードを保つ彼。加速こそしないが、減速もしない。若さゆえの体力がなければ、どこかでばてていただろう、とおふくろは述懐していたよ。
息を切らしながらも、おふくろは進む。もう誰の家のものかも分からない庭へ、何度もお邪魔をして、今は高く育ったよもぎの密集する、茂みの中をかき分けている。相当の密度で集まっているためか、彼は葉の上をぴょんぴょんと飛び跳ね、先へ進んでいた。
30メートル? 50メートル? どれほど進んだのか、もう感覚がつかめなくなるほど、この茂みは続いている。おふくろも元の場所へ戻れるかどうか、いささか不安を覚え始めた時、視界が急に開けた。
そこには二階建てで西洋風の屋敷が建っている。上に四つ、下に四つ、位置を揃えて設置された窓には格子がはめられていて、その奥には明かりがなく、暗い。屋敷そのものもその大半が緑色の茨で覆われており、わずかに玄関周りのみが元の白い壁を浮かばせている。
そしてその玄関の戸。観音開きに開くであろうう二つの茶色い戸のうち、一方だけが開いていたんだ。おふくろの前方、十歩ほどのところにいる猫は、また駆け出す前と同じ、ゆったりとした歩調に戻っている。その足は、まっすぐ目の前に屋敷へ向かっていた。
――後を追おう。
そう思っておふくろは足を踏み出そうとしたけど、動かない。急に重りをつけられたかのようだ。
後ろに下がることは、意外なほど簡単にできる。けれど前に進もうとすると、とたんに地面と足の裏同士が磁石になってしまったかと思うほど。でも、持ち上げることはできずとも引きずることはできる。お袋は思わず前かがみになりながら、ずりずりと音を立てながら、自分の足を引きずっていく。
彼とはだいぶ差を開けられてしまった。すでに彼は開いた戸へ入りかけようというのに、自分はまだスタート地点から3歩動けたかというところ。身体が慣れてきたのか、足の運びが若干スムーズになっている。「なんとしても、あの猫の行方を見届けなくちゃ」と、だいぶ躍起だったらしい。
扉の向こうへ顔だけを隠しながら、しばらく固まっている。もしかして自分を待っているのか、とも思いかけたけど、もう2メートルというところで、さっと中へ消えていってしまった。
次の瞬間、おふくろの目に映ったのは、屋敷を取り巻く緑色の茨が、一瞬、血を浴びたかのように真っ赤になったところだった。それはすぐに元の色へ戻り、見間違いじゃないかと思ったらしい。
ふと、足にかかっていた重圧が消える。おふくろは一瞬だけためらった後、彼が消えていった玄関へ駆け寄る。閉じられていたもう一方の戸に手をかけると、あっけなく開いた。思い切り開け放ったところで、おふくろは目を見張る。
扉の奥は、人ひとりがようやく通れるかという廊下が伸びていて、両側の壁にはドアがついているのが見えたが、驚いたのはそこじゃない。
廊下の真ん中にこんもりと山ができている。外から差し込む光に照らされたそれは、いずれも小動物の身体が、うずたかく積み上げられた姿だったんだ。
犬や猫以外に、狐や狸、カエルに加えて、図鑑でしか見たことがない、カワウソなどの生き物も混じっている。そして山の一番外側。自分に一番近いところで
「あら……これはまた、だいぶ『残っている』お嬢さんですこと」
妙齢の女性の声。はっと顔を上げたお袋は、その山の上に足を組んで腰掛けている、人の影を見たんだ。ちょうど光の当たらない部分で、姿かたちは輪郭を把握するのがやっと。でも、顔の辺りで緑色に光る両目だけは、はっきり見えたらしいんだ。
「ここは終わるべき者だけが、集まる場所。生きている者の中にはね、まれに種の限界を超えて生きる可能性を帯びる者が現れるのだけど、それは今まで悪い影響を及ぼすことが多かった。
だから、あと腐れなく終わらせる。残った寿命をここで吸い上げるのよ。お嬢さん、あなたは早く去りなさい。さもないと、この屋敷そのものが、あなたの『残り』にかじりついてしまうわよ」
彼女の言葉が終わるや、廊下の奥から獣の鳴き声が聞こえてくる。ドスドスと音を立てながら、じょじょにこちらへ向かってくる。
おふくろは総毛だった。同時に、自分の足元が急激に冷えてくるのを感じたそうだ。このままでは動けなくなると、おのずと感じ取れるほどの早さで。
おふくろはすぐさま屋敷に背を向ける。森に囲まれているこの場所の、どこに逃げればいいのか分からなかったが、手近な木立の中へ飛び込んだ。その時、一度だけ振り返った際、開け放たれた玄関には何の姿もなかったものの、あの屋敷の茨が今度は赤く染まり続けていた。見間違いじゃなければ、ドクンドクンと脈を打つように、膨らんだり縮んだりを繰り返していたとか。
夢中で森の中の茂みをかき分けていたおふくろは、やがて自分の家の庭の植え込みから、飛び出してくることになる。ちょうど庭に出ていた祖父と鉢合わせしたらしい。
なぜあんなところから出てきたのか、もろもろの質問を受けて正直に話したが、あまり信じてもらえなかったらしい。ただ、寿命を吸い取るという点に関して、祖父は感慨深そうにあごひげをしごいたという。
おふくろが見たいずれの動物も、長く生きると「化ける」と伝わるものばかりだったんだ。そいつらが化けないように、然るべき最期を与える。ある意味で命をさばいているのかもしれない、と。
それから数十年を生きてきたおふくろ。だがもしかするとあの女性らしき声が告げたように「残り」をかじられてしまっていたとしたら、自分はいつ死ぬのか。本来ならどれくらいまで生きられたのか。時間のある時に、ふと考えるようになってしまったとか。




