04...望まなれない来客*
屈辱の夜から早くも一週間が過ぎようとしている。
あれからレオンハルトの訪れは一度としてない。
そして食事も届かない。
前者は万々歳だが、後者に関しては大問題だ。
「うう……ちゃんとした食事がとりたい……」
保存食である岩パンをもっさもっさと噛みながら、エリザは泣きごとを漏らした。
アデルは困った顔で、エリザの前に茶を注いだティーカップを置く。
「仕方がないさ。後宮のお嬢様方は嫉妬深くて陰湿だからね」
「だからって、食料の供給を断つのはやりすぎではなくて? わたしの生命線なのに……」
あの思い出したくもない一夜が過ぎてから、エリザは後宮の花たちから兵糧攻めという大胆かつ過酷な嫌がらせを受けていた。
毎食の食事からお茶請けのお菓子に至るまで、食料と言う食糧が一切供給されないのである。
想像の上を行く嫌がらせには面食らったが、幸いにも入宮自に母にもたされた岩パンと、王からの贈り物の一部に食べ物があったため、今はそれらでなんとか食いつないでいる状況だ。
「この嫌がらせはいったいいつ終わるのかしらね……」
「……」
アデルは答えない。
いや、それこそが明確な答えともいえるかもしれない。
労わりの笑みを向けられるのがいたたまれなくて、エリザはそっと目を伏せた。
自分一人が嫌がらせの標的になるならば耐えられる。家の特殊な事情により、修羅場や嫌がらせには強力な耐性があるのだ。
しかし、今回はアデルをも巻き込んでしまった。彼は大丈夫だと朗らかに笑うが、どう言われようとも、大切な友人を面倒事に付き合わせているのは紛れもない事実であり、ひたすら忍びないし、申し訳なく思う。
とはいえそんなことをいつまでも考えていても埒が明かない。
憂鬱な思考を切り替えようと、ふたたび岩パンをかじる。
途端にぱさぱさとした味気なさを感じ、エリザは顔をゆがめた。
「いつものことながら、まずいわね……」
岩パンはクッキーのような形状をしているが、堅く味気ないためにお世辞にも美味しいとは言い難い。
それを毎日三食。ときに王から貰ったお菓子や干し肉、砂糖漬けの果物や木の実もつまむが、その程度の抵抗では味覚の飽きから到底逃れられない。
正直言うと、岩パンを口に入れるのも辛いのだ。噛むのは更に辛い。口の中に岩パン特有のぱさつきを感じるたびに嘔吐きそうになる。
それでもなんとか飲み込んで、エリザは深いため息をついた。
「岩パンはもうたくさんだわ……」
「そう思うのは僕だって同じだよエリザ」
「やわらかくて甘みのあるパンが恋しい……」
「ああ。バターとジャムをたっぷりつけて食べたいよね……」
うなずくことでアデルに同意を示しつつ、エリザはティーカップを手に取る。
ひんやりとした陶器の器は中身が冷たいことを暗に伝えていた。
更なる嫌がらせをさける目的で極力部屋からでないため、お湯さしの中のお湯が冷めていたのだろう。
温かい飲み物すら飲めないことに辟易しながら一気に煽り喉を潤す。
「うっ!?」
口腔内に広がる薬臭さに、エリザは思わず呻いた。
豪快に口に含んだ茶は、ひどく不味い。吐き出したかったが、淑女の自尊心がそれが許さず、結局、涙目になりつつ飲み下した。
「な、なんなの、これ。ひっどい味よ、すごーーーくまずいわ! いつものお茶はどうしたの?」
「在庫ストックが切れたから、陛下から戴いた薬茶を淹れてみたんだ」
「前から思っていたけれど、陛下の贈り物のセンスって……」
「エリザ、それ言っちゃダメ。言ったら不敬罪だから」
アデルの忠告を受けて口をつぐんだエリザだったが、一度うかんだ思いはなかなか消すことができない。
一見するとただの紅茶に見える琥珀色の液体を、親の敵とでもいうように睨みつけながら、エリザは半ば無意識のうちにつぶやいた。
「お菓子やドレスは素直に嬉しかったけど、干し肉や漬物プリザーブ、乾物に薬茶って……まるで戦闘糧食じゃない」
「エリザ」
アデルは肩を震わせて笑いをこらえながら、エリザの発言を咎めた。
しかし、エリザはなおも続ける。
「ね、アデルもそう思うでしょう? 嫌がらせを受けている今は大助かりのラインナップだけど、異性への贈り物としては配慮が無さ過ぎるわよね?」
「エリザ、ストップ。だめだって言ってるだろ……!!」
制止をかけるアデルの顔は、妙にこわばている。
笑いをこらえるのに必死なだけだろうが、その割には心なしか同情的な彼の視線を不思議に思い、エリザは首を傾げる。
その疑問に答えるように、アデルは「うしろ」と震える声で告げた。
「うしろ……?」
言われるがままに振り向いたエリザは、一瞬にしてアデルの視線の意味を諒承した。
みるみるうちに顔をこわばらせ、ひいっと淑女らしからぬひきつった悲鳴を漏らす。
「配慮が足りない贈り物で悪かったな」
「へ、陛下……!?」
エリザの毛穴と言う毛穴から、どっと冷汗が噴き出る。
驚愕と恐怖で固まる彼女の視線の先では、雪嵐を幻視させるほど冷たい雰囲気を纏う国王レオンハルトが、絶対零度の昏い目でエリザを睥睨していた。
いつからいたのかは定かではないが、彼の発言から察するに、レオンハルトはエリザの不敬極まりない発言をばっちり耳にしているはずだ。
『言ったら不敬罪だから』
ふいに脳裏をアデルの言葉がよぎる。
彼の言うとおり、今はまさに言い逃れの出来ない状況だ。
言うまでもなく釈明すべきなのだが、混乱する頭では、咄嗟に上手い言い訳が浮かばない。
結局、口から滑り出たのはとんちんかんな言葉になった。
「どどどどどどうしてここに」
「お前の顔を見たかったからだ。分かりきったことを聞くな」
胡散臭い台詞を吐き、彼は甘く微笑みながらエリザの頤をくっと持ち上げた。
妙に手慣れている仕草だ。
余所でやってくれ、とエリザは思う。エリザにとっては迷惑でしかないコレも、性格はともかく顔だけはいい王が相手なら、嬉しさのあまり卒倒する妃もでるかもしれない。
しかし、そんなことを言える立場ではない。
沈黙していると、レオンハルトの指がエリザの唇をゆっくりとなぞった。
「……っ!!」
エリザの紫の瞳に倦厭が揺らめく。
しかし、それが心の琴線に触れたのか、レオンハルトはいっそう笑みを深めた。
(このサディスト野郎……ッ!)
彼の性癖を垣間見た気分である。
愉悦交じりの笑みを直視するのが嫌で顔をそらそうとするも、エリザの顎を押さえつける指がそれをゆるさない。
ぶっちゃけ離してほしい。エリザはレオンハルトに険しい視線を投げた。
だが、レオンハルトはその程度で怯むような人間ではない。
「そろそろ萎れている頃合いだと思って慰めに来たのだが、予想が外れたな」
「陛下は……わたしがこういう状況に置かれていることを、ご存じだったんですか?」
「もちろん知っている。王が後宮の情報を掌握できないはずがないだろう?」
レオンハルトは喉の奥でくつりと笑った。
ふざけるなと叫びたくなる衝動をぐっと噛み殺し、エリザも王に負けじと微笑む。
「そうなんですか。わたしったら、てっきり陛下はご存じないものだと思っておりましたわ」
「……何?」
王の眉がわずかに動く。
エリザは、自身の平凡な顔にはりつけた微笑みが、恐怖で若干引きつっているのを自覚しながらも、すべらかな口調で続けた。
「だって、嫌がらせが開始されてから今まで、なんの対応もないんですもの。もしも、このことが陛下のお耳に入ったのならば、すぐに対応があると思ったのですわ。何せ陛下は賢王と名高いお方。女同士のとるにたらない衝突とはいえ、放置なさるはずがございません」
「……」
「――まあ、どうやらわたしの思い違いだったようですけれど」
最後に強烈な皮肉を付け加えると、レオンハルトの顔がはっきりと歪んだ。
エリザはその表情を見て我に返り、口をつぐむ。さすがに言いすぎた。
「陛、」
「やめろ」
謝ろうと口を開いたエリザの声を遮るように、レオンハルトが言葉を重ねる。
彼は苦々しげな顔つきで続けた。
「あやまるな。お前が今言ったことは、正しい」
「……」
「この件には、後ほどしかるべき処置を与える。遅くなるかもしれないが、必ず。約束する」
レオンハルトの目は、ひたすら真摯だ。
思いがけない言葉を受けて、エリザはただ呆けるしかできなかった。
「それだけだ。……もう帰る」
言うが早いか、レオンハルトは踵を返して歩き出した。
咄嗟に動いたアデルが扉を開け、恭しく礼をして王を送りだす。
「陛下、お待ちください!」
扉の向こうに消えようとするレオンハルトに向かって、慌てて声をかけると、彼の動きが止まる。
「……何だ?」
振り返ったレオンハルトの目は、億劫そうに細められている。
しかし、躊躇している暇はない。エリザは急ぎ頭を下げた。
「ありがとうございます」
一瞬、沈黙があった。
このまま無視されるかもしれない。ふとそんな考えがエリザの頭をよぎったが、その予想はすぐに打ち消された。
「……また、来る」
頭上で不機嫌そうな声が響く。
たった一言。それも、ひどくぶっきらぼうに言い残すと、レオンハルトは部屋をあとにした。
「――ま、そういうわけだから。陛下を許してあげて、エリザ」
扉の前で振り返ったアデルが苦笑する。
頭を上げたエリザは、彼の言葉に応えず、少し唇を尖らせた。
「別れの挨拶もないなんて、本当にいやな人……」
その言葉を聞いたアデルは、やれやれと肩をすくめてみせる。
しかし、その顔には笑みが浮かんでおり、心配そうな色は見当たらない。
「二人とも、まったく素直じゃないよね」
アデルの細められたエメラルドの瞳には、どこか嬉しげな表情をした少女の姿が映っていた。
2013/09/16 本文を微修正
2014/11/24 タイトル変更・大幅改定
岩パン…硬くてまずいカンパンみたいなもの。