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02...少女の殻を脱ぎ捨てて

 エリザが宦官に会うことはきわめて少ないし、宦官が部屋を訪ねてくることは更に少ない。

 しかしそれは裏を返せば、エリザは宦官に会うし、宦官が部屋を訪ねてくることがあるとも言える。


「――ということがあったのよ」


 とある穏やかな午後の昼下がり。

 エリザは自室にアデルという客人を招き、いつもより少し豪勢なお茶の時間を楽しんでいた。

 今はエリザが、いつぞやの真夜中にやってきた乱入者について話していたところである。


 あの夜から数日が経過したが、嵐のようにやってきて去っていった美しい男のことを、エリザは今もはっきりと覚えていた。

 恋なんて甘酸っぱい感情ゆえではない。ただ単に、男があんまり無礼だったために頭から離れないのだ。

 まさかあのような男が宦官として後宮に勤めていたとは。

 彼を採用どころか候補にあげたことすら、エリザには解せなかった。


「ねえ、同じ宦官としてあなたはどう思う?」


 アデルは宦官だ。

 例の男と同じでむやみやたらと見目麗しいが、なぜかその美貌が後宮で噂になることはない。いつどこでどんな仕事をしているのかも、よく分からない。謎の多い人物なのである。

 そんな彼は、優雅な手つきでティーカップを手に取ると、なにやら食えぬ笑みを浮かべた。


「同じ宦官として、ねえ……」

「なあに、その含みのある言い方は」

「だってエリザ、その男はおそらく宦官じゃないよ」

「え? 宦官じゃないですって?」


 眉をひそめ、ズズッと紅茶を啜るエリザ。

 あまりに淑女らしからぬ行いである。

 しかしそんなことなどちっとも気にした様子のないアデルは、「エリザは相変わらずだねえ」と笑った後で、とんでもないことを言い放った。


「彼はレオンハルト。レガリア当代国王陛下だ」


 一瞬の静寂。

 そののち、室内にブフッと下品な音が響いた。

 エリザが紅茶を噴き出したのだ。

 口から霧のように噴射された紅茶は、陽光を受けて虹を描きだす。

 虹だけ見れば実に美しい光景だ。虹だけを見れば。


「はあァ!? アレ(・・)がこここ、国王陛下ですって!?」


 目をかっぴらいたエリザが叫ぶ。

 アデルはどこからか取り出したハンカチーフで顔を拭きながらうなずいた。


「真夜中に妃の部屋を訪れることができる人間なんて、陛下くらいしかいないからね」

「い、言われてみれば、たしかにそうだけど……。でも私、後宮入りしてからもう二年経つけれど、これまでに一度も陛下のお出でがないのよ?」

「だからこそ、来たんじゃないの?」

「でも仮に陛下だとして、よ。どうして突然いらっしゃるのかしら?」

「さあ? 気まぐれじゃないかな」


 たしかに、理由としてはそれが一番ありうるだろう。

 陛下はたぐまれなる美貌をもつ気まぐれな方であるらしい。

 そういえばエリなんとかという妃がいたな、一度行ってみるか、と考えたとしてもおかしくはない。

 しかし。


「本当に陛下なのかしら?」

「おそらくね」

「嘘よ」

「嘘じゃない」

「嘘よ」

「嘘じゃない」

「嘘よ」

「嘘じゃない」

「……」


 いつになく強気なアデルに押され、先日の無礼な男が国王陛下であるように思えてくる。

 王であるならば、真夜中に後宮を訪れていても何らおかしくはないのだ。

 それに、あの不敵な「私を誰だと思っている?」という発言にも説明がつく。

 ヒントはあちらこちらに散りばめられていたのに、どうして宦官だと思ってしまったのだろう。

 エリザは頭がくらくらしてきた。


「私、陛下にたくさん不敬をはたらいてしまったわ……!」


 早く帰ってくれと言ってみたり、睨みつけてしまったり、あげく陛下を幽霊呼ばわりしてしまったり……。

 記憶を掘り返せば枚挙にいとまがない。

 王族への不敬は重い罪だ。

 特に君主たる王への不敬は厳しく罰せられる。

 王の機嫌を損ねる、あるいは王に危害を加えたとして断頭台の餌食となった人間は数知れない。


「ああ……!」


 なんてことをしてしまったのだろう。

 エリザの顔から色が消えうせた。








 その夜、エリザはいつまでたっても眠れなかった。

 アデルとお茶をしてからというもの、頭の中では様々な方法で処刑される自分の姿が延々とリピートされている。

 それが頭から離れなくて、およそ三時間前から布団にくるまってガタガタ震えているのだった。

 夜はもうとっぷり更けて、時計を見ればもう少しで日付が変わりそうである。

 エリザはため息をつくと寝台の上から傍机に手を伸ばし、本を手にとりつつロウソクのあかりを灯した。

 気分を落ち着かせようと本を読みはじめる。

 しかし、読めども読めども内容がちっとも理解できない。

 気付けばページをめくっているから慌てて戻っては読むの繰り返しで、内容が欠片も頭に入らないのだ。

 処刑、処刑、処刑、処刑、処刑……。

 もうそれしか考えられない。


(きっと死ぬんだわ!)


「おい」


(『ミレイアの恋』に登場するオーレリーのように殺されたらどうしましょう)


「……おい」


(手足のないダルマになるのはごめんだわ)


「エリザ、聞いているのか!」

「ひいぃっ!?」


 いきなり誰かに肩を掴まれ、飛びあがるエリザ。

 手を振り払い、振りかえりざまに乱入者へ向けて本を投げる。

 彼女の肩をつかんだ張本人は上体をのけぞらせて迫りくる本を避けた。すさまじい運動神経である。

 対象を失った鈍器……もとい本は、なけなしの家具を巻き添えにして、部屋いっぱいに聞くに堪えない音を豪快に響かせた。


「ああああッ!!! 私の百万リヴルが!!」


 リヴルというのはここレガリアの硬貨単位だ。

 百万リヴルは、金貨百枚分に相当する。

 平民が三年遊んで暮らせる額だ。

 それほどの価値がある家具が、たった今本の犠牲となったわけである。

 失った百万リヴルに対する貧乏貴族であるエリザの嘆きは海より深い。

 そして嘆きは一瞬にして怒りへと変わり、その矛先は本を避けた存在に向かう。


「不届き者っ! 私の百万リヴルを返しなさい!!」


 早鐘を打つ心臓を押さえながら、エリザは勢いよく顔を上げて乱入者を見上げる。

 ――――乱入者?

 聞き覚えのある単語が頭に引っ掛かり、本能が赤信号を点灯させたが一足遅い。

 エリザは何の心構えもなく、乱入者であるいつぞやの男、つまりは王にして後宮の主であるレオンハルトの顔をばっちりと捕えてしまっていた。

 処刑。

 その二文字が脳裏で荒れ狂う。


「いやあああああああっ!!!」


 甲高い悲鳴を上げ、起動した防衛本能に操られるままレオンハルト目がけて鋭い蹴りを入れる。

 彼は突然の攻撃に面食らったが、武勇に誉れ高いだけあってエリザの蹴り技をきれいによけていた。

 ついでに足をキャッチし、通常運動では有り得ない方向に曲げる。

 悲しきかな、暗殺に敏感な王の日頃のくせである。


「いだだだだだだ!!!」


 先ほどとは違う意味でエリザが悲鳴をあげる。

 足の関節あたりからゴキリともボキリとも形容しがたい、本来聞こえてはならない音が聞こえたような気がした。


「ああ……すまない」


 ちっとも感情のこもっていない謝罪を述べながらレオンハルトが手を離す。

 恐ろしく強い握力と変な方向への力から解放されたエリザの足は、重力によって勢いよく落下した。

 着地点がやわらかい寝台の上であったのはせめてもの幸いだろう。

 エリザは足を襲う激痛にひとしきりのたうちまわったあと、むくりと起き上ってレオンハルトを睨み据えた。


「かよわい女に暴力をはたらくなんて信じられない!」

「かよわい女が暴力をはたらくことこそ信じられん」

「失礼な。あれは正当防衛です」


 まさか家具を破壊するほどの威力があるとは予想もしていなかったが。


「正当防衛であろうとなかろうと、私に対して殺意を向けるのはおすすめできないな」

「……」

「もっとも、不敬罪で断頭台行きになりたいならば話は別だが」

「……」


 ああ、そういえばこいつ――もといこの方は、王なのだったわ。

 処刑の恐怖と百万リヴルの大損失に我を失っていたエリザは遅まきながら事実の重大さを思い出し、たちまち青ざめた。

 断頭台行きはごめんである。

 エリザは力なくかぶりを振り、幽鬼のごとき緩慢な動きで寝台から離れた。

 逃げるならば斬ってやろうか。

 嗜虐的な考えがレオンハルトの脳裏をかすめたが、彼が動向を観察する中、エリザは扉ではなく彼の方へと近づいてきた。

 どうやら逃亡を考えていたわけではないらしい。

 ならばいったい何だというのだ?

 レオンハルトの好奇心に満ちた視線を受けながら、エリザは折り目正しく床の上に正座し、彼に向かって流れるように額づいた。

 いわゆる土下座である。

 あまりに流麗な一連の動作にレオンハルトが目を瞠る。


「陛下に対しての数々の不敬、心よりお詫び申し上げます。このエリザ、どのようなことをしてでも償う所存です」


 エリザは震える声で謝罪の言葉を紡ぐ。

 できることならば今すぐに貴族の令嬢らしく失神したいところだが、修羅場慣れした彼女の精神はそれをゆるさない。

 色狂いと悪名高い父のおかげで修羅場や泥沼が日常茶飯事であったエリザは、ちょっとやそっとのことでは動じない図太い精神の持ち主なのである。

 今だって、レオンハルトの口から「処刑」の一言が発せられたら、その場で隠し持っている毒薬を煽って安楽な死を遂げようかしらと考えているところだ。


「……ただの冗談だ。顔を上げろ」


 洒落にならない冗談はやめてほしいと言いたいところだがぐっと抑える。

 ここで再び機嫌を損ねたら堪らない。

 とりあえず安堵の胸をなでおろし、命じられるままに顔を上げる。

 いや、正確には上げようとした。

 伸びてきた手に髪を掴まれたことで、動きが遮られたのだ。

 その後すぐに有無を言わさずひっぱられたため、結果的には顔を上げたことになるのだが……何か違う気がする。

 痛みに顔をしかめながら、エリザはレオンハルトを上目づかいに見上げた。

 彼女の視線の先で、彼は嫣然と――エリザに言わせれば嫌らしく――笑っている。

 嫌な予感をひしひしと感じ身震いするエリザ。

 その様子に満足そうに鼻を鳴らし、レオンハルトはエリザの亜麻色の髪から手を離した。

 しかし、広がり落ちる髪を見て安堵する暇もない。

 一度離れた手が、今度はエリザの寝間着の襟ぐりを乱暴に掴み上げたのだ。

 そのまま力任せに引き上げられる。

 力には逆らえず、エリザはよろめきながら立ち上がる。

 しかし上手く衝撃を殺すことができず、彼女の体が斜めに傾く。

 崩れ落ちそうになるエリザを支えたのはレオンハルトだった。

 だが、エリザが崩れ落ちそうになる原因を作ったのもまた彼である。

 なにがしたいんだこの男は、と怒鳴りたい気持ちを必死に抑え込むエリザ。


「わりと重いな」


 そう言いながら、レオンハルトはなぜかエリザを小脇にかかえ抱き上げた。

 そしてそのまま寝台に近づくと、そこにぽんとエリザを放り投げる。

 まるで荷物のような扱いだ。

 エリザは屈辱と怒りで唇をかみしめた。

 その結果、寝台に転がった際に勢いよく歯があたり、唇に激痛が走る。

 痛む箇所にそっと指をあててみれば、ぬめりとした液体が付着した。

 おそらく血液だろう。

 エリザはこれから数日続くであろう不便な生活を憂い眉をひそめた。

 唇の傷は、飲食したり話をするだけで痛むから辛いのだ。

 傷が化膿しないように薬を塗らなくては。

 傷薬はあったかしらと、寝台に体を投げ出したまま応急処置について思考を巡らせる。

 しかしそれも長くは続かず、寝台が大きく軋む音に中断を余儀なくされた。

 顔を上げれば、なにを思ったのかレオンハルトが覆いかぶさっているではないか。

 いったいなんのつもりだろうか。

 そんなエリザの疑問が伝わったのか、薄闇の中でレオンハルトが唇の端を吊り上げる。


「『どのようなことをしてでも償う所存』なんだろう?」


 どうやら先ほどの話の続きらしい。


「たしかに申しましたが……なにも、この体勢でなくとも」


 気付けば両手が固定され、足を上手いこと挟み込まれていたために身動きが取れない。

 この場所でこの体勢は、抵抗を抑え込むと言うよりは、むしろ――……。

 動揺しながらレオンハルトを見上げると、彼は然りとうなずいた。


「エリザ、今宵はお前が相手をしろ」

「……っ!?」


 予想はしていたが、実際に口にされると驚きが勝り、エリザは思わず体をのけぞらせた。

 しかし手足を固定されているため、レオンハルトと距離をとるためにのけぞったはずが、逆に自ら体を密着させてしまう始末だ。

 それに気を良くしたのかは定かではないが、レオンハルトが笑みを深め顔を近づけてくる。


「ひいっ!」


 情けない悲鳴を上げて顔を背けてみるが、すかさず手で位置を正されてしまった。

 真正面から見ることとなったレオンハルトの顔には、どこかほの暗い満面の笑み。

 美形が壮絶な色気を放っているというのは眼福を通り越してもはや目に毒だ。

 近すぎる距離も居た堪れなさを増幅させる。

 互いの息使いを感じる距離で見つめ合うなど、人生初の体験である。

 エリザの心臓はかつてないほどの速度で早鐘を打っていた。

 残念ながらときめきではなく、恐怖と困惑から来るものだ。


 本来とは違う目的を抱いて入宮したとはいえ、エリザは望んで後宮にやってきた身。

 こうなることもあるかもしれないと覚悟はしていたから、カマトトぶるつもりはない。

 しかし理性では分かってはいても、突然のことに頭がついていかないのである。

 こんなことになるならば房中術について詳しく学んでおくのだったと今更後悔するが、時すでに遅し。

 エリザの視線の先で、レオンハルトは妖しい光を宿した瞳をついと細めた。

 その奥に情欲とも狂気ともつかない感情を垣間見た気がして、エリザは思わず目を背けた。

 その態度すら愉しむように、彼はエリザの耳を嬲るように噛む。

 そして、耳元に唇を寄せると、ぞっとするほど低く甘い声を耳朶に響かせた。


「せいぜい楽しませてくれよ?」

「へい、」


 陛下、と呼びかける声はレオンハルトの唇に封じられた。

 少し乾いたその感触が、これがまぎれもない現実であるということをはっきりと訴えてくる。

 迫りくる予感に身震いしたエリザは、喉元までせり上がってくる感情を封じ込めるように固く目を瞑った。

 ふたたび降り落ちるくちづけをうけとめたエリザの唇は、かすかに震えていた。

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