Ⅱ・追憶(2)
* * *
無の空間に存在する白き大扉。リオンは自分がその前に立っている事に気が付いた。
何故、という当然の疑問が浮かぶ前に懐かしさを――…前回まではそうであったが、今回はそうはいかなかった。三度目ともなると、さすがの自分も慣れてくる。
「…これ、本当にただの夢か?」
自分の呟きに自嘲してしまう。ただの夢である訳がない。
「…」
――…確かめる方法なら、ある。
悩んだ末に、リオンは腹を決めた。
扉のすぐ前まで来た。
今回もきっと扉は開く。開いて何が起こるのかはわからないし、それに対する恐怖も当然ある。だが、前回は手が出てきた。おそらくは今回もそうだろう。ならば、あの手の正体を確かめてやるまでだ。
…自棄のような心境の変化が可笑しかった。
タオは何か知っているのだろうか――? ふいにそんな疑問がよぎる。
前回の夢で彼が叩き起こしてくれたおかげか、今回は恐怖と動揺に支配される事なく、自分でも驚く程に落ち着いている。
彼は本当に心配して起こしただけなのだろうか? 何故あそこまで必死になって起こしたのだろう?
「ま…。タオの行動なんて、昔から俺にはわからないもんなぁ…」
リオンは苦笑混じりに呟く。
自分と接する十年の間に、タオの言動は今のそれへと変わった。魔力を抑制した短髪の姿でいる事も、大天使の自分に威圧を与えないためなのだろう。あの彼に気遣られる自分を嬉しく思う。
それでも――ふとした瞬間に、タオは彼本来が纏うあの恐ろしくも惹かれる気配を感じる。
あの魔力、あの容姿、あの覇気――。タオは他の魔族とは根本的に何かが違う。出会った当初は冗談抜きで、魔王なのでは、と疑った程に。本当に不思議な魔族だ。
だからと、お前は何者だ、と訊く気にはならない。あいつが何者であろうが関係ない。あいつと自分は親友。それだけだ。
口元で微かに笑み、頷いて――…次の瞬間、リオンは反射的に身構えた。
――…ギギ…ィ…、と。
錆び付いた蝶番が軋む音が空間に響いた。
背中に冷たい汗が伝う。確かに覚悟を決めてはいたのだが…、それでもやはり、怖いものは怖い。
強く拳を握り締める事で恐怖心をごまかし、リオンは《向こう》へと目を凝らす。
「…ん…?」
――…おかしい。思わず眉をひそめる。
イシュヴァからバハールドート側へと扉を越えた、あの時――。朦朧とした意識下ではあったが、自分は扉の向こう側を見た。だから、これだけははっきりと言える。
『向こう側は《無》には見えなかった』
――…光あふれる世界。
気だるささえ感じさせる程にのんびりとした平和と光に包まれた世界。天国があるならばこのような世界では、と思わせる場所。呑気で平和で牧歌的で春眠がごとき――いや、これは自分のいらぬ感想だ。
だが…少なくとも、追放時に自分が見た扉の向こう側は《無》ではなかった。
神々しい白き光が満ちた空間にひとつの人影――。光の中に佇む兄の姿には胸の切ない痛みを感じたが、これは耐えるしかない感情だと自分に言い聞かせた。…これもこの場には不要な記憶と感情か。
それが、今はどうであろう。光を閉じ込めたかのようなあの世界が《無》にしか見えない…。
「夢だからか…?」
――…夢だから、だと? 自分のくだらない呟きに再度自嘲してしまう。
そもそも、これは、ただの夢ではない。それを確かめようとしているのに、いちいちイシュヴァにいた頃の記憶と感情に流されていたのではキリがない。
頭を振って気持ちを切り替え、扉を見据える。
――…扉に、白い手が掛かった。
ハッと息を飲む。
硬直したリオンのすぐ前で、扉の向こうから白い手がゆっくりと緩慢な動きで現れ、押し開かれた扉を掴んだのだ。
気味が悪い…、と感じた原因は、おそらくは手のあまりの白さだろう。この白はただの色白や美白とは完全に異なる。
死者の手――、そんな言葉が脳裏をよぎる。
そう、これは――…血が流れているとは思えない、白…。
静止していた手が、ピクリ、と動いた。
手が扉から離れていく。
ゆっくりと。
どこか、優しさすら感じさせる動きで。
指が伸ばされていく。
ゆっくりと。
唖然と立ちすくむリオンに向かって。
そして手は――――…手招いた。