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08...妃と恋

 ああ、この女のなんと儘ならないこと。

 エレオノーラは開いた扇越しに、テーブルの向かいに座るエリザを見つめた。

 件の客人の前には磨き抜かれた平たい皿が一枚。その上にはひと口大のプチ・ケーキがいくつかのっている。

 先ほどエレオノーラがそれらを食べるように勧めてからというもの、エリザは自分の皿に取り分けたケーキを、笑顔で黙々と食べ進めている。

 そのスピードたるやすさまじく、エレオノーラが華奢なフォークでひと口大のケーキをさらに小さく切って上品に口へと運ぶ間に、エリザはケーキ一つを平らげているのだった。

 まるで、育ち盛りの青年の亡霊にとりつかれているようである。

 コルセットできつく締めあげた腹はなにも食べなくとも苦しいはずなのに、いったいどうしてあのようにたくさんのケーキが次から次へと吸い込まれているのか理解に苦しむ。


 不思議に思うエレオノーラは、ここ一週間エリザが戦闘食糧とお茶ばかりの味気ない食生活を送ってきたことを知らない。

 まさか、岩パン地獄にほとほと嫌気がさしたエリザが、甘くておいしい茶菓子目当てにこの陰謀渦巻くお茶会にやってきたとは思いもよらないエレオノーラは、ただただケーキの城が崩れていくのを呆けたように眺めるばかりであった。

 すばらしい食べっぷりには、怒りを通り越してもはや感心すら覚える。

 勧めたケーキをちょっとつつくだけであれば、「私が勧めたものを食べられないわけ?」などと少し虐めてやるつもりだったが、とんだ見当違いだった。


「エリザ様って変な方ね」


 ふとそうこぼすと、目の前でケーキを口へと運ぶフォークの動きが止まる。

 エリザは口元にクリームをつけたまま不思議そうに首を傾げた。


「そう……ですか?」

「ええ。だって、よく食べるじゃない。まるで殿方みたいだわ」

「よく食べるのは、おかしいことでしょうか?」

「普通の女は、そんなに食べないわ」

「そうなんですか。みなさん小食なんですね」


 お前の食欲が旺盛なだけだわ、とエレオノーラはすかさず心の中で突っ込んだ。未だかつてエリザほどよく食べる淑女を見たことがない。果たして王はこの女のどこに惚れたのやら。


「ねえ、食べてばかりいないでお話しましょうよ。なんのためのお茶会か分からないわ」

「あら……お茶会って、お茶を飲んでお茶菓子を食べるための集まりではないのですか?」

「えっ」

「えっ」


 動揺の声が続けて空気を震わせ、二人の令嬢は目を丸くした。

 青と紫、異なる色の瞳に浮かぶのはともに動揺である。

 沈黙の中、エレオノーラは本日何度目になるか分からない台詞を心の中でつぶやく。


(な、なんなのかしらこの女)


 エレオノーラ――ひいては貴族の女にとって、お茶会とはすなわち戦場である。

 たおやかな笑みの裏にしたたかな女の顔を隠し、ふわふわと甘い美辞麗句の中に鋭い棘を潜ませて、互いを牽制し、隙あらば攻撃に転じる。お茶とお菓子はただの名目で、本質は言葉による応酬なのだ。

 それを諒承しているエレオノーラは、装飾品や化粧で己を武装し、エリザと戦うつもりでここへとやってきた。彼女にとって、テーブルに並べられた見目美しい華奢な菓子類は風景の一部に過ぎないのである。

 しかし一方のエリザは、武装もせず、のこのこと女の戦場へとやってきたかと思えば、席に着くやいなや間抜け面でケーキを頬張り始めるではないか。

 その予想外の対応には、驚くばかりだ。あまりにも規格外なものだから、女という枠すら超越して、もはや珍獣にすら思えてくる。


 エリザといると調子が狂って仕方がない。

 エレオノーラはこめかみを押さえた。

 ちらとエリザを見てみると、相変わらず嬉しそうに茶菓子を頬張っている。その間抜け面はなにも考えていないようにしか見えない。

 しかし、はたしてその読みは正しいのだろうか。エレオノーラは疑問を禁じ得ない。

 もしかしたらエリザは、エレオノーラの混乱を見越した上で、こんな風に、舐めた態度をとっているのではないだろうか。

 だとしたら、エレオノーラのエリザに対する評価は反転する。

 油断ならない。無意識のうちに生唾を飲み込み、肩をこわばらせるエレオノーラは、完全にエリザという女のことを誤解していた。

 つまり、エリザを危険人物としてマークしたわけである。


(あの女が……危険……?)


 とはいえ、なんだか、その評価はしっくりこない。

 エレオノーラはエリザをまじまじと見つめた。

 見れば見るほど、相手は平凡を人の形にしたような女だ。可もなく不可もなく、ひたすらに凡庸なつまらないやつ。

 やはり、自分の穿ち過ぎなのではと思わずにはいられない。

 しかし『南の方』の名を冠するエレオノーラを前にしてなお、恐れもせず媚びもせず、ただ真っ直ぐに見つめてくる紫の瞳を、ひどく居心地悪く感じるのも確かだ。

 いにしえより、紫水晶は魔力をもつ宝石というが、エリザの瞳を見つめていると、それもあながち嘘ではない気がしてくるのだった。


 エリザ・アーネット。


 彼女はいったい何者なのか。

 未だくちびるの端にクリームをくっつけたまま他意のなさそうな笑み(実際、他意はない)を浮かべる客人を見据えるが、そうしたところでエリザという女の本質が見えるわけでもなく。


(埒が明かないわ)


 非生産的な行為にため息をこぼしたエレオノーラが立ちあがったのは、ちょうどエリザが熱心に見つめられる恥ずかしさに目を泳がせ始めたころだった。


「ねえエリザ様、少し庭を歩きませんこと? あなたに見せたい景色があるの」

「ええ、ぜひ」


 椅子から腰を上げたエリザが自分の斜め後方に付き従ったことを確認すると、エレオノーラは背後を振り返って二人の侍女を睨み、高慢に言い捨てる。


「お前たちはついてこなくていいわよ」


 意外なことに、顔をしかめたのはアデルではなくシェリルの方だった。彼女は何か言いたげに己の主を見つめたが、「エレオノーラ様の仰せのままに」とアデルが恭しく礼をしたので、どこか釈然としない表情ながらもそれにつづいた。

 シェリルのことだ、おおかた「面倒事を起こさないでくださいね」とでも言いたかったのだろう。まったくうるさい侍女ねえ、と内心舌を出したエレオノーラは、現実世界では淑女の微笑みを浮かべてエリザの手を引っ張った。


「行きましょうエリザ様。……こっちよ」


 スカートの裾を風になびかせながら、迷路状につくられた庭を奥へ奥へと進む。

 大輪の赤い薔薇が咲き誇り、眩暈がするほど甘い芳香に満ちた空間を、右へ、左へ、また右へと幾度も道を曲がる。するとやがて花壇の迷路は終わりを告げ、二人は開けた場所に出た。

 そこは、あたり一面に真白い花が咲く野原だった。人工的に手を加えていない、あくまで自然で心安らぐ風景がありのままに広がっている。

 おだやかな風が耳触りのよい音をたてながらゆっくりと野原を駆けていき、草木のカーペットを揺すった。鼻腔をくすぐるにおいが、あたらしい季節の訪れを言外に告げている。

 なんて美しい。

 エリザが感嘆のため息を吐く。

 いい反応だわ、とエレオノーラは得意げにエリザを見上げた。これでこそ連れてきてやった甲斐があるというものだ。


「驚いた? 偶然見つけたぬけ道なのよ。薔薇迷宮もいいけれど、ここもきれいでしょう?」

「そうですね……とっても素敵」

「もっと奥まで行くと森があってね、そこまで陛下と一緒に馬を走らせて遊ぶのよ。お腹がすいたら木陰でバスケットに詰めたサンドを食べるの。クリームとイチゴのサンドが甘くてとってもおいしいのよ! 私、大好きなの。陛下はね、いつもご自分のクリームサンドを侍女に内緒で私にくれるのよ。お優しいでしょう?」

「まあ、あの鬼畜……ではなくて、陛下がそんなことを?」


 ノックのひとつすらしないで真夜中に淑女の部屋へ不法侵入するレオンハルト。

 かよわい乙女に正当防衛という名の関節技をきめるレオンハルト。

 事あるごとに己の身分をほのめかし不敬罪で脅してくるレオンハルト。

 髪を掴んで無理矢理顔を上げさせるレオンハルト。

 強姦まがいの行いを平気でしでかすレオンハルト。 


 頭に浮かんでは消えていくレオンハルトの姿は、どれも紳士的とは言い難いものばかり。

 無礼者、鬼畜、変態、けだもの。そんな言葉こそがかの王に相応しい気がする。

 そんな男が優しい?

 自分の抱くイメージとエレオノーラの語るイメージが一致せず、エリザはひそかに眉を寄せた。

 その様子を嫉妬していると勘違いしたエレオノーラは、得意げになって言葉を続ける。


「ええ、そうよ。陛下は本当にお優しいの。夜は私が眠りにつくまで抱きしめて下さるし、お願いしたらお伽噺や異国のお話をしてくださるのよ」

「は、はあ……」


 甘さを増した惚気にたじろくエリザ。その表情はこころもち青い。

 あまく重たいクリームにびくともしない鉄の胃袋を持っていても、甘ったるい惚気話にはまったく耐性がないのである。それも変態――もといあの金ぴか美形についての惚気なので、受けるダメージは尚更だ。噂の王から送られたドレスの下で肌が泡立っていくのが手に取るように分かる。


(あの王様が寝物語を語るなんて……)


 それはどんな悪夢だ。

 会えば必ずなにかしらの方法で無体をはたらかれるエリザは、寝物語を聞かせる優しいレオンハルトの姿を想像することなどとてもできない。

 いったい誰の話をしているのかしらエレオノーラ様、とエリザはますます眉間に刻んだしわを深めた。


 それと比例して深まるのが、エレオノーラのおめでたい勘違いだ。

 彼女の目を通すと、苦々しいエリザの表情は嫉妬をする女のそれに映るのである。真実はさておき、『噂の寵妃にひと泡吹かせた』優越感が彼女の華奢な身体を満たしていく。表面上こそ会心の笑みを浮かべているに留まっているが、その裡ではたちまち悪役もかくやの高笑いが響いていた。

 調子づいたエレオノーラは、得意になって舌を動かす。


「この前はね、この向こうの川べりを陛下と散歩したのよ。陛下と手をつないで歩く間、ずっとおしゃべりしていたの。とっても楽しかったわ。そうだわ、せっかくだからそこまで案内してあげる。行きましょう!」

「えっ、いやあの、わたしは」


 別に興味ありませんので御遠慮しますわ、という言葉はついぞ吐きだされることはなかった。

 嬉々として走りだしたエレオノーラに手をひかれ、小柄な身体からは想像もつかないほどの速度で駆ける彼女追いかけることになったためだ。何度もドレスの裾を踏みかけたり、地面にひっかかって転びそうになりながらもなんとか持ちこたえ、ひたすら走る。


「着いたわよ――って、ずいぶん疲れてるわねえ」

「…………」


 エリザは返事をしなかった。否、できなかった。

 あまりにも疲れていたので。

 慢性の運動不足と近頃の不摂生のせいで悲鳴を上げる身体は、エレオノーラの手という支えを失うと、いとも簡単に緑のカーペットに崩れ落ちた。肩はあからさまに上下し、くちびるは酸素を求めて荒い呼吸をくりかえす。目には涙さえ浮かんでいた。

 対して頬を少し上気させているのみのエレオノーラは、ぜいぜいと淑女らしからぬ呼吸を繰り返すエリザを呆れ顔で見下ろした。その表情は、少し走っただけでこの様かと語っている。


「エリザ様はもっと運動して、体力をつけるべきよ」

「…………」


 もっともな意見を前に、エリザは押し黙るほかなかった。

 なにしろ三年も後宮のせまい部屋の中に閉じこもり、年がら年中本を読みふけっていたのだ。いうなればひきこもり。そんなエリザにまともな体力があるはずもなく、この無様な格好は当然の結果といえる。

 これからはもう少し外に出て、身体を動かそう。

 深呼吸を繰り返しながら心に誓う。


「ねえ、早く顔を上げてちょうだい。そうじゃないと、なんのためにエリザ様をここに案内したのかわからないわ」


 エレオノーラのかわいらしい命令に苦笑しつつ顔を上げると、目の前に澄んだ流れを見つけた。川だ。先ほどから心地よい音が聞こえると思っていたが、どうやら川を流れる水の音だったらしい。


「良い場所でしょう。水がとってもきれいだから、ウィンディーネが棲みついているのですって。その姿を見たくて陛下とウィンディーネを探しに来たのだけど、結局見つけられなかったの」


 草の上に腰かけたエレオノーラは、過去に想いをはせて楽しげに頬を緩めた。

 幸せそうな表情に、エリザもつられて微笑む。お伽噺の住人の存在を信じて探す無邪気な姿が愛おしかった。


「ねえ、エリザ様はなにかないの?」

「何か……ですか?」

「陛下のことよ。エリザ様はいつも陛下と何をしてらっしゃるの?」

「えっと……」


 続く言葉を見つけられず、エリザは口をつぐんだ。なにせ、非常に返答に困る問いかけである。

 エレオノーラが望んでいるであろう甘いエピソードなどエリザはひとつとして持っていないし、楽しく過ごした記憶がなければ、そもそもまともに話したことすらない。それなのにいったい何を話せというのか。

 流石に、いつも嫌がらせまがいの言動を賜っておりますなんてことは言えない。

 考えあぐねていると、また幸せな勘違いをしたエレオノーラがくちびるを尖らせる。


「秘密ってわけ? ひどいわ、教えてくれたっていいじゃない」

「ですが、エレオノーラ様のお耳に挟むほどのことは何もありませんから……」

「嘘よ。だって陛下ったら、最近いつもいつもエリザ様の元に通っていらっしゃるわ。毎日ドレスを送るなんて、よっぽど寵愛されているのね」

「う、うふふ……」


 もはや笑うしかないとはこのことだ。どこから訂正したらいいのやら見当もつかない。

 エリザは焦点の合っていない目を空に向けた。雲ひとつない青さが目に染みる。

 

「ね、エリザ様は陛下のどこが好き?」

「……エレオノーラ様こそ、どこがお好きなんですか?」

「私? 私は……そうね、お優しいところかしら。強いところも大好きよ。エリザ様は、芽月の奉納試合をご覧になったことがある?」

「いいえ、まだ一度も」

「まあ、陛下の剣さばきを見たことがないなんて人生の半分を損してるわよ! どんな敵も剣の一振りで打ち負かしてしまう陛下はとても凛々しくて、立派で、とてもすてきなんだから。私なんて思わずひとめぼれしちゃったわ」

「…………」


 エリザはうなずくことしかできなかった。

 エレオノーラのきらきら輝く目や、甘くとろける笑みがただただ眩しい。

 彼に恋をしているのだと、全身で語っている少女が、愛しくて、羨ましくて――少しだけ悲しい。

 嫌でも思い知るのだ。

 自分は永遠にこんな表情をすることはないのだろうと。


『エリザ、僕の愛しい姫君』

『いっそ死んでしまえばいいのに』

『彼は悲しい人だったから』

『どうして! どうしてよ!!』

『一生……恋なんてしないわ』


 過去に裏付けられた、ゆるぎない予感を目の当たりにすることが……悲しい。

 どうしてこうなってしまったのかと途方にくれて、無性に泣きたくなる。

 でも、どうせ涙なんて出ないくせに。


 これはきっと、エレオノーラには永遠にわからないであろう感情だ。

 その証拠に、彼女は幸せに満ちた笑顔で無邪気に問いかける。


「ねえ、エリザ様はどうなの? 陛下のどんなところが好き?」


 恋に輝く無垢な少女は、その質問に答えられない妃がいるとは考えもしないのだろう。彼女はきっと、この後宮にいる娘たちのすべてが皆ひとしく王を愛していると思っている。そうでない人間などいないと、理由なき確信を抱いているに違いない。

 その愚かしくも眩しい幻想を笑い飛ばすことができればどんなにいいだろう。

 エリザは光をからめた睫毛をそっと震わせた。少女の心を傷つけないようなやさしい言葉を選んで、それを声にのせる。


「善く国を治めてくださるところ……かしら」


 それは、エリザが王に抱く唯一の“好意”だ。

2013/12/03 一部修正

2014/10/09 一部修正

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