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03...後衣の朝には程遠く*

「――ザ……エリザ、起きて」


 爽やかさのかけらもない甘ったるい声で、目が覚めた。

 うぅん、と鼻にかかった寝ぼけ声を漏らしながら薄らと目を開くと、眩しい朝日が飛び込んでくる。


「ん……眩し……」


 思わず目をつむった。それでも瞼の裏まで淡く明らむほど、部屋は光で満たされているらしい。

 こんなに明るいということは、カーテンが開いているに違いない。

 おかしい、とエリザは内心首をかしげた。昨夜はきちんとカーテンを閉めたはずである。

 いったい誰が開けたのか。

 そこまで考えたところで、エリザは自分を起こした声に思い当たった。

 おそらくが来ているのだろう。

 エリザは目をこすりながら浮かんだ名をよばう。


「アデル? あなたなの?」

「正解。僕だよ。よく気づいたね」


 声が聞こえた方向に顔を向けると、寝台に座ってニコニコとこちらを見つめているアデルと目があった。

 思いのほか距離が近かったので、エリザはぎょっとして目を剥いた。

 朝っぱらから美形のどアップは心臓に悪い。あんまり驚いたものなので、眠気はどこかにすっ飛んでしまった。


「び、びっくりした……! いつからいたの?」

「さっきからずっと。気づくの遅くない?」

「ていうか、この部屋、施錠していたはずよね? どうやって入ってきたの?」

「ひみつ」


 アデルはとろけるような笑みを浮かべた。

 おそらくときめくところなのだろうが、エリザは胡乱な視線を向けるだけだ。


「そんな笑顔じゃ騙されないわよ。まったくもう……鍵を変えるべきかしら」

「多分、変えても無駄だと思うよ?」

「さらっと怖いこと言わないでちょうだい!」


 相変わらずの調子で微笑むアデルを睨みつけたとき、エリザはふとあることに気付いた。


「アデル。その格好、いったいどうしたの?」

「ん? ……ああ、これ?」


 そう言ってアデルがつまんで見せたのは、綿密かつ繊細な刺繍が美しい布地のドレスだった。

 露出が少なく、上品で落ちついた印象を受ける立襟スタンド・カラーのドレスは、どこか儚げな雰囲気の彼に、それはよく似合っている。

 しかし、あいにく彼は男である。そして、男はドレスを着ない。


「もしかして、女装そっちの趣味に目覚めちゃったの……?」

「まさか。仕事に決まってるだろう」


 本気と冗談が半々の問いかけに対し、アデルは真顔で否定した。

 淡い金の睫毛に縁取られたエメラルドの瞳は心底嫌そうに細められている。

 どうやら不本意な女装であるらしい。


「女装までしないといけないなんて、宦官も大変ね」

「本当だよ……今回は特殊な命令だから、仕方ないけどね」

「特殊な命令?」

「ああ。きみの侍女になるよう、辞令が下ったんだ」

「えっ、わたしの……侍女!?」


 うなずいたアデルは、エリザに一枚の紙を見せた。

 王家の紋章の透かし彫りが刻まれたそれには、なるほど彼の言うとおりの旨が記されている。


「そういうわけだから、これからよろしくお願いしますね、我が麗しの姫君(マイ・フェア・レディ)

「あなたみたいな美しい令嬢・・に麗しいとか言われて傅かれてもねえ……」


 優美な微笑を湛えたアデルに手を取られ、口付けられるが、エリザは複雑な表情だ。


「つれないなあ。こんななりだけど、僕は結構役に立つと思うよ」

「そうかしら。容姿はともかく、侍女に求められる家事能力は、わたしの方が数倍ほど上回っていてよ?」

「そういう意味で言ったんじゃないんだけどな……」

「え?」

「ま、すぐに分かるさ」


 笑顔で不穏なことをのたまったアデルは、ふいに「そういえば」と話題を変えた。


「昨晩、また陛下がいらっしゃったんだってね?」

「えっ、どうしてそれを!?」

「やだなあ、エリザ。ここは後宮だよ? 陛下の行動が噂にならないわけがないだろう?」


 さもありなん。エリザがうなずく。

 後宮は恐ろしい場所だ。女たちの足の引っ張り合いはもとより、情報の巡る速度も尋常ではない。

 特にそれが国王陛下に関するものであるときは、光速で情報が知れ渡る。


「エリザはすごいね。一瞬にして時の人だ」

「全然嬉しくないわよ! 陛下のせいでわたしの穏やかな後宮生活が台無しだわ!!」

「まあまあ。とりあえず落ちつきなよ」

「無理。思い出したら腹が立ってきたわ!」


 やんわりと宥めるアデルに、エリザはきっぱりと言ってのけた。


「そんなこと言わないで。陛下のお手つきなんて名誉なことじゃないか」

「勘違いしないでちょうだい。昨晩は何もなかったわ」

「え?」

「だから、お手つきじゃないってことよ!」

「それって……」


 眉をひそめるアデルは、先を言うのを躊躇しているようだった。

 エリザはふんと鼻を鳴らすと、吐き捨てるように言った。


「わたしはまだ純潔よ」

「……」

「やっぱり勘違いしていたのね。まあ、状況的に無理もないでしょうけど……」


 少し冷静さを取り戻し、煩わしげに髪を掻き上げたエリザを、アデルは困惑の表情で見つめた。


「それは……よかったねというべきか、なんというか」

「はっきり言ってくれて結構よ。かわいそうに、って」

「そんなことは思ってないよ。ただ、真実と噂の相異を考えるとね……」

「そうよね。私も、何もなかったことに不満はないし、むしろ幸運だと思うけれど、周りは誤解しているんだものね。それは煩わしいわ」


 真実はともあれ、王のお手つきと周囲に思われている以上、これから何かと不都合なことも出てくるだろう。

 出る釘は打たれるのである。それが、さしたる美貌も家柄もないエリザであれば、なおのことだ。

 ある程度の嫌がらせや悪口は覚悟をしなければならない。


「まったく、いやになっちゃう……」


 エリザは顔をゆがめ、目についたクッションを思い切り抱きしめた。

 アデルは微笑みながら彼女の髪をなでる。


「そう怒らないで。陛下も反省してるみたいだし」

「反省? あの最低男が? 絶対あり得ないわ」

「信用ないね……。本当なんだけどな。これを見たら信じる?」


 そう言ってアデルがおもむろに取りだしたのは、じゃらじゃらと高質な音を響かせる革袋だ。

 袋は大きく、ずいぶんと重そうに見える。


「なあに、それ?」

「金貨」

「え?」

「金貨だよ。百万リヴルが入ってる」


 ほら、とアデルは結びを解いて中身をエリザに見せた。

 覗きこむと、大量の金貨がこれでもかというほど詰まっている。


「ほ、本物の金貨だわ……!」

「うん。そう言っただろう」

「すごいわね。アデルがこんなにお金持ちだって知らなかったわ」

「いや、僕のじゃないよ」


 苦笑するアデルが首を振った。


「陛下がきみに渡すようにって、僕に持たせただけ」

「え、あの男が!?」

「ああ。昨晩、陛下がきみの家具を壊したんだって?」

「ま、まあ……そうなる、かしら?」


 痛恨の一撃を加えたのはエリザの投擲とうてきだが、もともとの原因を考えれば、王のせいとなる。


「そのお詫びらしいよ。ま、受け取って」

「受け取ってって言われても……」

「遠慮する必要はないんじゃない? きっと、昨晩のあれこれを全部ひっくるめての示談金なんだろうし」

「そういうことなら、もらっておくわ」

「そうするといい。ほかにもいろいろ届いているから、後で見ておいて」

「え、まだあるの……?」

「うん。あっちにまとめて置いておいたよ」


 アデルが示した方を見てみると、なるほど、部屋の片隅に見知らぬ箱やらなにやらの山ができている。

 エリザは呆れ、同時に少し不安になった。


「あれが運ばれるのを見た人は、いったいどう思ったでしょうね……」


 後宮には、一夜を共にした妃に、王が贈り物をする慣習がある。

 花やお菓子が一般的なのだが、時にはもっと豪華なものが送られる場合もあり、エリザの場合は後者だと思われたに違いない。

 おそらく、よほど気にいられたとでも誤解されているだろう。

 王としては詫びのつもりなのだろうが、逆効果だ。


「ああ、前途多難だわ……」


 エリザは眉間を押さえた。

 今はただ、何もないことを祈るばかりである。

2014/11/24 タイトル変更・全編改定

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