Ⅱ・追憶(5)
◇ ◆ ◇
「貴様、何故堕ちた?」
魔族の背にぐったりと身を預けるリオンは、微かな自嘲と共に、何故、と返す。
「ふ…っ。大天使が追放とは、一体何をやったのかと気になってな」
自分を背負っても大した支障はないらしく、タオと名乗った魔族は軽快にその翼を羽ばたかせている。
彼に背負われた状態で意識を取り戻した時はさすがに驚いたが…、今はただ純粋に、バハールドートの風はこんなにも心地良いのか…、と新鮮な気分を味わっている。
「主君に剣を向けた。――それで、だ」
「貴様が謀反だと? 意外だな」
「謀反じゃない。…あいつの目を覚まさせたかっただけだ」
「あいつ、とは?」
一瞬心をよぎる複雑な感情。それを払うように頭を振り、リオンは応える。
「シロン大天使長――…俺の兄貴だ」
「親は?」
タオの問いにリオンは、さぁ…、とまるで他人事のよう。
「大天使は産まれてすぐに神殿が抱え込むから、自分の親の顔を知らないのが普通なんだよ。俺の場合、産まれて数刻もしないうちに神殿の迎えが来たらしい」
「では、兄とやらとの血の繋がりはないと?」
まぁな、とリオンは気のない声を返す。
「けど、俺とあいつは一緒に暮らして一緒に育った。だからあいつは俺の兄貴で、俺の家族だ」
誇らしい気持ちで告げると…、タオが、くだらぬな、と感情のない声音を零した。その反応にムッとしたが、他に家族は居るのか、との問いを投げられたのでグッと堪える。
「前の大天使長がそうだ。俺達には親みたいな存在だったからな…。崩御の後に、兄貴が継いだ」
「貴様は?」
「俺はあいつの補佐役」
タオの背は暖かく心地良い。満身創痍の身では飛べないためにおぶされているのだが…、こんな短時間で魔族に心を許す日が来るとは、イシュヴァにいた頃は考えもしなかった。
「最近のあいつは指導者ではなかった。諫める者はあいつの補佐役である俺しかいなかった」
「実力行使で主君を諫めたか」
「そんな所かな。それで、呆気なく返り討ち」
リオンは他人事のようにあっさりと言い、苦笑する。
「あ〜もう死ぬなぁ〜…、って思った。剣を手に取った時に覚悟は決めていたから、恐怖みたいな感情はなかったな。
…でも、殺されなかった」
「死の代わりに、不死の呪いと追放、か」
「ああ」
「…恨んではいないのか?」
黒髪の魔族にとても不思議そうに問われ、リオンはその問いをむしろ不思議に思う。
「恨む? 何故?」
「過ちは貴様の兄とやらにあるのだろう? それを諫め、この様だ。恨まぬのか?」
「…? それって逆恨みだろ? 何の為であろうが、大天使長に剣を向けた俺は大罪人だ。
だからこれは、当然の報い」
リオンの言葉に何かを考えているのか…、しばし沈黙が続いた。
「では、後悔はしておらぬのか?」
「後悔?」
「剣など向けずに済んだのではないか? 他に手段があったやも知れぬ」
「あればあんな事はしないさ。ないから、やったんだ」
「…ふむ…」
再び沈黙が続く。
「貴様の行動により、今頃大天使長とやらが過ちを正していたとして――…貴様はどう思う?」
「どう、って言われても困るけど…。良かった、って感じ…かな?」
「………」
「タオは何が言いたいんだ?」
背負われた状態では、タオの表情を見る事ができない。リオンは首を傾げる。
「例えば、だ。貴様の養父とやらが今も存命だと仮定し、養父が危篤だと知らせが来たとしよう。しかし大天使たる貴様は、民に関する重要な仕事の最中だ。この場合、貴様はどうする?」
突然おかしな事を訊くものだ、と思いつつ、リオンは躊躇いの欠片もなく口を開く。
「もちろん、仕事を優先させる。
そりゃ、義父上の元に行きたいけどさ。だからって大事な仕事を放置なんて」
「養い親とはいえ、貴様にはかけがえのない存在であろう? その死に目に会いたくないのか?」
「だから…、さっきも言ったけどさ、もちろん行きたい。でも、そんな真似は出来ない。我慢するしかないだろ」
「我慢だと?」
「そうだよ。
…実際に、そうだったし」
ムッとしつつ、リオンは続ける。
「例え話じゃないんだ。俺は大事な用で地方に行ってて、そこに義父上が危篤だって知らせが来たけど…、行けなかった」
「行かなかった、のだろう?」
「行けなかったんだ。――民に関わる仕事の最中だ、行けるわけがないッ!」
「声を荒げるな。体に障るぞ」
変わらず冷静なタオの声に、リオンは唇を噛む。
「…行けるわけがない。俺だって行きたかった。義父上に会いたかった。でも…」
「仕事を放り出してまで駆けつける程の事ではなかった、か」
「!? 何故そうなる!?」
「違うのか? いや、違わぬだろう。養父の臨終と仕事の継続を比較した結果、貴様は後者を選んだ」
「比較なんかしていないッ!」
「実際はそうだった。…違うか?」
言い返そうと何度か口を開け閉めし――…、リオンは不機嫌な低い声を出す。
「…タオならどうした?」
「さて…。私に親兄弟への愛とやらは微塵もないが、私が貴様ならば迷わず前者をとるな」
リオンは唖然と口を開いた。
「…そんなの――…愚者がする事だ」
「愚者、か」
「そうだとも。誰も褒めない」
「親の死に目に駆けつけぬ事は、褒められる事なのか?」
「そ、そういうわけじゃないけど。でも」
「褒められるから、行かなかったのか?」
「だから、そういうわけじゃなくて…。違うんだ」
違わぬな、と。タオの口調は容赦ない。
「実際に、周囲は褒めたのだろう? 養父の危篤という状況に耐え、民のために働いた貴様を。よくぞ悲しみを耐え、勤めを果たした、と。気丈に振る舞い、己の成すべき事をした、と。違うか?」
「…」
「それは真に褒められるべき事なのか? イシュヴァの民ではない私にはどうも理解ができぬ」
「………」
リオンは言葉が出ない。
「貴様の事だ、葬儀でも泣かなかったのだろう? それも――本当は泣きたかったが、泣く事は出来なかった。許されなかった。自分が泣けば民にも余計な悲しみを与える、と。
貴様も兄とやらもであろうな。貴様ら二人は背を伸ばし葬儀に参列した。泣く事もせず、毅然と。
だが…、己の悲しみを抑え泣かぬ事は、素晴らしい事なのか? 何故泣いてはならぬ。何が許さぬというのだ」
「…」
「どうも理解が出来ぬな…。それらは真に賞賛に値する行動なのか?」
「………」
「…寝たのか?」
返事が出来ずにいると、タオは疲弊した自分が寝入ったと勘違いしたようだ。起きている、と答えようとも思ったのだが―…出来なかった。再びタオに何かを問われても、おそらくはそれに自信を持って答えられない自分に気付いて。
――…タオのような考え方は、これまで一度もした事がなかった…。
複雑な心境のまま、リオンは目を閉じた。