Ⅱ・追憶(3)
『ピィィィィィィィィ〜〜…ッッ!!』
「おわッ!?」
突然の耳をつんざく悲鳴。館の屋根の上で昼寝をしていたリオンは慌てて飛び起きた。
妙に騒がしい中庭から聞こえてくるのは、ラピちゃん達の悲鳴とタオの高笑い。夢の恐怖の余韻は完全に吹き飛び、リオンは寝汗を乱暴に拭いつつ中庭を見下ろす。
綺麗に整った芝生の上に、牛の丸茹でが可能と思われる巨大な釜が、でんと設置されている。その大釜にラピちゃん達をぎゅうぎゅうに押し込み、いつもの無邪気で残酷な笑いを浮かべる漆黒の魔族。
「このタオ様の大実験だ。貴様ら、実験台になれた事を光栄に思え」
「…タオの奴、何やってんだ?」
リオンが背の翼を広げて中庭へと滑空すると、タオは空を仰いで手を振ってくる。
「なんだ貴様、そんな所にいやがったのか。つーか、調子が戻ってきたから少し散歩に行く、とか言って出て行かなかったか?」
「行ってきたさ。やっぱり空はいいなぁ…。雲の上の風、久しぶりに味わった。森も綺麗に紅葉していたし、気持ち良かった」
ふわり…っ、と着地したリオンは笑い、それで…、と大釜に視線を移す。
みっしりと詰め込まれたラピちゃん達が、目を渦巻き模様にしてピーピーと鳴いている。
「で、これは一体何だよ? お前、何をやってるんだ?」
「大実験中。とばっちりを食らって手足を吹っ飛ばされたくなけりゃ、離れてな」
「どんな実験?」
「失敗したら周辺一帯が消し飛ぶ実験」
「…何の実験だよ」
釜の縁から見え隠れするラピちゃんの小さな手が、ぱたぱたと宙を掻いてもがいている。ピーピーという悲しげな鳴き声には心が痛む。
「ラピちゃんが実験台でないと駄目なのか? これはちょっと…、と俺は思う」
「ラピちゃんでないと駄目だ」
「なんで?」
「そろそろ飽きてきたからな。コイツらを材料に、新しい小間使を創ろうかと」
「いや…まぁ…、ラピちゃんはお前が創った魔法生物ではあるけど…」
身動きが不可能なまでに、釜に詰め込まれたラピちゃん達。 釜の縁から見え隠れする可愛らしい手足。ピーピーという鳴き声は悲鳴にしか聞こえない。
「か…可哀想だろ!? やめろって!」
いたたまれなくなったリオンは釜の穴まで飛び、みっちりと詰まったラピちゃんを、次々に引っ張り出していく。
その光景にしばしあんぐりと口を開いていたタオが、ハッとして怒鳴った。
「おいこらッ、そこの大天使ッ!」
「小間使を創るなら、何もコイツらを材料にしなくてもいいじゃないか!」
「それだと実験にならねぇだろ!?」
「そもそも、そんな実験しなきゃいいんだ!」
救出されたラピちゃん達は可哀想にガクガクと震え、リオンにぴったりと張り付いている。ピユゥー…、という悲しげな鳴き声は、リオンに助けを求めている鳴き方だ。
その様子を見て、タオの怒りはますます膨らむ。
「おいこら貴様らッ! 貴様ら、自分の主を変える気か!? 貴様らを創ったのはこの俺だぞ!?」
「それが何だよ!? お前なんかラピちゃん達がいなきゃ何も出来ないだろうがッ!」
「何ぃッ!? 貴様ッ、容赦せんぞっ! 私に逆らう者は誰であろうと断じて許さぬ!」
「はッ! 俺はタオの脅しには断じて屈しないからな! お前が何を言おうと、俺はラピちゃんの味方だッ!」
「堕ちた大天使の分際で余に抗うと!? 片腹痛いわッ!」
「腹でも何でもひとりで勝手に痛くなっていやがれッ! お前みたいな自意識過剰で攻撃的で乱暴なヤツに、このラピちゃん達が仕える必要なんかない!」
「この…ッ、大天使風情がァッ! この私が何を小間使としてどのように扱おうが、貴様には関係なかろーがッ!」
「関係あるッ! 考えを改めないなら、いっそ俺が全て面倒をみてやるッ!」
ギギギ…ッ、と火花を散らしてぶつかり合う視線。一触即発の状態である。
しばらく睨み合い――…。しかし急に馬鹿らしくなったのか、タオが鼻を鳴らして視線を外す。
「…。チッ…、やめだやめだッ。貴様ら、掃除でもしてこい」
絶対である創造主タオの命令…だが、ラピちゃんは一羽も動かない。リオンの周囲に固まって、物言いたげにタオをじぃーっと見つめている。
三十羽以上のラピちゃん達からの意味深な視線に、さすがのタオもたじろいだ様子で一歩後退した。
「な…何だよ?」
「謝れよ。いつまでも冷遇していたら、そのうち本当に全員家出するぞ?」
リオンの言葉に、うんうん、と一斉に頷くラピちゃん達。空を仰いで嘆くタオ。
「な、なんで俺がこんな目に…」
「自分の胸に手を当てて考えてみればわかるだろ」
「………。
ダァァァッ!! とにかく貴様らッ! 全員ッ! 即刻ッ! 掃除しやがれぇェェッ!!」
一瞬物憂げな表情を浮かべたので、いよいよ詫びを言う気になったのかと思いきや…。タオは瞬時に顔を真っ赤にさせて怒鳴り散らす。そのあまりの迫力に圧されたラピちゃん達が、ころころと後ろに転がり、慌てて我先にと館内に消えていく。
「…お前なぁ…」
リオンの不満な視線を完全に無視し、タオは気だるそうに空を仰いた。
「はぁ…。あの連中、最近やたらと俺に反抗的じゃねぇか?」
「それこそ自分の胸に手を当てて考えてみろよ」
「…チッ、付き合ってらんねぇ…。勝手にほざいていやがれ」
ヒラヒラと手を振りつつ、タオは館の中へと消えていった。
リオンが館の中に入ると、健気な兎達が何事もなかったように掃除に励んでいる。
この館自体は立派な造りではあるが、その内装はむしろ地味だ。生活環境に無頓着なタオなので、リオンが来た十年前は廃墟も同然だった。絨毯は色褪せ、裏庭は茂みと化し、不要な部屋は屋根も床も落ちていた。それを見かねたリオンがラピちゃん達と協力し、時間を掛けてここまで改善してきたのだ。
この館は禁断の森と呼ばれる森の中にある。恐ろしげな呼び名だが、とても綺麗で心が洗われる森だ。それが何故『禁断の森』なのか、リオンは未だに正式な理由を知らない。
懇意ある魔族達から聞いた話では――入るとランダムで即死するだとか、千年間腹を壊し続ける呪いを受けるだとか、異性から嫌われるようになるだとか、兎やアヒルになるだとか――…、とにかく多種多様の説がある。だが今現在この森を嫌う具体的な理由は『タオが棲んでいるから』らしい。
万が一にもタオの機嫌を損ねれば、どんな魔族でも悲鳴をあげ震え上がり逃げ惑う残虐極まりない死を迎える事になる――。それ程に以前のタオは恐ろしい存在だった。今ではリオンを訪ねてやって来る物好きな魔族達もいるが、その際も彼らはタオが不在の時を狙ってくる。リオンと関わるうちに随分と変わってきたタオだが、今でも魔族達から恐れられているのだ。
館内でタオがいる場所は限られている。リオンは迷う事なく廊下を進み、とあるドアを開けた。
リオンが入室したのは、膨大な本が所蔵された書庫だ。天井まである大型の本棚が所狭しと置かれ、まるで迷路と化している。その書庫内をリオンは迷わず進んでいく。
タオは大きな窓の脇にいた。馴染みの一人掛けソファに身を沈め、本に目線を落としている。
「…」
――…十年前とは随分と変わったので普段は忘れがちだが、こうして見ると、やはりタオは綺麗だ。魔力を抑えた影響で十年前とは髪の長さこそ違うが…、それでも横顔に陽の光を浴びて気だるげに本を読む姿は絵画を思わせ、リオンは一瞬ポカンとしてしまった。
タオが横目でジロリと見てくる。
「また人の顔見てそんな顔しやがって」
「悪い悪い。何を読んでるんだ?」
「別に。そこらに転がっていた本を適当に拾っただけ。
ったく、つまらねぇ…。今度の満月で適当な魔族に喧嘩ふっかけて、適当な本をかっぱらってくるか」
窃盗の罪とは何かを魔族に説いても無駄だとわかりきっている。桁外れた魔力を持つこの魔族には特に通用しないだろうから、リオンはもはや止めもしない。
先程から視界に入る蝶ネクタイをしたラピちゃん達は、この書庫専属のラピちゃんだ。タオが読みたい本を言うと、どの本棚の何段目に何があるかを全て把握しているこの兎達がすぐに反応し、この広い書庫からあっという間に探し出してくる。
バハールドート中の魔物と魔族から恐れられているタオだが、その日課は読書と昼寝だ。気が向けば空の散歩にも行くが、大半をこの書庫で過ごしている事に変わりはない。この十年でリオンが自室にいるタオを見た回数は、片手で数えられる程度だ。だからといって、タオは本を熱心に読むわけでもない。頬杖を突いて飽きたように目線を落とすのだ。
相変わらず無言でつまらなさそうに本を捲るタオをしばらく眺めた後、リオンも友に付き合って読書を決め、控えていたラピちゃんに本をリクエストした。