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うろおぼえ

作者: 福星由雨

 あれ? あれってなんて言うんだったっけ?

 

 日本人口、約一億人が突然、何か特殊な現象に陥ったかのように、そう思った。

 

「あれだよ、あれあれ!」


 若い女が言った。


 とりわけ語彙が貧しい訳でもない女が、あれあれと言葉の具体化に困っている。


「あれじゃわかんないだろ! あれなんだったっけかな~?」


 若い男が文句を言う。


 しかし文句を吐こうが、彼自身もそのあれの形容に困っていた。


「あれ……うる覚えと、おぼえているんだけど」


「ああーもう、仕事にならない。とにかく、あれが何なのか、思い出すまで外に出ん!」


 老けた顔のサラリーマンが、憤りを晒した。


 しかし、だれも止めようとしない。


 何故なら、普段それを止める家族でさえもあれに悩まされていたからだ。


 その現象は一見、チープにも感じされるが、それが日本全体の規模となると日本と言う国の機能が危ぶまれる程の問題と化した。もやもやとした心情は、時に人を悩ませ、時に苦悶させ、時に人をいらだたせる。一時の感情でその日の仕事をさぼる会社員も増え、他者との口論が暴走し、暴行事件前で起こす騒ぎも少なくない。


「解らない! 私たちは何が思い出せないのだ!」 


「うる覚えには思い出せるんだけどなぁ……」


 どれほど思考に費やそうと、彼らはうろ覚えから脱却せず、無為な時間を過ごす羽目となる。


 一方で、アメリカやイギリスなどの外国には、そのような現象は起こっていなかった。誰も、突然と何かが思い出せなくなると訴える者はいない。つまり、この現象は日本だけのものだ。しかし、現日本人にとってそんな事はどうでもよく、眼先のあれにしか興味が湧かなかった。


 うーん。

 うーん、うーん。

 えっとー。あれれ?

 ああもう、イライラする!


 思考に挫折を覚え、発散のしようがない思いを直接的な暴力で晴らす人間が増えた。町は暴力にあふれ、建物を破壊し、殺人さえも多発する。しかし、警察官はあれに全員が頭を悩ませているので、微塵にも機能しなかった。


 しばらくして。


 既に思考を諦めた人間が大半の日本国は、荒れていた。


 大国とも呼ばれた姿はどこにもなく、今や絶滅さえ自明だった。


 しかし、未だに諦めずに思考する者がいた。


 あれだ……これだ……


 ぶつぶつ何かをつぶやいているが、やはりその者が他者よりもあれの解明に進んでいるかと言うと、そうでもない。


「駄目だ! 駄目だ! 何故このうる覚えは解消できないのだ!」

 

 うる覚え、うる覚え。

 うる覚え、うる覚え、うる覚え。

 うる覚え、うる覚え、うる覚え、うる覚え。

 

 うろ覚えながらにあれを、うる覚えと叫びながら、日本は衰退していった。

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