01…それぞれの第一印象
真夜中、部屋の戸を叩く人間がいた。
こんな時間にいったい誰だろう。
ロウソクの灯りを頼りに読書にふけっていたエリザは、顔を開けて扉を見た。
面倒だから寝たふりをしようか。黙っていれば、相手もすぐにあきらめるだろう。
そう思ったのだが。
ガチャガチャという音がしたあと、少し間をおいて扉が開けられた。
いったいなんだというの。
エリザは急いでガウンを羽織り、部屋に乱入……もとい、やってきた男を凝視した。
むだに美しい人、というのが男の第一印象だ。
黄金の髪。
碧玉の瞳。
天使もかくやという顔。
上半身と下半身が黄金比であるだろう体。
やだ、完璧じゃないの。きもちわるい。と、年頃の娘らしからぬ感想を抱く。
エリザは美しい物を愛しているが、美しい者は対象外である。
美しい者は遠くから眺めるだけで充分だ。近づくのは死んでもごめんだ。
美形と関わり合いを持つともれなく厄介事が転がり込んでくるのは、経験上嫌というほど知っている。
面倒はごめんである。
安寧な日々を求めてここまできたのに、煩わしい思いをしたくはない。
そもそもどんなに美しい人間であろうと、エリザの読書の邪魔をすることなどもってのほかである。
夜更けに断りもなく部屋に入り読書の時間を奪った時点で、エリザの男に対する評価はかなり低かった。
内心舌打ちをしたエリザは、目の前の男を体よく追い払う手段を考え始める。
そのときだった。
「――――おい」
男が声をかけてきた。
初対面という間柄にあるまじき不躾なよびかけに、エリザの機嫌は最底辺まで降下する。
「……なんですか?」
思いっきり億劫そうな声で返事をする。
男はわずかに眉をひそめたのちに手近な椅子に腰かけた。
部屋の主に断りもなく座るとは、なんて無礼な男だろうか。
エリザも眉をひそめた。
その様子を見て、男は美しい顔をゆがめる。
「その態度は斬新なアプローチか何かか?」
アプローチ? なにが?
エリザはこてんと首を傾げる。
この男、ちょっと頭がおかしいのかもしれないわと思った。
それならばなおのこと、早々にお帰り願わなければ。
「どちらの方かは存じ上げませんけれど、早くここから出て行くのがあなたのためだと思います」
「……何?」
「あら、ご存じないの? ここは男子禁制ですよ」
ここは後宮。
エリザは花園の片隅にひっそりと息づく、しがない一側室である。
後宮はここレガリア王国の王のためだけの楽園であり、後宮に入ることを許されるのは、七歳以下の男子と女、そしてわずかな例外のみとされている。
許可なく後宮に入った人間がいる場合、よくて幽閉、悪くて処刑だ。
その処罰の対象には、後宮に招き入れた者も含まれる。
よってこの状況が見つかるのは、身に覚えのないエリザといえどもまずいのだ。
後宮に住まう女たちは、美しい笑顔の下で隙あれば他者を蹴落とそうともくろんでいる。
たとえそれが王の寵愛のない側室であっても、だ。
なにしろ敵がいないにこしたことはない。
ここでは、王の寵愛が力のすべて。
そして愛とはうつろいゆくもの。
王の寵愛を失い、あるいは得る妃が移り変わる周期はめまぐるしい。
だから寵妃は敵をつぶすのに必死であるし、いまだ日の目をみない妃は王の寵愛を得るのに必死だ。
愛憎渦巻く後宮で足並みを乱す女があれば即刻排除されるのは言うまでもない。
王に声をかけられた下級貴族の妃が毒を盛られたやら、王と一夜を共にした妃が階段から突き落とされたやらと黒い噂にこと欠かない後宮の一員であるエリザとしては、早々に男を追い払いたい。
彼に色目を使っただとか関係を持っただとか、そんな根も葉もない噂を立てられたらたまったものではないのだ。
「とにかく、早くお帰りになって」
優雅に椅子にふんぞりかえるという器用なことをしている男を睨みつける。
しかしなぜか睨み返された。
一度として王の訪れがない側室風情に睨まれるのは不快だと言いたいのか。
「私を誰だと思っている?」
「誰って……」
知るわけないでしょう、と喉元まで出かかった言葉をすんでのところで飲み込む。
そんなことを言ったら殺されそうだ。
側室の一人や二人、ためらいもなく斬り殺しそうな空気を男は醸し出していた。
面倒だわ、と思いながらエリザは男を観察する。
見に纏う衣服は上等。貴族、だろうか。
さらに帯剣を許されている。
そうなると――
「騎士?」
「違う」
外れだった。
「じゃあ、王の侍従?」
「違う」
「宰相……ってここに入れたかしら」
「違う上に入れない」
「幽霊?」
「……ふざけているのか?」
ふざけてはいない。
ただ、それ以外に後宮に入ることができる身分の存在が思い当たらないだけだ。
エリザは男を見つめる。
騎士でも侍従でも宰相でも幽霊でもないというならば、彼はいったい誰なのだろう。
白旗を上げかけたエリザの頭に、ふとある可能性が閃いた。
「あなた……もしかして宦官?」
後宮に入ることを許される例外には、宦官という存在も含まれている。
宦官というのは、去勢済みの男の役人を指す。
彼らは子をつくる能力がないため、後宮を歩くことを許可されているのだ。
しかし宦官の数は少ない上に、その大半は強い権力を持つ妃の下に集まっている。
だから部屋にひきこもってばかりのエリザが宦官に会うことはきわめて少ないし、宦官が部屋を訪ねてくることは更に少ない。
「そう、宦官なのね」
「……」
男の返事はなかったが、目の前の男と宦官を勝手に等号で結びつけたエリザはほっと溜息をついた。
これで少なくとも謂れのない姦通罪で首を切り離されることはさけられるだろう。
なにしろ宦官とは関係の持ちようがないのだ。
「あなたのように美しい宦官がこの後宮にいたとは驚きです」
「……」
「どちらの側室さまにお仕えしてらっしゃるの?」
「……」
「私に何の御用ですか?」
「……」
「……」
待てども待てども言葉が返ってこないので、エリザは彼との会話を諦めた。
宦官には変わり者が多いというし、彼もその類に違いない。
エリザは彼の存在を無視し、読書を再開することにした。
視線を感じるがこれも無視だ。
言いたいことがあるなら口で伝えればいいのに、とエリザは思う。
「なにを読んでいる?」
数度ページをめくったところで、ついに男が声をかけてきた。
早く帰ればいいのに、と心の中で罵りながら顔を上げる。
「本ですわ」
「見ればわかる」
「そうですか」
顔を下げる。
「もう会話は終わりか?」
「むしろ、これ以上何をお話することがありましょう?」
「私はその本のタイトルを知りたいのだが」
この男には、早く会話を打ち切りたいがために、エリザがわざと無愛想な反応を返していたことがわからないのだろうか。
こんな男がよくぞまあ宦官になれたものだ。
エリザは呆れながら本を閉じ、表紙を男の方に向ける。
「ミレイアの恋という本ですわ。ただの恋愛小説です」
「ただの?」
「はい、ただの」
「どこまで読んだ?」
「今は五巻目です」
「……そうか」
「はい」
「その本は面白いか?」
「ええ、もちろん」
「どんなところが?」
「はじめはありがちな恋愛小説ですが、読み進めるにつれ泥沼になっていくところがたまりません」
感想を述べながらエリザは驚いていた。
エリザの発する険悪な空気を気にもとめないこともあるし、なによりこの状況で恋愛小説の感想を詳しく尋ねてくる宦官が珍しく、そして少々気味悪かった。
いったい何が目的なのか。
その答えを求めて思考を巡らせて、ふとある可能性を見つけ出す。
もしかしてこの男、恋愛小説が好きなのだろうか。
だとしたら驚きである。
顔に似あわず乙女趣味……いや、内容を鑑みるに流血沙汰が好きな狂人予備軍かもしれない。
自分のことなど棚に上げて、相手に大変失礼なことを考える。
男は男で驚いていた。
ミレイアの恋と言えば、一巻こそ胸やけしそうな甘さだが、二巻から次第に主人公の恋に暗雲が立ち込め、三巻ではついに血みどろの展開になり、最終巻の五巻にいたっては惨殺シーンばかり。
恋愛の『れ』の字も見つからないスプラッターな内容で有名な小説だ。
それをただの恋愛小説とのたまうとは。
この女、只者ではないな。下手すると頭のねじが一、二本飛んでいるのではなかろうか。
エリザが聞いたら怒り狂うであろう感想を抱きながら、男はゆっくりと椅子から立ち上がった。
今日はここで夜を過ごすつもりだったが、予定変更だ。
「帰る」
「あ、はい。ごきげんよう」
慌てて立ち上がり礼をするエリザ。
やっと厄介事が去るのが嬉しくて思わず笑みがこぼれる。
そのためかは知る由もないが、閉まる扉の向こうに見えた男は目を瞠っていた。
部屋を出てすぐに、男は頭を垂れる女官長に出くわした。
「もうお帰りですか?」
顔を上げた女官長が尋ねるが、男は何も答えずに彼女の前を素通りする。
そのことになれている彼女は顔色一つ変えない。
「……左様でございますか」
過ぎ去った男の背中に向けて抑揚のない声でつぶやき、再び礼をする女官長。
それもまたいつものことだ。
ただ、男がふいに歩みを止めたことのみが普段と異なっていた。
彼はゆっくりと振り返り、いまだ頭を下げたままの女官長に声をかける。
「女官長、あの女は何だ」
「あの女……と申しますと?」
「今日の相手だ」
「なれば、エリザ様でございましょう」
エリザ。
聞いたことのない名だ。
王の内心を察してか、女官長が言葉を付け足した。
「故アーネット伯のご令嬢です」
「アーネット? あの色狂いの?」
エリザという名は知らないが、アーネットの家名ならば知っている。
しかしアーネット伯といえば、あの平凡顔のエリザとかいう女とは似ても似つかない美丈夫であったはずだ。
たしかとてつもないブサイクな妻を持ったとかで、一時期社交界の噂となっていた気がする。
あの女の顔は美丈夫とブサイクの血がうまく中和した結果か、と男はひどく失礼な結論に達した。
「それで、エリザ様が何か?」
「いや……。もういい、下がれ」
慌てて礼をする女官長に背を向けて歩き出す。
無表情で歩みを進める男はいつも通り頭を切り替えようとするのだが、どうにもうまくいかない。
あんな女に知りあったせいだろう、と顔をしかめる。責任転嫁もはなはだしい。
しかし、男の考えることにも一理ある。
たしかにエリザは、後宮の女としては実にかわっているのだ。
主に、その態度がおかしい。
後宮に住まう女ならば、男を迎えるときにこそ笑みを浮かべるはずだ。
しかしエリザは彼が入室したとき、さして美しくない顔いっぱいに嫌悪を浮かべていた。
さらには彼を冷たくあしらってみるし、挙句の果てには彼を宦官と間違える始末。
エリザの態度は不敬極まりない。
忠臣が見たら、怒り狂い卒倒するか、彼女を殺さんと剣を抜くだろう。
老いぼれどもが真っ赤な顔をしてエリザを口汚く罵る姿を想像し、男は喉の奥で笑った。
(変な女だ)
まさかあのようにおかしな女が後宮にいたとは。
情けをくれてやるつもりで訪ねたが、おもしろい拾いものをした気分だった。
彼が最後に見たエリザの顔を思い出し、男――レガリア王レオンハルトは莞爾と笑う。
たのしい玩具を見つけたと思った。
こうしてエリザは、彼女の与り知らないところで運よく処刑を免れ、また王の関心を得たのであった。
エリザの欲する安寧な日々が世界の彼方へ吹き飛ぶのは、これからすぐのことである。
拙い文章ではありますが、よろしければお付き合いください。
2013/03/15 細部修正