Ⅴ・風が流れる(5)
* * *
「さて、貴様はこれからどうする? 私はさっさと帰るぞ。この嘘臭い神聖な空気は、魔族の私には合わぬからな」
草花がさわさわと囁く草原。その草地に寝転んでしばしの休息をとっていたタオが、隣で同じく雲をぼんやりと眺めているリオンに尋ねた。タオの嫌みたっぷりな台詞にリオンは笑う。
「俺は…、残るよ。生き残った皆の手伝いをしたい。あの様子だと、兄貴もしばらくは再起不能だろうしな。
…どうすればいいのかは、まだわからないけど」
視線で意味を訊いてきたタオに、リオンはちょっとだけ苦く笑ってみせる。
「俺も兄貴も未熟だ。お前が言ったように、ガキも同然だ。そのガキの俺達に何が出来るのかな、って…」
苦しい胸を押さえて呟くが、タオは、簡単だ、とあっさり言い放つ。
「導く、などという考えを捨てろ。玉座など埃を被せておけ。貴様らは、貴様らなりに、根を張ればいい」
「…お前の場合、ほったらかし過ぎじゃないか? バハールドートは雑草だらけだ」
タオがクツクツと喉を鳴らす。
「雑草か。――ふむ、たくましいぞ。放っておくだけで勝手に育つからな」
「でも…、本当にそんないい加減な心構えで、いいのか?」
困惑の表情を浮かべるリオンに、タオは苦笑しつつ応える。
「無理に畑や花壇にする必要などなかろうて。そんな代物をこしらえたとしても、雑草は生える。貴様はそうして生えた雑草を抜くのか? そしてまた『自分のせいで民が死んだ』と勝手な自己嫌悪に堕ちる気か?」
「綺麗に整える必要は、ないんだ?」
「貴様なぁ…、よいか? その綺麗という言葉は、何を基準に言っておる? そもそも畑や花壇にするとして、何を選び、どのように植えるのだ? 貴様は生かす民を選び、生き方を強いるつもりか?、
「ん…、そ…そうなる…のか?
うわ…、俺ってば懲りずにまたへこんだぞ〜…」
力なく抱えた両膝に顔を埋めるリオンに、タオは豪快に笑った。
爽やかな命の風が吹き抜ける丘。その頂上にある白亜の扉の前に、二対の翼を持つ二人が降り立った。
「なぁタオ…、お前はコレをどうにか出来ないのか? またあの空間に取り残される者が出たら困るし…。でも、俺や兄貴には扉をどうこう出来るチカラなんてないし…」
魔族達との決別の為に古の大天使長が創った扉の操作を、この彼に頼むとは噴飯物だろう。
タオは思いっきり顔をしかめ、ならば…、と扉に向き直る。
「壊すか? 私とて容易ではないがな、不可能でもない」
「えぇっ? だ、駄目だッ。壊すのだけは、駄目ッ!!」
唾を飛ばす勢いで反対するリオン。タオは、何故、と心底不思議そうな顔をする。
「何故って…、俺が《そっち》に行けなくなるだろーがッ!! あ、呆れるなよ!」
ポカンと口を開けた友に、リオンは膨れた。
「俺はな、大天使なんだぜ。それも、すっげー寂しがり屋のな。その上、とびっきりのお節介だッ! その俺が、お前の身の上話を聞いてこのまま黙っていると思うか!? ガキだからって、大天使サマをナメるなよなッ!」
「…貴様、ついに開き直りを始めたか?」
「いけないか?」
リオンは腰に手を掛けて挑むように見上げ――…、そして、真剣にタオを直視する。
「…俺は、お前の親友、なんだからな」
「…」
長い年月を生きてきたタオが経験したことがないほどの、あまりにもまっすぐで真剣な真摯の眼差し――。
しばしたじろいで、居心地が悪そうに目を泳がせてはいたが…、結局タオはいつもの大業そうなため息をついた。
「――…ったく…。そういえば、貴様の兄貴とやらに、貴様の面倒を頼まれてもいたしな…」
タオはとても面倒そうに――しかし、目は笑いながら、扉を見据えて、ふむ、と頷く。
「コレは貴様らイシュヴァの管轄だ、私にはコレを操作する事が出来ぬ。さっさと成長して、自分達の手で好きなようにしろ。
――それまでの間に、万が一あの空間に閉じ込められた馬鹿がいた場合には、この私が直々にこちらへと放り投げてくれる。…となると、定期的にあの空間を見回る必要が生じるのか。あぁ面倒だ、何故にこの私が…」
「ありがとう、タオ」
頭を下げられ、タオはそっぽを向く。そして一瞬向けられた瞳には、王者が持つ強い光。
「礼を言われる事ではない。――今回の件は、余にも責任があった」
「え?」
タオは冗談ぽく笑いつつ、扉の表面を撫でる。
「昔、配下が『イシュヴァがかの空間をゴミ捨て場にしているようだ』と耳打ちしてきたが、余は後にチラリと見ただけで、詳細の確認もしなかったからなぁ…。余がイシュヴァと関わるなど言語道断だが、あの時点で一喝しておれば、結果は違ったやもしれぬ」
「…お前ってさ、本当にいい奴だよな」
タオの顔を下から覗き込むと、彼は楽しげに、馴れ馴れしい、とリオンの頭を軽くはたいた。
扉をくぐり抜け――、外見も意識も《普段の自分》に切り替えたタオが振り返る。
「…おい、馬鹿大天使ッ! 早々に泣きべそかいて、俺の所に逃げて来るんじゃねーぞ!」
癖のある短髪を掻き上げて、いつものあの悪戯っ子の意地悪なにやけ顔で言い放つ魔族。
リオンは一瞬破顔し、何か言い返してやりたくて何度か口をパクパクさせ――…、最終的には顔を真っ赤にさせて怒鳴った。
「な、なんだよッ! だから、大天使ナメるなッ! この人でなしッ!」
「ばーか、魔族ってのは気紛れで自己中心的でサディストなんだよ…! 悔しかったら、ちゃ〜んと余裕作ってから顔出しやがれよな!」
「当たり前だッ! この馬鹿ッ!! 悪魔ッ!!」
地団太を踏むリオンにタオは腹の底から笑い――、そして。
「またな、親友」
そう囁いて、タオは扉を閉めた。




