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Ⅱ・追憶(6)

 

 寝起きで頭がぼぅ…っとする。リオンはしばらくベッドの上でそのまま座っていた。

 バハールドートに来て――タオに拾われて何日目の朝だろう。ぼんやりと考えながら伸びをしていると、垂れ耳の白い兎が目覚めの茶を運んできてくれた。可愛らしい仕草で差し出され、思わず笑みがこぼれる。

 タオと出会った時は、彼の小間使がこんなに可愛らしい兎だとは予想もできなかった。あの理解に苦しむ性格とは裏腹に可愛い物好きなのかと思ったが、数日タオを観察して、それは違う、と悟った。

 あの魔族は長い年月を単純に生きる事に飽いているようだ。小間使を雑用に不向きな体に創ったのは、一つ一つの動作に飽きがないようにするため。都合の悪い不憫な体にする事は、魔族としての残酷な欲求を満たす事にもなるのだろうが…。

 身支度をして書庫へと向かうと、この館の主は馴染みの一人用ソファにゆったりと身を沈めて書庫に目を落としていた。一応は朝の挨拶をしてみたが、いつもの事ながら返事は返ってこない。――リオンは無意識にその顔を観察してしまう。

 タオは本当に淡麗な顔をしている。少し癖のある長い黒髪がその背で優雅に波打ち、冷たい光が宿る黒い瞳も、品の良い褐色の肌も、趣味の良い裾が長い黒の衣装も、冷酷なる美を引き立てている。そんな彼が朝日が降り注ぐ大きな窓辺で頬杖し、飽いたような気だるげな顔で書庫を読む――、この画は完全な美だ。しかし、これはおいそれと憧れを抱いてはならない美だ。触れても求めてもならぬ――…まるで神のような美…。

「向かいに座っても?」

「勝手にしろ」

 興味のない声音で応えるタオは、リオンに視線すら向けない。

 正面から見ても、やはりその美しさは変わらない。魔族だというのに、陽光を横顔に浴びた姿は神々しささえ感じさせるのだから不思議だ。

 タオ以外の魔族にもリオンは会ったが、タオはそれらとはまるで別の存在だ。そう感じる。

 ――…何だろう…、この違和感は…。

「なんだ?」

 視線を感じたのか、自分は本から顔を上げる事もなくタオが訊いてきた。リオンは少し苦笑混じりに、何でもない、と応え、ちょうど兎が運んできてくれた朝食を食べ始めた。


 上級の魔族でさえ恐れて近寄らぬ禁断の森。その森の中にタオが住む館はあった。

 これほど立派な館だというのに、当の主は全く興味の欠片もないらしい。兎達の努力のおかげで清潔感だけは保たれているのだが…、庭は荒れ、館内に装飾もなく、絨毯もカーテンも色褪せている。リオンは、兎達に協力してもらって大胆な模様替えをしてやろう、と密かに企んでいる。

 タオの小間使はこの兎達だけらしい。彼ほどの魔族ならば、魔物や他の魔族を下僕とする事など簡単なはず。そしてそれらを束ね、バハールドートの広域を支配する事も可能だろう。

 リオンがこの世界で一番驚いたのは、この世界には支配者がいない、という事だ。強大な魔族が支配する地域もあるにはあるようだが、いわゆる《魔王》にあたる存在はいない。魔王のいない魔界…、どうもしっくりこない話だ。

 リオンは以前タオに疑問をぶつけてみたが、無愛想なこの魔族は、昔はいたが今はいない、と応えるだけだった。なので書庫の書物をあさって調べたが…、確かに『以前は魔王がいたが今はいない』としかわからなかった。

 今から約五千年前、バハールドート全体に大規模な災害と飢饉が発生した。それを境に、魔王に関する記述がぱったりと消えているのだ。そして、己に忠実な魔界の住人達はのほほんと日々を生き、魔王が消えた謎を今日まで追及する事もしなかった、という事らしい。

 魔王はいない――…ならば、誰かが《魔王》を目指してもいいはずだ。そしてその魔王役は、他ならぬこのタオが相応しい。――リオンは単純にそう思うのだが、当の本人は支配者になる気など微塵もない。飽いたように読書をする事を日課とし、他には満月の晩に魔族としての残虐な欲望を満たすために殺戮を嗜む程度だ。他の魔族達もタオと同じで、自分が魔王に、と乗り出す者がいない。…リオンはこれがわからない。

 魔族とは貪欲なまでの野心家で、常に己が支配者となる事を虎視眈々と狙っている――…、そういうものではないのだろか。少なくとも、イシュヴァにはそうした認識がある。悪と背徳を美徳とし、善と希望を忌み嫌う。それが魔族だ、と。

 だからこそ、リオンには全くもってわからない。

「…」

 目の前では絶大な魔力を持て余し生きる魔族が読書をしている。何故こんな存在がこんな場所に一人で住んでいるのか、と最初は不思議に感じたものだが…、この理由はこの数日間でうっすらと気が付いた。


 ――彼は他者と関わる事を酷く嫌っている。


 だからこそ誰も近寄らない森に居を構え、自分が創った兎だけを下僕とし、一人で気ままに暮らしているのだろう…。

「ありがと、ラピちゃん」

 食後の茶を淹れてくれた三毛の兎に礼を言うと、タオがようやく怪訝そうに本から顔を上げた。

「…何だそれは」

「何だって…名前だよ。兎でピーピー鳴くから、ラピちゃん。可愛いだろ?」

「他人の小間使に無断で名を付けるな」

「本人達だって喜んでる。なぁラピちゃん?」

 周りに集まってきた五羽の兎達が一斉に頷く。リオンが、ほら見ろ、とばかりに挑戦的な目線を投げつけると、タオはため息をついて再び書物に視線を戻した。

「…勝手にしろ」

「そうさせてもらう」

 勝った、と心の中で勝利の喜びを噛み締めながら、リオンは席を立った。



 やれやれ、何をしているのやら…。

 放っておけばどのような行動をするかと思い放ってきたが、奴は奴なりにそれを楽しんでいるらしく、実に好き勝手にしてくれる。自分に害はないので大して気にも止めていないが…、まぁ予想外な行動も退屈しのぎにはなるので、それはそれで構わないが。

 もう何百と読み返した本を眺めていると、書庫にピアノの音色が響いた。吹き抜けがある書庫の二階には、かつて暇つぶしにと置いたピアノがある。今では使用されず物置と化しているが――…そういえば先日、リオンがピアノの上に積まれたガラクタを片付けて調弦をしていた気がする。

 旋律が響く吹き抜けの二階へと視線を向ける。

 書庫専属の兎五羽全てがリオンの周りを取り巻き、うっとりとした様子で聞き入っている。わざと従順とは言い難い性質に創ったためだろうが、最近の小間使達はリオンにすっかり懐いている。懐き過ぎだ、とさえ思う。

 しばしリオンが奏でる音色に耳を傾けていると、この主旋律は覚えがある、と気が付いた。ピアノに打ち込んだ時期に収集した楽譜の中でも気に入っていた曲だ。

 ――…久しぶりに弾いてみるか。



 楽譜の山から見つけて気に入っていた曲を弾いていると、突然ピアノに合わせるようにヴァイオリンの音色が響いた。驚きについ手を止めて奏者を捜すと、漆黒の魔族が階下の定位置で鮮やかにヴァイオリンを奏でている。

 あまりにも透明感がある旋律にしばし呆気にとられてしまったが、リオンはそれに合わせて再び鍵盤に手を伸ばす。

 共に曲を奏でる時間は、心地良くリオンの心を酔わせる…。

「――…タオはヴァイオリンが弾けるんだ?」

 演奏を終えて高揚した気分のまま声を掛けると、心なしかタオの表情もいつもとは違う気がした。

「大抵の楽器の心得はある」

「へぇ? 今度教えてくれよ。前々から興味があったんだよ、ヴァイオリン」

「高くつくぞ?」

 タオがこんな軽口を叩くとは珍しい。やはり彼も演奏の余韻に高揚しているようだ。

 ――タオは純粋に音楽を楽しむ心も持っているんだな、と思った。それに、殺戮以外でこんな表情が出来るなんて…。

「なぁタオ、俺ってこのままこの館に住み着いてもいいのか?」

「勝手にしろ」

 予想していた答えだったが、他に行き場のないリオンは安堵する。それと同時に、よし、と決めた。

 この冷酷な魔族を変えてみせよう。この魔族に自然な笑顔を浮かべさせてみせよう。この凍てつく瞳の氷を溶かしてみせよう。

 その実現にどれほどの時間が必要なのか想像がつかないが…、時間の問題は自分には問題ではない。

 何しろ自分は――…死ねないのだから。



 リオンの瞳に何やら光を見つけて、心底不思議に思う。この大天使は何を考えているのだろうか。何かを企んでいる事は間違いないだろうが…、一体何を? 絶望的な呪いを受けた身だというのに、何故これほどまでに活きた目が出来る?

 これほど馴れ馴れしく自分に関わってくる生物は、これまでただの一人もいなかった。リオンを拾った時は、弱り果てた彼の感覚が麻痺しているだけだろう、という疑念も抱いたが、どうやらそうではないらしい。今も自分を見てポカンとする時もあるし、殺戮という遊戯を終えて血まみれで帰ってきた自分を見てギョッとする時もある。だが、それでリオンが自分から遠ざかる事もない。怖いもの知らずなのか、無頓着なだけなのか…。

 かつて他者と関わっていた頃は、魔としての邪な企みを抱いて近寄る愚か者は数えきれぬほどにいた。だが、その誰もが自分が真に持つ魔力に気付くと、その強大さと残虐さに怯え、ある者は去り、ある者は自棄で挑んできたものだ。

 だが…、この大天使はどうだろう? 不死の呪いを無視し魂が崩壊しない程度に抑えてはといえ、それでも充分過ぎる魔力で威圧をしても、リオンは離れない。ビビらせるなよ、などと言いながら、無邪気とも呼べる態度で接してくるのだ。バハールドートで自分の他に頼る者がいないからだろうか? …否。似た境遇の者も過去に吐き捨てるほどにいたが…、結局は全員がいなくなった。

 追放された大天使を同情し住まいを提供したわけではない。一言で言えば――…そう、リオンが気に入った、という所だろうか。

 この自分がこの者にこれほど心を許している――これほど可笑しな事は他にない…!

 他者の内実など所詮わかるものではないが、自分の内実はそれ以上に計り知れない。リオンの行動一つ、発言一つで動く自分の心が可笑しくて不自由で新鮮でもどかしくて…――そして、不快ではない。

 そんな愉快な感情のまま考えが浮かび、リオンの名を呼び注意を向けた。

「そうだな…、一つ条件がある」

「条件? な…んだよ? 無茶な要求は飲めないからなっ。あくまでも大天使の俺の常識の範囲内で頼むからなっ」

 身構えたリオンの反応が楽しくて、無意識に笑みが深まる。

「貴様、飛行に自信は?」

「へ? 普通…かな?」

「普通では駄目だな。今すぐに出て行け」

「何でだよッ?」

 不安と苛立ちが複雑に混じったリオンの様子が可笑しい。そのように他者に関心を持つ自分も可笑しくて新鮮だが。

「私の散歩に付き合え。それが条件だ」

「散歩って…空の? う…、お前って飛ぶの速すぎる…」

「何のための二対の翼だ。不要ならばその翼、今ここで私が直々にもぎ取ってくれよう。ほれ、さっさと背を向けぬか」

「ちょっ…! 勘弁してくれよー…。

 ど、努力はするから。だから、もぐのはやめて。それと、追い出すのも勘弁な? なっ? この通りだから、なっ? なっ?」

 必死に懇願するかと思いきや、その懇願はどこかおどけた様子で、目が笑ってさえいる。馴れ馴れしい。

 まったく、この者は身の程を知らぬというか何というか…。私を甘く見る者は誰であろうと許さぬぞ。貴様でなければ今頃は消し炭にしてくれているわ。

 ――そんな事を考えていたら、笑い混じりのため息をついてしまった。そんな自分を不思議そうに見るリオンにまた笑いが湧き上げてくる。

 まったく、面白いものだ…。


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